第二十話:聖堂の光と火刑の鎖

「アイリーンさん!」

 クララがルーネの広場に到着する頃には、すでに人だかりができていた。人間、リザードマン、ウサギ獣人と様々な人種が火刑の判決を固唾を呑んで見守っている。


「異端審問官、レナトが宣言する。この者、アイリーンは聖女見習いの身でありながら、異端の聖女クララと結託し、歪められし信仰を広める一手を幇助ほうじょした。教会の正義を冒涜し、女神の教義に背き、魂の救済を拒んだものと認む。ゆえに本日、教義の名においてこの者に浄化の火を与えるものである」


 レナトの冷酷な声が高らかに響くと、ルーネの夜が好奇心と恐怖の目で歪んでいく。

 人だかりをかき分けていく内に、民衆が様々な反応を示しているのに気付いた。

「あれが……神に背いたものの末路か……」

 遠巻きに見ているリザードマンの男の表情は人間には分からない。だが、その目は火刑台より遠くの虚空を見つめていた。虚ろな瞳に十字架型の杭の影が揺れる。


「今日は三人目だって? なんだ、赤毛の女じゃないのかー。賭けは負けだ、ちっ」

「まいどあり。それにしても二人目の赤毛の処刑は良かったな! 煙が風に揺れることなく、高く上がってよう。いやぁ、キレイだった。それに昼メシ前だったから肉の焼ける臭い、あれは食欲をそそられたなぁ!」

 ライオン頭の獣人の趣味の悪い雑談に、クララは腹の底からこみ上げるものがあり、思わず口元を押さえた。レオは舌を出して辟易しているポーズをとり、クララの背中をさする。

「若い連中は悪趣味ダ。娯楽が少ないんだろウ」


「あれは貴族の娘さんだろ? 元気で信心深くて、赤毛の子と一緒に荷物を持ってくれた優しい子なのに……。女神に祈っていたのをアタシは知ってるよ」

 リリスは小声で話すネズミ耳のご婦人を見る。そばには小さな男の子がいて、目を伏せるよう頭を撫でていた。

 程なく二人は広場を立ち去り、その穴を埋めるように人々が詰める。


「神はそれを望んでいない……」

 ふとセルゲイの耳に届いた声を探すと、その人物はそそくさと広場を去っていた。


「教会に仕える者が異端思想なんて嘆かわしい! 神罰を受けろ、この異端の手先め!」

 ユマン種の男が投石をする。その目は狂信者そのものだ。

 目の前が歪む。悲鳴も祈りも、耳に届かない。――アイリーンを助けなければ。

 男の近くにいたクララはふらつきながら火刑台へと歩みを進めた。


 杭の周りには薪がくべられており、杭に縛り付けられているアイリーンの足元に灰が敷かれていた。

 真新しい修道服とウィンプルが彼女の脂ぎった髪とやつれた顔と対照的だった。アイリーンはこちらに気付くと、叫ぶわけでもなく首を横に振る。瞳は涙に濡れ、頬はこけている。だがその視線は、クララに「来るな」と語っていた。

「女神の名のもとに浄化を始める」

 冷酷な審問官、レナトが宣言する。アイリーンの口元が小さく動いたが、口を布で縛られた。祈りの力を使われないようにするためだろう。

 薪に火打ち石で点火し、油で濡れた藁に火種が落ちる。瞬間、火が燃え広がった。


 群衆の中、一人の老婆がそっと胸の前で十字を切った。一方で若い男が笑いながら叫ぶ。

「燃えろ! 異端者め!」

 子を抱いた母はその目を覆い、ささやく。

「見てはいけません……これは、正しいことじゃない……!」


 アイリーンは熱さで目を見開き、唸り声を上げる。

 これが教会の〝正しいこと〟? 違う、女神様はこんなこと、望んでいない。クララに間違われた二人の赤毛の少女も、教会の独断で行う苛烈かれつでむごたらしい刑の執行も、なにもかも真の信仰ではない!

