それでも、アイドルが好きだ
千歳ミチル
君がセンターに立つ日まで
世の中には、二種類のアイドルしか存在しない。
ステージの上で光り輝くものと、それを見つめるしかないもの。
考えてみれば残酷な話である。けれど、
つまり、完璧な存在だった。
だからこそ結菜は、十八歳の春に地元のご当地アイドル『ドリーム☆キャンディ』のオーディションに合格したとき、本当に嬉しかったのだ。
「お母さん、泣くほど喜ばなくてもいいんだけど」
「だって、結菜が夢を叶えたのよ?」
「いやいや、まだここからだから」
そう笑いながら、結菜自身もちょっとだけ目を潤ませていた。
もちろん、『ドリーム☆キャンディ』なんて小さなグループだ。ライブは小規模だし、歌う場所だってショッピングモールや地元のイベントステージがほとんどだ。それでも念願のアイドルだという事実は揺らがなかった。大学に通いながら、週末にはステージに立つ日々。それは結菜にとって、決して悪いものじゃなかった。
けれど、世の中はいつだってシンプルじゃない。
ある日曜日の午後、楽屋に入ってきたマネージャーの顔が暗かった。その表情だけで、結菜はすべてを察した。
「ごめん、今日、お客さん五人しかいないらしい」
場の空気が、一気に冷める。
ちらりと横を見ると、センターを務める
茉莉はこのグループのエースだ。明るく、元気で、笑顔がトレードマーク。可愛さもパフォーマンスも飛び抜けているし、地元では一番人気がある。結菜にとっては、理想を体現したような女の子だ。
でも、その茉莉ですら、最近は明らかに疲れていた。
「茉莉ちゃん、人数なんて関係ないよ。頑張ろ」
結菜は自分でも驚くほど明るく声を出した。誰に言い聞かせているのか、自分でもわからなかったけど。
「……うん」
茉莉の返事は弱々しい。無理もない。誰だって疲れるし、弱音だって吐きたくなる。でも、それを見る結菜の胸まで、ちくりと痛むのだから困ったものだ。
五人のためのステージ。
そんなものは存在しない。アイドルなら、目の前の一人のためにだって全力でパフォーマンスをするのが仕事だ。人数を気にしている場合じゃない。
「今日は五人だけど、五千人いるつもりでやろう!」
強引に自分のテンションを上げ、結菜はステージに飛び出した。拍手は少なくて、歓声なんてゼロに近かったけれど、端の席で楽しそうにペンライトを振ってくれている人がいた。小さく手を振り返した瞬間に、結菜は自分の中でかすかな熱を感じた。やっぱり、私はこれが好きだ。
けれど。
舞台袖に戻ると、茉莉は一言も発さずに化粧室に消えた。その背中をじっと見つめながら、早瀬葵がため息混じりにつぶやいた。
「茉莉、もう限界じゃない?」
結菜は沈黙するしかなかった。
葵の言葉には、一切の否定ができなかった。
その夜、帰宅した結菜は薄暗い部屋でスマホを眺めていた。正確には、眺めるというよりは睨みつけていた。ファンが増えない不安と、気づけば増えているアンチの数を、指で数えるように画面をスクロールする。画面の冷たい光だけが、部屋をぼんやりと照らしていた。
『ドリキャン、そろそろ限界じゃない?』
『最近の茉莉、無理して笑ってるの見え見え』
世間の目は残酷だ。客観的で、冷静で、悪気がなくても平気で誰かを傷つける。特に人気者ほど、そうだ。アンチは茉莉の可愛さや完璧さに耐えられなくて攻撃するのだろう。人は完璧を求めるくせに、完璧なものが現れると否定したくなる生き物らしい。
自分でも性格が悪いな、と結菜は思う。それでもスクロールをやめられない。ほとんど自傷行為だ。
『深町結菜って誰?』
結菜の指が止まった。
鋭い痛みが胸を突き刺した。誰かの悪意よりも、ただ無関心に放たれた言葉の方がずっと痛い。アイドルは、存在してこそ意味がある。認知されなければ、ただの透明人間だ。
