第25話
周りを見渡していると、マスクをつけて帽子を被った人が走ってくる。たぶん湊だ。
はぁはぁ、と息を切らして、湊が僕の横に立った。
「なんか緊急事態っぽかったから走ってきたんだけど。どうした? 何があった?」
「ごめん。今から凛華先輩の彼氏を尾行する」
「は? ちょっと意味分かんねぇ。お前そんなことしないほうが……」
カフェから、あの二人が出てきた。
「湊、今出てきた二人を追うよ。小声で話して」と湊の耳元で言った。
あの二人はまた腕を組んでいる。
「え? あれが凛華先輩の彼氏? は? 横にいるのは凛華先輩じゃないよな。 え? あの人……交流会にいた人じゃん。は? どゆこと?」
車が走る音にかき消されそうな小さな声で湊が言った。
あの二人は駅前を通り過ぎて、信号は渡らず真っ直ぐ歩いて行く。
「見たままだよ。先輩の彼氏は浮気してる。たぶん女のほうは凛華先輩と仲の良い友達で、二人で先輩を裏切ってる」
「それやばいじゃん。俺からしたら真絃が裏切ってるってことだろ? 俺だったら耐えられないわ。この状況やばすぎだろ……。でも、尾行してどうするんだよ」
「浮気の証拠になりそうな写真を撮る」
「そんなの撮ってどうするんだよ! 関わんないほうがいいって」
「いざという時のために撮っておく。湊を巻き込んだのは本当に申し訳ない。でも、今日は何も言わずについてきてほしい。一人だと何をするか分からないから……僕が何かしそうになったら止めてほしい」
「今止めたいけどさ……分かったよ。とりあえずついていく。……お前あとで説教だからな」
「うん……」
二人は右へ曲がった。僕達は少し足を速めて曲がり角まで行く。壁に身を隠し、二人の様子を窺った。ちょうど踏切の警報機が鳴り始め、遮断機が降りた。二人は足を止めて待っている。
密着しながら楽しそうに話して、そして、唇を重ねていた。
「お前落ち着けって」と湊が言った。
右手がジンジンとする。思わず壁を殴っていた。コンクリートでできたザラザラとした壁が僕の皮膚を裂いた。壁を殴る僕が悪いんだけれど、怒りをどこにぶつけたらいいのか分からず、壁にぶつけてしまった。
軽く出血している。血が僕の指を伝って地面に落ちた。徐々に痛みが増していく。
「大丈夫か?! 何かふくもの……」と湊が僕の手を見て心配そうな表情をして言う。
「うん。大丈夫」
僕はカバンの中からティッシュを出して血をふき、傷口を押さえた。
落ち着け自分。さっき証拠の写真を撮れば良かったじゃないか。冷静になれ。写真を撮るチャンスを逃すな。
遮断機が上がり、二人が歩き出した。踏切を渡って、真っ直ぐ歩いている。まさかつけられているなんて、微塵も思っていないだろうな。
三つ目の信号を右に曲がった。しばらく歩いていると、ホテルが何軒か並んでいた。看板にはショートタイムとか書いている。
「ここラブホ街じゃん」と湊が言う。
「そうみたいだね」
二人が立ち止まってホテルの看板を見ている。
「湊ここに隠れて」
僕達は建物と建物の間に身を隠した。
僕はスマホを取り出してカメラを起動させる。スマホを二人に向け、少しズームにしてシャッターを押す。シャッター音がしたが、たぶん離れているので聞こえてはいないだろう。
写真を確認すると、先輩の彼氏であると分かる
写真ではあるが、女のほうは顔が隠れて見えない。
もう一度撮ろうとスマホを向けると、二人はホテルに入っていった。
「湊はここで待ってて」
「おい」と湊の小さな声が聞こえたけれど、僕は二人が入っていったホテルの前に向かった。
ホテルの前に着いた。パッと見ただけでは入り口が見えない構造になっていて、二人の姿は見えなかった。横の壁に取り付けられている看板を見ると、ショートタイム100分、とか、宿泊が8000円、とか書かれていた。
たぶん宿泊はしないと思う。明日は学校があるし、二人とも荷物が少なかった。さすがに今日と同じ服で学校には行かないだろう。
僕は湊の所に戻った。
「たぶん百分以内に出てくるはず。出てきたところを写真に撮る」
「分かった。さすがに今すぐ出てくることはないだろうから、俺がしばらく入り口見張っておくよ。もし出てきたら写真撮るし。お前少し休んでおけよ。水買ってきて手の傷洗ったら?」
「あ……うん。ありがとう。そうする」
辺りが薄暗くなってきた。街灯が三回ほどついたり消えたりを繰り返して点灯した。看板がライトアップされているホテルもあれば、ネオンに光る看板が目立つホテルもあった。
暗くなったら写真を撮っても顔がはっきりと写らないかもしれない。なるべく街灯の下に来た時を狙って撮ろう。
