第二十一話:誓いの光と天の裁き

「なんだ、あれは……」

 一様に空を見上げ、ある者はおののき、ある者は手を組み、涙する。祈りと恐怖がルーネを支配した。クレメンスは神の裁きか救いかと思考する。それでもこの非現実的な光景から目が離せない。

 割れた空から扉が現れた。ゆっくりと開き、聖書の挿絵の女神の姿が露わになる。伏し目がちな女神を見つめる民衆が「自分と目が合った」と錯覚させた。

「マリテ様が顕現なされた! 奇跡がここにあるぞ!」

 そんな声が口々に上がる。


「馬鹿な……こんな奇跡、あり得るか!」

 レナトが絶望する。カルロスは小さく肩を震わせ、両膝から崩れた。

 クレメンスが一瞥すると、火刑台に再点火された火は消え、アイリーンを拘束する鎖が溶ける。このようなことが現実にあっていいものか。

「クララ! ようやく会えたわ!」

 飛びつくアイリーンに倒されるクララは、嬉しさで号泣していた。

「心配かけて……ううん、迷惑かけてごめんなさい。こんなに痩せて……。私もアイリーンさんに会いたかった」

「いいの。あたしはクララを信じていたから。あたしがいない間、力をつけたのね。……ま、つけ過ぎだけど!」

 頬のこけた彼女は以前と変わりなく、屈託のない笑顔でクララに話しかける。クララの疲れはアイリーンの無事で吹っ飛んでしまった。そしてお互いの無事に抱き合う二人。

「あなたの光がルーネを、あたしを救ってくれたのよ」

 彼女がそういうと、疲れからかその場に倒れ込む。ラッセルが自分のローブをアイリーンにかけ、横抱きに抱えた。


 禁書庫にいたドラズたちが広場につく頃には、信仰するものは膝を折り、祈りの体勢をとっていた。亜人たちは棒立ちのまま女神を見つめている。

「こりゃ……また派手にやってくれたのう、聖女様」

 禁書の山を亜人たちに配り、信仰の自由を説く。

「これは聖女クララの奇跡の一端だ。祈りの力を使えるのはユマン種だけじゃないぞ。ワシら亜人にも使えるとこの本に書いてある」

 両手を組んだニャルティが祈りの言葉を紡ぐと、小さな光が灯った。

「……この通り、女神様は我々の言葉も聞いてくださるんだ」

 禁書――エリウスの書をペラペラとめくっていたリザードマンが女神を見上げる。

「女神はいたのか……。伝承の妖精女王のように我らをこんな風に見守ってくださっていたのかな」

「そうだ。教会のように区別してなんかいないし、見放してなんかいない。信じなくていい。ただ、こんな神様もいるんだと知ることが大事だ」

 ドラズがリザードマンの肩を叩くと、ニカッと歯を見せた。

 そして女神の声が街に響く。


『聖女クララ。あなたの行いを天から見守ってきました。ですが、あなただけではこの騒動を収められないと判断し、地上に声を届けることにしました』

 荘厳で慈愛に満ちた声は『風の谷』でクララが聞いた声と一致した。

「女神マリテ様。あなたの望む『全ての者に祈りを』に私は応えられましたか?」

 マリテは口元に微笑みを称え、大きな指先をクララの頭に添えた。

『信仰は〝力〟ではありません。異種族とも手を取り合える〝絆〟です。それを体現できたあなたの存在そのものが〝答え〟でしょう』

 やおら目が開き、ひと呼吸置く。

『マリテの名を持って宣言する。ルーネ修道院所属、クララを聖女と認める』

 女神はその宣言を言い残し、扉の向こうに帰っていく。やがて扉は消え、割れた空も元通りになっていた。


 残された民衆が静寂を切り裂く。

「聖女クララ、バンザイ!」

「聖女だって! 良かったわね、クララ!」

 リリスが茶化すが、目は穏やかだ。風詠みたちもその様子に笑顔を浮かべる。


「女神マリテ、まるで〝西洋人〟のようだ。やはり地球から……? それに……」

 セルゲイが顎に手を添え、ぶつぶつ独り言を呟く。

 そして顕現した直後に脳内に浮かんだ『冬木悠真』という名は確か前世の名だったはずだ。それが今になって思い出す? なんで忘れていた? そういえば、エルフセルゲイの魂は――。

