第26話
浮気の写真を撮り終えてから湊と合流し、居酒屋へ行った。
居酒屋でご飯を食べながら、湊から散々説教された。
「探偵みたいな真似をして、写真を撮ったことがバレて、先輩の彼氏が逆ギレして真絃を殴ったらどうするんだ」とか。
「あれは凛華先輩と彼氏二人の問題なんだからこれ以上首を突っ込むな、もう先輩と関わらないほうがいい」とか言われた。
関係ないのは分かっている。でも、親の不倫で傷ついてきた先輩を知っているのは僕だけなんだ。そんな先輩が彼氏に浮気されているなんて知ったら放っておけない。浮気されている先輩を想うと心が痛いんだ。
湊は僕にこうも言った。
「もう先輩に振り回されるな、真絃は先輩の近くにいるとおかしくなる」と。
僕はこの時初めて湊を睨みつけた気がする。
違う。僕がおかしくなったのは母親が不倫をしていたからだ。先輩が近くにいるからじゃない。
「湊の親は不倫なんかしてないだろ? 湊に僕達の気持ちなんて分からない」と言った。
湊はそこから黙ってしまった。
次の日学校に行くと、湊と挨拶は交わしたけれど、いつもよりもお互い口数が少なく、気まずいままだった。
湊に僕達の気持ちなんて分からない、とか、最低なことを言ってしまった。謝るべきなんだろうけれど、謝るタイミングが分からないし、今また湊と普通に話しても言い合いになりそうだ。
三限が終わって自販機でコーヒーを買い、すぐそばにあるガラス張りのドアを開け、外に出た。壁にもたれかかって、外の空気を吸いながらコーヒーを飲む。
目の前にあるガラス張りの窓から教科書を抱えた生徒達が見える。この中にあの裏切り者二人がいたら、また怒りが湧いてくるかもしれない。今はあの二人の顔を見たくないので、地面に視線を移した。
スマホを触ろうとしたけれど、浮気の証拠写真がここに入っていると思うと、スマホを触りたくなくなった。
ガラス張りのドアが開く音がして顔を上げた。
凛華先輩だ。
「真絃、一人で何してるの?」
先輩の目を見ることができない。
「外の空気吸いながらコーヒー飲んでます」
「そっか。手、怪我したの?」
先輩が僕の右手を見ている。僕は右手を隠した。
「あ、はい。ちょっと……」
少し傷が痛む。それと同時に心臓もズキっと痛む気がした。
スマホで時間を確認すると、授業まであと五分だ。
「先輩も一人でどうしたんですか?」
「私も外の空気を吸いに」
「……友達は?」
「先に次の教室に行ってる」
「そうですか……。あの……先輩の一番仲の良い友達って誰ですか?」
先輩の一番仲の良い友達が、あの女じゃなかったら、まだマシだ。もし浮気がバレて、その人と友達ではなくなったとしても先輩のことを支えてくれる友達が他にもいるのなら僕は安心だ。
「一番仲が良いのは……
「春菜……。その人の写真ってありますか?」
「うん。あるけど……何で?」
「僕以外の友達ってどんな人なのかなって興味が湧いただけです」
「……そっか。ちょっと待ってね」
先輩がポケットからスマホを取り出し、写真を探してくれている。
「はい。私の横に写っている子が春菜だよ」と言って、先輩がスマホの画面を僕に向けた。
先輩の横に写っている春菜って人は、やっぱり先輩の彼氏の浮気相手だ。
「これ最近の写真ですか?」
「うん。そうだよ」
先輩の横で何食わぬ顔で笑っているのが許せない。浮気や不倫をする人は、裏切っている人の前で平然と笑えるんだ。お母さんもそうだったもんな。
「先輩、他の友達は?」
「……学科の子達はみんな仲良くしてくれるんだけど、友達って言っていいのか分からなくて……」
「友達って言っていいんじゃないですか?」
そうじゃないと、先輩を支えてくれる友達が他にいないと、もしものことがあったら先輩の心が壊れてしまう。
「うん。友達って思ってご飯誘ってみようかな」
「うん。いいと思います。……そろそろ僕行きますね」
「うん。私も教室行こうかな。じゃあね」
「はい」
結局先輩の目を見ることができなかった。
今の先輩は、親の不倫で傷ついた心が癒えてきていると思う。せっかく癒えてきている時に、先輩の彼氏が浮気をしていると知ったら、また心が傷ついてしまう。これ以上先輩の心の傷を増やしたくない。
先輩を傷つけない方法。彼氏とも、友達とも今の関係を続けられる方法。先輩が幸せになる方法。
僕があの春菜っていう友達を誘惑する。これは正直言って無理がある。僕はイケメンでもないし、コミュニケーションが得意なわけでもない。やっぱりこれしか思い浮かばない。
写真を使って脅迫する。
先輩が浮気に気づく前に別れさせることができたら、先輩は傷つかない。彼氏と上手くいく。友達ともこれまで通り仲良くできる。
先輩には幸せになってほしいんだ。
***
玉ねぎ、合い挽き肉、パン粉、牛乳、塩胡椒、ナツメグ、卵、そして、ステーキソース、ケチャップ、ウスターソース。
これでたぶんお母さんのハンバーグの味を再現できるはず。お母さんのことは恨んでいるけれど、食べ物に罪はない。
あの柔らかくて、肉汁が溢れるハンバーグに二種類のソースを交互につけて食べるのがたまらない。
市販のステーキソースと、ハンバーグを焼いたフライパンでケチャップとウスターソースを少し煮詰めたソース、この二種類のソースをつけたハンバーグがたまに無性に食べたくなる。
こうやって料理をしていると、嫌なことを忘れられる。昨日から浮気のことを考えすぎて疲れてしまった。
まず玉ねぎをみじん切りにしよう。玉ねぎの皮をむいて、半分に切る。縦と横に切れ込みを入れて、細かく切っていく。
「ただいま」
お父さんが仕事から帰ってきた。鞄を置き、ネクタイを緩めている。
「おかえり。ごめん。まだご飯できてない」
「あぁ……おなかすいてないから、ゆっくりでいいぞ」
「分かった。先にお風呂入ってきたら?」
玉ねぎが目にしみてきた。
「あぁ。そうしよう。その前に、真絃……あのな……」
「何?」
「お母さんに会わないか?」
みじん切りしていた手を止めた。目がしみて痛い。
お母さんと会うなんて全く考えていなかった。もう一生会わないのではないかと思っていた。
「何で?」
「今までお父さんのわがままで、お母さんには真絃に会わせないって言っていたんだが、もう真絃は十八歳で成人しただろ? だから、真絃が自分で判断してほしい」
「僕は別に……」
会いたいとは思わない。でも、一つだけお母さんに訊きたいことがある。
「お母さんからはずっと会わせてほしい、と言われていたんだ。今までごめんな」
「いや、別に大丈夫。お父さんがいいなら一度だけ会ってくるよ」
「うん。分かった。連絡先は変わってないから真絃から連絡してもらえるか?」
「うん。連絡してみるよ」
もうこれ以上、玉ねぎをみじん切りしていたら涙が出そうなのでやめよう。少し玉ねぎが大きめでも良い食感になるだろう。
寝る前にお母さんにメッセージを送った。
『真絃です。聞きたいことがあるので、今度会ってもらえますか?』
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