第十九話:祈りの光と禁書の炎

 クララと風詠みのやいば一行は、ルーネの修道院へ急いだ。

「斥候の情報によると地下牢の奥にアイリーン嬢が囚われている。その前に衛兵を無力化しないといけないね。ボクの出番だ」

 リアンがロマーの変装を解くと、月光に輝く金髪が露わになる。異国情緒溢れる衣装でも隠しきれなかった高貴さが解き放たれると、道行く人の目を引いた。

「アルテリア第三王子?」

「またお忍びかなぁ。お急ぎのようだよ」

 クララは改めて高貴な王子の横顔を眺める。端正な横顔は彫刻のようだ。王族独特の紫紺の瞳は宝石のように揺れる。リアンがこちらの視線に気付くと、ウインクしてみせた。

「みんなはそのままの格好のほうが良いね。特にクララ。キミは髪を隠すように」

「分かってル。でも装飾は外していこウ。動きにくくて仕方なイ」

 ジャラジャラした装飾品をカバンにしまう。リリスは少し残念そうだ。



「アルテリア王国第三王子、リアン・フェルド・アルテリウスだ。夜分に済まないが修道院の視察をしたい」

 修道院の門前で衛兵と交渉をする王子のそばには、六人のロマーがいた。

「このジプシーたちは何者です?」

「旅で出会った流浪の民さ。聞くとこの国の宗教に興味があるらしく、修道院を見学したいそうだ」

 衛兵はいぶかしんだが、王族かつ修道院に寄付もする王子の頼みだ。しかし、眉間にシワを寄せる羽飾り帽子の青年の面影に見覚えがある。

 修道院長にこのことを報告し、一行を通すことにした。


「……こんな夜遅くに視察とは、なんのつもりです?」

 院長が聖書片手にリアンたちを出迎えた。夜なのに眩しそうに目を細める青年には特に見覚えがある。ルーネいちの不良修道士ラッセルだろう。

 ハーフエルフの青年はともかく、狼獣人にエルフ、ドワーフなんて風詠みの刃そのものじゃないか。お粗末な変装だ。おそらく地下に収容したアイリーンが目当てだろう。

 だが、ここに来たのなら好機だ。なるべく時間をとってここに留まらせ、教会の人間を待つのが得策。

「ロマーの一行はこの国の宗教に興味があるそうだ。すまないが簡単に案内を頼みたい」

 リアンが営業スマイルで答える。

「いえいえ、それでは寝泊まりできるよう部屋を整えましょう。それまではここを案内す――」


「リアン、バレてル。院長、オレたちを知っているナ」

 レオが口を挟むと、素早く院長を拘束し、口をふさぐ。

「認識阻害の魔法にも限界があるからのう。ユルゲンのゾーイなぞ、良い例じゃったろう? 『バインド』!」

 拘束魔法で院長を改めて拘束すると、恨めしそうに一行を睨んだ。

「たはは、やっぱり目立ちますよね……」

 メガネを取り出した羽飾りの帽子の青年はやれやれと言った様子で肩をすくめる。

「日頃の行いのせいで目立ったんでしょうが。私たちもここに何度か来てるし、バレるのは当たり前ね」

「地下牢への階段はどこです?」

 セルゲイが声をかけると、クララが答えた。

「こちらです。案内しましょう」



 地下はカビと臭気で蔓延していた。階段を降りきると、見張りの僧侶が集まる。

「何者だ!」

「『フロート』!」

 三人の僧侶が宙に浮き、降ろせと騒いでいる。その頬にレオが拳を食らわせると大人しくなった。バインドで拘束すると隅に転がせておいた。

 その騒ぎに気付いた収監者が一斉に騒ぎ出す。

「出してくれぇ! 頼む、後生だ!」

「こっちだ! 俺はここにいる!」

 その声に応えるように僧侶たちが五人ほど奥の部屋から出てきた。リリスが魔力のこもった歌を歌うと、騒いでいた収監者らは眠り、僧侶らも次々に倒れた。

「……みなさん、眠ってらっしゃいますね」

 クララが倒れた僧侶を確認すると、ガルドは拘束魔法で僧侶を縛る。

「異端審問官がいない? 妙ですね」

 ラッセルが疑問を口にする。アイリーンが収監されているだろう収容房を確認すると、そこに彼女の姿はなかった。湿気ったパンとスープだったものが散乱している。

 他の収容房も確認したが、少女の姿はない。

 するとルーファスが息を荒げて地下牢に現れた。

「大変だ! 広場で火刑の準備が始まってる。緑髪の嬢ちゃんも一緒だ!」



     *

 禁書庫のある聖堂の地下では、ハンマー使いのドラズを中心とした亜人たちが扉の前に集結していた。オークの扉には錠がかけられておらず、中から低く威厳のある声が聞こえている。