「『女神マリテよ、迷える魂に導きを与え給え』!」

 クララが叫ぶように祈るとまばゆい光が火刑台と街全体を包んだ。その光は禁書庫にも届いていたのだが、クララは知らない。

 街の光より明るい光に、室内にいた人も様子を見に、窓から顔を覗かせる。

「……この光は、神の光?」

「魔法にしちゃ、眩しすぎるな」

 火刑台を取り囲む群衆も予想外の出来事に動揺が広がる。

「あか、げ……? こいつが〝クララ〟なのか?」

 その言葉にクララは、祈りの力で頭を覆っていたスカーフが取れていることに気付く。群衆の暴力が彼女に向かないよう、風詠みのやいばたちは戦闘態勢を取る。

「見ろ! 火が消えてるぞ!」

 若い男が火刑台を指差す。群衆はクララから火刑台に注目すると、アイリーンを舐めていた火は消え、彼女の燃えた服も元通りになっていた。



「……お前がクララという異端の聖女だな」

 レナトの言葉にクララは一歩、足を進める。他の審問官たちはレナトの一挙一動を見守っていた。

「ルーネ修道院所属、見習い聖女、クララです」

 上から下まで舐めるように冷酷な審問官がクララを見る。

「先ほどの奇跡、見事であった。だが、教会を否定する力でもあるな」

 レナトへまた一歩進めるクララ。彼女に槍を向ける審問官にレナトは手で制した。

「女神様の声です。私は『風の谷』でマリテ様の声を聞いた一介の信徒でございます」

「これはこれは。突拍子もない嘘をつくのか」

 また一歩、足を進めるクララ。たじろぎもしないレナトをじっと見据える。

「レナト様。私は神に誓って嘘を言いません」

「異端の神など。女神マリテは、教会は認めんぞ」

 翠眼は昔のように揺れず、まっすぐ冷酷な異端審問官を見つめたままだ。

「ならば教会より先に、女神様が私を見てくださいました」


 その時、誰かが群衆を押しのける音が響いた。

「下がれ! 枢機卿クレメンス閣下の御成りだ!」

 クララとレナトが視線を向ける先、黒衣の一団を従えて隻眼の審問官が現れる。

――――光の奇跡の次に訪れたのは、闇の策謀だった。



     *

 聖堂から広場を見つめるクレメンスはポツリと呟く。

「信仰の形はひとつでなくていい、か」

 この言葉はかつての弟子、ラッセルの純真な言葉だった。


 数年前、大司教と枢機卿を拝命する前のこと。修道院の庭で雑草を摘み取る彼は楽しそうに土いじりをしていた。

「精が出ますね、ラッセル君」

「ええ、神の恵みですから。でも同じ植物なのにいらないと捨てられる草と、重宝される草があるなんて初めて知りました」

 当時彼は十六歳。修道院に来たばかりの垢抜けない少年だった。

「人間の役に立つ植物は重宝されるんですよ。そのためには、成長を阻害する他の植物を間引かなければなりません」

「でも一見役に立たない雑草も、どこかでは重宝されるんでしょうか? 信仰の形はひとつではないように、この雑草も役に立つんでしょうね」

 クレメンスはその言葉にハッとさせられた。その時はどう答えたのか。権力争いに疲れた大司教の頭の中は霞んでいる。


 外の様子に目を見やると、十字の杭が燃えているではないか。

「レナトめ、暴走したな……」

 あの時、自分は「指示を待って実行」と言ったはずだ。この状況は望んだものではない。

「すぐに支度を」

 そばに立っていた部下に外出の用意を頼むと、白い法衣を着せられ、ロザリオを首にかける。

 もう一度、外の様子を見ようかと窓に立つと、まばゆい光が目に入る。

「なんだ、あれは……」

 目を凝らして広場を見やると、神々しい光が火刑台を中心に街に広がっていた。報告書に上がっているクララの奇跡だろうか。

「これが奇跡? あり得ない。これは神の御業だ……」

 クレメンスが驚嘆していると、部下から声がかかる。

「閣下。カルロスが至急の面会を――」

「通しなさい」


 カルロスが大司教に片膝をつき、頭を下げる。

「頭を上げなさい。それで、広場のアレはなんだ」

「はっ。禁書庫の焚書ふんしょの任で自分は知りませんが、部下によるとレナトの一存で火刑が実行されたようです」

 ふむ、と考え込むと、カルロスに命じた。

「今すぐ広場に案内せよ」

御意みこころのままに」



     *

「下がれ! 枢機卿クレメンス閣下の御成りだ!」

 群衆がどよめき、道が割れるように開いた。黒衣の一団の先頭に立つのは、左目に傷を負った審問官――カルロスだった。

 その後ろに、銀糸の刺繍が施された白い法衣をまとい、毅然とした足取りで現れたのは、大司教にして枢機卿、クレメンスである。


 クララは息を呑んだ。かつてラッセルが語った師、教会の良心――その姿が今、火刑台の前にあった。

 クレメンスの目は光の残滓に反射し、街を、群衆を、そしてクララを静かに見渡した。

「……この光は、そなたの祈りによるものか」

「はい、女神マリテに導かれました」

 クレメンスが答える前に、カルロスが前へ出た。

「閣下、奇跡に見えても、これは教会秩序への反逆です。ここで裁きを示さねば、信仰は民にあざけられましょう」

「口を慎め、カルロス」

 クレメンスの声は落ち着いてたが、言葉には冷たさがあった。

 レナトが一歩進み、クレメンスに問いかけた。

「閣下。これは正統と認められるものですか?」

 クレメンスは答えず、ただクララを見つめる。その目に揺れるのは、かつてラッセルを育てた慈愛か、それとも教会の重責に沈む迷いか――。


 そしてクレメンスが口を開くより先に、再び火刑台から煙が上がった。カルロスが密かに命じていた審問官が、残り火に再点火したのだ。

 群衆が悲鳴を上げる中、クララが再び祈りを口にしようとした、その瞬間――。


――――空が、割れた。

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