 次の対峙すべき相手が決まった。


「皆のもの、静まれ。女神マリテの宣言のとおり、クララを聖女と認めよう。枢機卿クレメンスが改めて宣言する」

 民衆がクレメンスの宣言に白熱し、一気に湧き上がった。人々は踊り、盃を交わす。

 棒立ちの審問官二人に向き直り、鋭い眼差しで言い放った。

「レナト、カルロス。両名は沙汰を待て」

 カルロスは「焚書ふんしょは無駄だった」とうめき、レナトは剣を握り睨む。

「おっと、それ以上の抵抗は無駄だよ。アルテリア王国第三王子、リアン・フェルド・アルテリウスがクレメンス卿の言葉を見届けたからね」

 レナトたちの前に紫紺の王子が現れた。

「放蕩王子か……」

 レナトが小さく呟くと、咳払いで誤魔化す。

「これは殿下。お見苦しいところを見せてしまい、失礼しました。もちろん枢機卿閣下の御言葉に従いますとも」

「教会は相当腐敗しているようだ。クレメンス卿、教会の改革を誓えるか?」

 枢機卿は片膝を折り、リアンに傅いた。

「御心のままに。わたくしは女神マリテに誓い、教会の改革を進めてまいります」

 リアンはクレメンスの肩に触れ、忠誠に応える。クララはリアンの王子としての姿に胸が高鳴った。


 ラッセルはアイリーンを横抱きしたまま傅くクレメンスを見つめる。メガネ越しの碧眼は弟子だった時のまま澄んでいた。

「〝信仰〟か〝改革〟かという答えを一介の修道女……いや、今は聖女様か。導いてくれたのだな。わたくしは教えられてばかりだ」

 ラッセルはかつての師匠の姿に何を思うのか。落胆していないといいが。自分はしっかりと若いものを導く〝大人〟になっているのか。それは誰にも分からない悩みだろう。

 しかし、彼もまたこの悩みにぶつかる時が来る。その時に自分を思い出してくれたのならこれほど名誉なことはない。それは〝大司教〟でも〝枢機卿〟でも得られないものだ。


「さぁクララと愉快な仲間たち! 仕事は終わったよ! 歌おう、踊ろう!」

 いつものリアンが飛び出すと一行はずっこけてしまった。

「せっかくカッコいいと思ったのに、なによその態度」

 リリスがぼやくと、レオとガルドが深く頷いた。

「なんだよ、キミたちだって騒ぎたいだろう? ラッセルくんはアイリーン嬢の介抱が先かな? あ、衛兵くん。聖女様のご友人をボクの別邸まで運んでくれるかい?」

 衛兵がそそくさとラッセルからアイリーンを奪うとどこかに消えていく。

 クララはというとぶつぶつと独り言を呟くセルゲイを心配そうに見つめていた。

「クララ? 早くキミを祝わせてくれないか」

「あ、はい。でも前と同じように接していただけると助かります。マリテ様と同様、〝信仰者〟ですから」

 異国の装いの聖女は恥ずかしそうに俯いている。


「ルーネ名物、エルフの歌は聞きたくない? 私が『風詠みのやいば』の弓使いリリスよ」

 リリスは民衆に問いかける。皆、歓声を上げ、応えた。

「それならこの俺、ガイルンのリュートにのせよう」

 一人の吟遊詩人が名乗り出て、セルゲイが我に返る。

「ガイルンさん! この間はありがとうございました」

「何言ってんだい、英雄さん。他の街にもあの事件の歌を届けていたから、そっちには行けてないね。今日は再会を祝して歌おう!」

 思わぬ再会に笑顔が溢れる。

 リュートの音は聖女の誕生と、吟遊詩人と墓守の英雄の再会に楽しげに弾んだ。そこにリリスの優美な旋律が加わる。酒場の店主もここぞとばかりに宣伝を兼ねた大盤振る舞いをする。

「さぁさぁ、『酔狼亭すいろうてい』の美酒が今ならタダだ! 広場に樽を用意したから存分に楽しんでくれ」

 広場には歌に合わせて踊る者、酒を交わし美酒に酔いしれるもので一杯だ。

 そして夜は更けていく。

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