息を吐き、スマホを置こうとしたその時だった。
『今日、結菜ちゃん客席5人でも一番笑顔だったよ。推すしかない』
ごく短い書き込み。匿名の誰か。でも、その短い言葉が、結菜の心の隅でゆっくりとほどけて広がった。気がつくと、画面がぼやけていた。
たぶん、今までの人生で一番うれしい瞬間だったかもしれない。
「好きになってもらえた」
涙が頬を滑った。たった一人でいい。その一人がいる限り、自分はアイドルでいられる。
それ以来、結菜は変わった。
SNSのプロフィールを変えた。シンプルに一行。
『あなたがいる限り、私はずっとアイドルです』
それを見て、茉莉が小さなDMを送ってきたのは翌日のことだった。
『結菜ってほんとアイドル向きだね。私、羨ましいよ』
辞めてしまった茉莉の短い言葉に、涙が溢れた。
そして、その週末のステージで、結菜は自分でも信じられないほど、大きな声で言った。
「私は、アイドルが好きです!」
客席が静かにどよめいた。けれど、その直後に温かい拍手が沸き起こった。
最前列には、変装した茉莉がいた。小さなうちわに「結菜ちゃん」と書いてある。それが見えた瞬間、胸がぎゅっとなった。
ステージの光は眩しくて、客席はよく見えなくなったけれど、その瞬間だけは、確かにすべてが輝いて見えた。
ステージが終わった後、楽屋に戻る途中の薄暗い通路で、見慣れたシルエットが待っていた。マスクをしたままのその人は、少し恥ずかしそうに小さく手を振った。
「茉莉ちゃん……」
「お疲れ」
茉莉は淡く微笑んでいた。その顔は、昔の茉莉と同じようで、少し違うようでもあった。
「なんかさ、私、自分でもびっくりしちゃった。結菜のステージ見て、泣きそうになっちゃって」
「え、茉莉ちゃんが?」
「うん、私が」と、茉莉は恥ずかしそうに笑った。「結菜、本当にすごいよ。ステージ、ちゃんと守ってくれてありがとう」
そんなふうに言われると、胸が熱くなって何も言えなくなる。結菜は自分が思っていたより、ずっと茉莉の存在が好きだったんだな、なんて、今さら気づいた。
「私、茉莉ちゃんが辞めたとき、本当はめちゃくちゃ怖かったんだよ」と、結菜は呟くように言った。「グループも、私も、もう終わりだって。でも、好きって気持ちが消えなくて……」
茉莉が小さく頷く。
「それ、わかる。アイドルってね、辞めたらもう楽になると思ってた。でもさ、辞めても好きなままだった」
「え?」
「辞めてみて気づいたんだよね。私、本当はずっとステージに立っていたかった。叩かれるのは嫌だけど、やっぱり好きだったなあ、アイドル」
結菜は黙って聞いていた。茉莉の瞳には後悔とか悲しさとか色々なものが混ざり合っていた。でも、最後に浮かんだのは、結菜が好きだった頃と同じ、あのまぶしい笑顔だった。
「だからね、結菜にはずっとステージにいてほしいんだよ」
茉莉の言葉は、重たくて優しくて、少し悲しかった。
「茉莉ちゃん、戻ってくる気はないの?」
聞いてから後悔した。茉莉はゆるく首を振った。
「私はもう、違う道を行く。でも、結菜がステージにいる限り、私はずっとファンだから」
茉莉はいたずらっぽく笑い、小さく手を振った。
「頑張ってね。結菜は、私の一番の推しだからさ」
そう言って彼女は、客席へと歩いていった。
私の一番の推し。その言葉が胸に残った。
こんなことがあるから、やっぱりアイドルはやめられないのだ。辛くても、泣いても、理不尽でも、好きだという気持ちが私をステージに縛りつける。
結菜は深呼吸して、次のステージへ向かう扉を開けた。
それでも、アイドルが好きだ 千歳ミチル @hutuunohitoninaritai
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