「明らかに罠だな。しかし、禁書を焼却してしまうおそれも大いにあろう。皆のもの、参るぞ」

 重い扉を荒々しく開けると、隻眼の異端審問官の姿が目に入った。

「待ってたぞ、異端共」

 黒衣の審問官たちがこちらを向く。

「審問官ども、信仰を曲げる気か」

 ドラズのつちを握る手が強くなる。権威への恐れ、焚書ふんしょへの怒りがそこには込められていた。

「信仰を曲げたのは異端の聖女の方だろう。お前たち亜人は這いつくばって漫然と生きているのがお似合いだ」

 コボルトの戦士がカルロスに唸る。教会はユマン種を優遇し、亜人の信仰を拒んでいる。だが、クララは違った。亜人である自分たちにも分け隔てなく接してくれた。そして信仰を教えてくれたのだ。

「バトン、落ち着け。審問官殿、ワシはドラズ。禁書の開放と信仰の自由を進めるドワーフだ」

 恰幅の良い体躯にハンマーを軽々回すドラズは、隻眼の審問官に自己紹介をした。

「これはこれは。オレは異端審問官、カルロス。信仰は人間のためにあるのだよ。ドワーフや犬猫のためにあるんじゃない」

 名乗り返した審問官は顎をしゃくり、左目の傷を触る。そして今にも襲いかかりそうな同胞を右手で制した。


「エリウス・ヴェリタス……彼は高貴な生まれながら教会の教義に反した異端者だ。やはりこんな書、残さず燃やしておくべきだろう」

「クララ様は字も読めないワシらにその書の一文を教えてくれたんだ。『マリテを信ずる者、祈りを捧ぐる者には、魔力適性の有無を問わず、奇跡の力が発現せり。他種族にもその恩恵は及びしこと、記録に明らかなり』と。そして冒険者の間では他種族にも祈りの力が届くこと、祈ればワシらでもマリテは応えて下さると実践してくれた」

 カルロスが吹き出し、他の審問官からも笑いが漏れる。

「笑わせてくれるな。確かにクララの奇跡は規格外だった。それは認めよう。だが、亜人に祈りの声が届き、あまつさえ力の行使ができるだと? 冗談も休み休み言え!」

 ドラズの目が鋭く光る。ニャルティの戦士が食ってかかりそうになるが、猫耳にドラズが耳打ちをした。審問官に向き直り、カルロスに語りかけた。

「……もし、本当だったら?」


 その問いに、カルロスは大司教クレメンスの信仰と改革に揺れる姿を思い出した。大司教――もとい、枢機卿はこの事実に気づいているのか? それにただの地方の一聖職者ごときが教皇の道に自分より近いとは、上は見る目がない。

「考えてやろう」

 カルロスの言葉に、ニャルティとかいう猫獣人が両手を胸の前で組みだした。毛むくじゃらの薄汚い服で聖職者の真似事か。これは笑っていいところか?

「『女神マリテよ、我が問いに答えて光を示し給え』」

 やがて小さな光が禁書庫を照らす。違う、これは〝魔法〟だ。審問官たちに動揺が広がる。否定しろ、肯定するな。これは〝魔法〟だ。そうに決まっている。

「……っ。それは、祈りに見せかけた〝魔法〟だな。こんな芸当ができるようになるとは、芸達者な猫だな、ははは」

 声が上ずってしまった。悟られなければいいが。

「これが〝魔法〟の詠唱なものか! 認めろ、これが〝事実〟だ!」

 ドラズの言葉にグッと詰まらせ、カルロスは後ろに一歩下がる。だが部下の手前、自分が折れるわけにはいかない。意を決したカルロスが叫んだ。

「オレは認めんぞ! 『おお、女神マリテ。聖なる炎でかの者たちを包み給え』! これで異端の芽を摘んでやる!」

 書庫に広がる炎は敵味方関係なく、火が足元を舐める。散らばった禁書が放射線状に燃え移り、審問官たちが火から逃れようと出口に走っていった。獣人を突き飛ばし、我先にと逃げる人間たちと、本に燃え移った火を消そうと行動する亜人たち。

 炎の中で高笑いをするカルロスは、この世の醜さをこの場で感じていた。


――――その時。

『女神マリテよ、迷える魂に導きを与え給え』

 甘やかな声が燃え盛る地下に届いた。――あの声はクララだ。

「またか、クララ、クララ……! 異端だ! これ以上の奇跡は利用も出来ん!」

 カルロスが地団駄を踏んでいる最中も、火はみるみる消えていく。ドラズが目を丸くしながらも膝を折り、クララに、いや神に祈っている。他の獣人たちも一様に膝を折った。

 煤けた本の表紙には禁書の印。その印も煤で焼けて消えかかっている。これでは追跡ができないであろう。その本を大事そうに亜人たちは抱えてカルロスを置いて出ていった。

「……そうだ、広場。火刑が行われるはずだ」

 立ち尽くすカルロスが我に返り、禁書庫を後にした。

 

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