自販機で水とコーラを買って、湊の所へ戻る。
「はい、コーラ好きだったよね?」
湊にコーラを渡す。
「おう。ありがとう」
湊は二人が入っていったホテルを見ながらコーラを飲んでいる。
僕は、買ってきた水で手についた血を洗い流す。傷口に少し水が当たるだけで痛みが増す。歯を食いしばって、完全に血が落ちるまで洗い流した。
「大丈夫か?」
「うん。大丈夫」
「これが終わったら消毒液と絆創膏買いに行こうな」
「うん。ありがとう。僕……またださいことしてるよね」
「ださくはないぞ。真絃にこんな行動力があるなんて……いや、お前は凛華先輩のことになると行動できるんだったな。高校の時を思い出すよ」
「そうだね。先輩のことになると体が勝手に動くんだ。結局僕は……」
凛華先輩に心を奪われたままなんだ。どうしても考えてしまうんだ。もう、関わらないとか、前に進めているとか、言い聞かせるだけ無駄なんだ。認めたほうが楽なのかもしれない。認めて表に出さなければいいんだ。
「ん? 結局僕は……の続きは?」
「……僕はださくて未練がましいってこと」
「そうだな。ださくて未練がましくて泣き虫」
はははは、と湊が笑っている。
「湊の前で僕が泣いたのはあの時だけだろ……もう変わるから後ろにいってろよ」
「拗ねんなって! あはは」と湊から頭を軽く叩かれた。
「拗ねてない。ほら後ろにいって」と言って、僕は仕返しに少し強めに湊の頭を叩く。
「痛っ。強っ!」
僕は、ふっ、と笑った。湊がいてくれて良かった。いなかったら怒りに震えて何をしていたか分からなかったし、心細かったかもしれない。
先輩は、親が不倫をしているのを初めて見た時、感情がぐちゃぐちゃになっただろうな。本当に心細かっただろうな。
見張りを変わってから、カップルらしき人達が僕達の前を通り過ぎて行く。辺りが完全に暗くなってから、ホテルを利用する人が増えているんだろう。隠れている僕達には気づかない。みんな周りなんか気にしない。自分達の世界に入っている。
あの二人がホテルに入ってから、もうすぐ一時間だ。
いつでも写真を撮る準備はできている。
周りを見ると歩いてくる二人組がいたので、ためしに撮ってみる。街灯の下に来た瞬間シャッターを押した。
写真を見ると、顔がはっきりと写っていない。これじゃ誰か判別できないかもしれない。
どうしよう。せっかくここまで来たのに。
斜め前にあるホテルから誰かが出てきた。ホテルの入り口がライトアップされいて、顔がはっきり見える。
そうだ。二人が入ったホテルの前から撮ろう。ホテルの前はコインパーキングになっている。車の陰に隠れるか、精算機の陰に隠れるか。そのほうが確実に撮れる。でも、見つかるリスクは高い。
今日チャンスを逃すと次はないかもしれない。もし見つかったら走って逃げればいいんだ。
「湊はここで待ってて。ホテルの前で写真を撮ってくる。もし、僕がなかなか戻って来なかったら先に居酒屋行って。あとで必ず連絡するから」
「俺も行くよ」
「いや、湊はここで待ってて」
そう言って、僕は湊から離れた。
コインパーキングにつくと、車が四台ほどとまっている。ホテルの入り口の真正面にとまっている車の陰に隠れた。
二人がホテルに入って約八十分が経った。いつでも撮れるように、スマホのカメラをホテルの入り口に向ける。たぶんこの明るさだったら顔は写るはずだ。
心臓の鼓動が徐々に速くなっている気がする。手が震えている。決して緊張や怒りではない。鼓動が腕に伝わって、鼓動に合わせて腕が震えているんだ。ドクンドクン、と腕に伝わっているんだ、と自分に言い聞かせる。
女の人の笑い声がする。この声は凛華先輩の友達の声に違いない。出てくる。やっと出てくる。
スマホの画面を見つめる。
二人が見えた。腕を組んでいる。
今だ。
シャッターボタンを三回連続で押した。
「今なんか音しなかったぁ?」と先輩の友達が言っている。
やばい。意外にシャッター音が大きかった。僕は車の陰に身を潜めて、息を殺した。
早く立ち去れ。
「はぁ? なんも音してねぇよ。それより腹減った。早く行くぞ」と先輩の彼氏の声がする。
話し声と足音が遠ざかっていく。
はぁぁ、と長く息を吐いた。
やっぱりこういうことは何度やっても慣れないだろうな。まだ心臓がうるさい。
写真を確認すると、薄暗いが顔は分かる程度のものは撮れていた。
この写真を今後どうするか。先輩のために、先輩が幸せになるために、この写真の使い道を考えなければ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます