第31話
凛華先輩のお父さんの家に着いた。この家に来るのも今日で最後だ。
駐車場には前とは違う車がとまっていた。色も形も違う車。庭を覗くと雑草がなくなって、綺麗な庭になっていた。
インターホンを鳴らして、家へ上がり、またリビングに通された。
テレビ台を見ると、家族写真がなくなっていた。この前感じた家族という気配がなくなっている気がした。
ソファーに腰掛け、前にあるテーブルに目をやると封筒とハサミが置かれている。先輩のお父さんが封筒を手に取り、僕に渡す。
「君が開けるだろ?」
「はい。じゃあ、開けます」
ハサミを手に取り、封筒の上の部分を慎重に切っていく。切り終わり、封筒の中に指を入れる。書類を掴んでゆっくりと取り出すと、文字が見えた。
父子鑑定報告書、と書いている。
静かな空間に、僕の心臓の音が響いているような気がする。手のひらは熱を帯び、書類が濡れてしまうのではないかと思うくらい汗が出てしまいそうだ。
一気に書類を取り出し、その勢いで書いている文章を読んで、先輩のお父さんに渡した。
目を瞑ると、全身の力が抜けていった。ソファーと一体化しそうなくらいソファーに体が沈んでいく。目を開けると、天井の照明が眩しかった。良い眩しさだった。
「真絃くん。良かった、と言っていいんだよね?」と先輩のお父さんが言う。
僕は体を起こし、背筋を伸ばした。
「はい。良かったです。本当に良かった。僕はお父さんの子だった。凛華さんとも姉弟じゃない。あなたは……罪悪感が増えなくて良かったですね」
「そう……だな。でも、君を不安にさせてしまった。本当に申し訳ない」
「別に大丈夫です。これからは、誰も……というか、凛華さんを不安にさせたり、裏切ったり二度としないでください。いつか凛華さんに会えるといいですね……」
「うん。君に会って、凛華に会いたいという気持ちが強くなった。だから、少しでも凛華に相応しい父親になれるように今頑張ってる。君のおかげだよ。ありがとう」
「別に僕は何もしてないですよ……。あの……、相応しいとか相応しくないとか関係なく凛華さんのたった一人のお父さんなんですから、会いたいって言ってみたらどうですか? きっと凛華さんは会ってくれると思いますよ。僕のお母さんなんて容赦なく会いたいって言ってきますよ。神経が図太い母親ですよ……ていう話はどうでもいいですね。じゃあ、僕そろそろ帰ります」
玄関を出て、「ありがとうございました」と言って僕は歩き出した。少し歩いて後ろを振り返ると、先輩のお父さんは深々と頭を下げていた。
***
朝起きてすぐ、凛華先輩に、『今日話したいことがあります。誰にも聞かれたくないので、二人になれる場所で話したいです』とメッセージを送った。
電車で学校へ向かっている時に先輩から、『分かった。じゃあ17時に駅前集合で』と返事が来た。
授業が全て終わり、駅へと向かう。
今から僕は凛華先輩を傷つける。
先輩とは姉弟ではなかった。これからも友達としてそばにいられると思った。でも、今日僕は先輩を傷つけるから、嫌われて友達ではいられなくなるかもしれない。もう二度と先輩に近づくことができなくなるかもしれない。
それでも、凛華先輩が幸せになるために、僕は先輩を傷つける。
先輩を傷つけるという重みが、体を重くさせる。本当は傷つけたくないと言う気持ちの壁が、行く手を阻む。
僕よりもあとに学校を出た生徒が一人、また一人と僕を追い越していく。いつも通りに歩いているつもりだけれど、僕の心がブレーキをかけている。
空を見上げると、灰色の雲が空全体を覆って、僕の心も曇らせる。今にも雨が降り出しそうだ。
駅の改札口前に先輩の姿が見えた。
姿勢が良くて、堂々としていて、黒い綺麗な髪がなびいている。
先輩が僕に気づき、胸の前で小さく手を振っている。
「お待たせしました。遅くなってすみません」
「大丈夫。そんなに待ってないよ。どこで話す?」
「誰もいないところですかね……」
「ウチの近くの公園とか? いつも誰も見かけないし……久しぶりに公園に行きたい真絃と。高校生の時よく公園で話してたよね」
先輩が微笑んでいる。
「そうですね」と言って、僕も笑った。
僕達は電車に乗り、先輩のアパート近くの公園へ向かった。
公園に向かって歩いていると、冷たい何かが頭頂部に当たった。空を見上げると、無数の雨が落ちる線が見えた。雨の線が次々と僕に向かってくる。
「あ、雨だ。そういえば梅雨入りしたってテレビで言ってたね」と先輩が空を見上げて言った。
「どうします? 公園無理ですね。どこか……」
「あ、カラオケは? すぐ近くにあるよ。個室だし、ゆっくり話せるよね」
僕が頷いて、僕達は走ってカラオケ店に向かった。
カラオケ店に着いて、受付をし、部屋に入った。設置されているテレビはCMが流れていて、どこかの部屋から歌声が聞こえてくる。
「小雨だったけど、けっこう濡れちゃったね」
先輩が椅子に腰掛け、濡れた髪を整えている。
僕はカバンの中から小さめのタオルを取り出し、先輩に渡す。
「ふいてください」
「え、いいよ! 真絃が先にふいて」
「僕は髪が短いのですぐ乾きます。先輩ふいてください」
「ありがとう。真絃は準備がいいね。私なんてハンカチも忘れちゃった」
先輩が黒くて綺麗な髪を丁寧にふいている。
僕は先輩と少し距離をとって横に座った。
「ハンカチ忘れるなんて、がさつですね」
「……がさつですみませんね」
先輩を見ると、僕を睨んでいた。僕は思わず、ふっ、と笑った。先輩も徐々に口元が緩んで、あはは、と笑った。優しい目をして笑っていた。
先輩の笑顔を見ると、僕の心臓が、ぎゅう、と縮まるような感覚になる。
別の部屋から男性の歌声が聞こえる。この曲誰の曲だっけ。
「この曲ってさぁ。前に話題になったドラマの主題歌だよね」と先輩が言う。
「あーそうですね。でも誰の曲か思い出せません」
「真絃の脳が衰えてる」
「そういう先輩は誰の曲か分かるんですか?」
「ん? 思い出せない」
「先輩も脳が衰えてるじゃないですか」
先輩がまた、あはは、と笑った。
胸が締め付けられる。
そういえば、ドラマってハッピーエンドだったっけ。主人公は幸せになったんだっけ。
先輩。僕は先輩とこうやっていつまでも笑い合いたいです。先輩のそばにいて、たわいもない話をしたいです。
「先輩。今日は話したいことがあります」
「何?」
「今日僕は先輩を傷つけます」
「え? どういうこと? また私のこと、がさつ、とか言うんでしょ?」
先輩が笑っている。僕は笑わない。
「違います」
「え? じゃあ、何?」
笑わない僕を見てか、先輩から笑顔が消えた。
先輩。ごめんなさい。傷つけます。
「先輩の彼氏、浮気してます」
先輩は表情ひとつ変えずに前を向いた。
「知ってる」
知ってる、という言葉が理解できなかった。
「……えっ? 今なんて言いました?」
先輩の表情は変わらない。
「だから、浮気してること知ってる」
僕達は愛を信じられない、でも、 七瀬乃 @nanaseno
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