第13話 疑心より差す暗影から気鬼は生ず

 【豹ヶ崎】は抜け落ちる気力と欠けていく精神の安定を嫌でも感じ取る。


 「ウッ……」


 ……果たして、猶予はどれ程あるのだろうか?そんな不安が【豹ヶ崎】の胸中に芽生える。そしてそれは、直ぐに疑問へと変貌し、増幅する。


 (……このまま、【一】さんを信用して良いんでしょうか?)


 まだ出会い、この職場に異動して二日目ではあるものの、疑念の闇がそれを職務として受けたならばと抱いていた使命感と、先輩として【一】に向けていた、ある程度の信用を蝕み始める。


 ……尚、【一】に関しては関わり合った時間は短いが、今迄の所々の言動で信用して良いのか、割と最初から疑問を持ち始めていた事には眼を逸らす物とする。


 まだ、完全に呑まれてはいないが、不信の芽が成長して根付いていく事を感じ取る。


 捨て駒として使い潰されるのでは?今直ぐに逃げ出した方が良いのでは?


 そんな考えがノイズの様にちらつく頭で、【豹ヶ崎】は【書類棚】を見る。


 様々な本やファイルが収めされた棚は、一見すると規則性が無く適当に入れられている様に見えた。


 背表紙を見た限り、大体は絵画や石膏像等の芸術に関する本や食肉の加工に関する本である様に見える。


 閉じている硝子の観音開きの扉を引いてみれば、鍵は掛かっておらず、容易に開いた。


 【豹ヶ崎】はそれ等の本は関係ないと判断して、幾つかあるファイルの内、何となく一番汚れが多い物を選んで回収する。


 壁の写真に眼を向ける。やはり、被写体は全て女性で、視線が向いていなかったり、撮影者が物陰から撮った様な構図の物ばかりである事から、盗撮写真であると分かる。


 一応は数枚程度、裏を確認したが、情報らしい物は見付からない。他に何か、例えば浴室で手に入れたリストの様な物があったりするのだろうか?


 或いは、元々は此処にあった物が浴室に移動させられていたのか?本当にあのリストを用意した存在は味方なのか?


 (……分からない……)


 この部屋の床に輝く魔法陣の力と、制限時間が分からない焦燥と不安によって、混乱する【豹ヶ崎】の精神的安定をヤスリをかける様に削り取り、それを土壌に内心に芽吹いた疑心暗鬼を静かに育てる。


 再び、魔法陣の力が【豹ヶ崎】を蝕む。疑心暗鬼は思考にノイズを増やして阻害し、視野を狭めていく。


 (次は……――)

 「――此処までですよ」


 次に何処を調べるか考え始めていた【豹ヶ崎】の肩を、【一】が強く掴んだ。


 直ぐ近くで掛けられた声に、【豹ヶ崎】は不信の色に淀み始めている虚ろな眼で【一】の顔を見る。


 【一】の顔は巫山戯た様子が一切無い真面目な表情で、真っ直ぐに【豹ヶ崎】の眼を見つめる。


 「この部屋から離脱します」

 「え?でも……」


 有無を言わせぬ【一】の言葉に、【豹ヶ崎】はまだ調べられていない場所があるのにと、戸惑いの声を漏らす。


 「流石に、発狂し掛けている状態での探索はさせられませんよ。


 この感じだと……【パラノイア】辺りですかね?二人だけの探索なのに、発症されたらかなり不味かったですね」


 【一】は直ぐに【豹ヶ崎】が発症し掛けている狂気の内容を看破すると、引き摺り出す様に腕を引いて部屋の外へと離脱させる。


 【豹ヶ崎】が既にそれなりに【一】に対する不信感を持ってはいたが、一応は上司としての判断による行動だと見做した為、抵抗をせずに移動させる事が出来た事は、【一】にとって幸いだったと云えるだろう。


 「先ずは謝罪します。研修目的だったとは云え、貴女ならある程度なら耐えられると判断してしまい、必要以上にあの部屋での探索させてしまいました。


 完全に私の判断ミスでした。上司として改めて謝罪します。申し訳ありません」

 「そんな事は……」


 【一】は申し訳なさそうな顔等は作ったりせずに真剣な表情を崩さずに、躊躇う事無く【豹ヶ崎】に頭を下げて謝罪する。


 その一連の短い言動には、確かに判断を見誤った事に対する責任と、必要以上に【豹ヶ崎】を危険に晒した事への謝意が込められており、一切の取り繕った演技や、口先だけのその場しのぎなパフォーマンス等では決してないと理解させるに足る芯を感じさせた。


 「……所で、何で部屋に入る・・・・・・・前に魔法陣に・・・・・・ついて質問・・・・・しなかった・・・・・んですか・・・・?」

 「へ?……はぁッ!?」


 次いで、そもそも何で魔法陣について私に聞かなかったんだ?と尋ねられた【豹ヶ崎】は、一瞬【一】が何を言っているのか分からずに呆けた声を出して、直ぐに理解が追い付いて声を上げる。


 「いや、明らかに無策で踏み込む様な場所じゃないのに、特に質問とかせずにいたので、てっきり何か考えがあると思ってましたし……」

 「いやいやいやいや!!え!?して良かったんですか!?」


 心底不思議そうにそんな事を言い放つ【一】に、【豹ヶ崎】は何を言っているんだ、こいつは!?と動揺しながら、それを聞いて良かったのかと質問する。


 「当選ですよ。明らかな危険があって、それを対処出来るヒントが手に入るなら、駄目元でも試すべきですよ。


 まぁ、そんな物無い場合がある訳ですが、少なくとも、今回は私が出せますからね。それこそ、質問してみるべきでしたよ」

 「えぇ……」


 平然とそんな答えを返した【一】に、【豹ヶ崎】はもはや言葉が出ない。【一】は【豹ヶ崎】のそんな様子を気にする事無く、表情を真剣な物に戻すと言葉を続ける。


 「今の貴女に、私を信じろとは言いませんが、それならば今は、私の事を利用しようとか、兎に角、私と行動する事に納得出来る理由をこじつけでも良いので作るなり思うなりして下さい。


 貴女に芽生えた猜疑心のままに、経験も浅く知識も少ない状態で私から離れて単独行動をすれば、今回はどうにかなったとしても、似た様な状況になれば近い内に心身が蝕まれて、貴女が死ぬ事になりますからね」


 それは先輩としての忠告だったのだろう。或いは、この異常が跋扈する世界で共に行動する者との関係を結ぶ上で、決して友好的な関係にはなれない相手と協力する際の考え方の一つを教えたのかも知れない。


 実際に、【豹ヶ崎】独りによる探索だったなら、このまま部屋の魔法陣によって精神的に食い荒らされて力は抜け落ち、狂人になっていたかも知れない。


 【一】が部屋の外で待機していたのも、恐らくは一緒に【魔力】と【正気】を蝕まれて最悪の場合、共倒れになる事を防ぐ為の行動だったのだろう。


 とは云え、そう頭では推測する事は出来ても、疑心の狂気が根を張った心は、それを素直に受け取る事に抵抗がある訳で。


 だからこそ、【豹ヶ崎】は【業務に同行している上司】であると云う事実を、信用は出来ずとも共に行動する理由とした。


 【豹ヶ崎】は一度、先程までいた恐ろしい部屋を見る。今度こそ床一面に描かれた魔法陣によって【魔力】と【正気】を食い荒らされるリスクの高さを考えれば、少なくとも、もう入るは出来ないだろう。


 「取り敢えず、回収した物を確認しましょう。何か有用な情報が見付かるかも知れませんしね」

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