第18話
「真絃、そこに座ってくれ」
リビングに入って、テーブルの席に着く。
お父さんが僕の前に座り、腕を組んでテーブルのどこか一点を見つめてなかなか話し出さない。
リビングを見渡すと、なんとなくいつもと雰囲気が違う。いつもキッチンに立っているお母さんがいない。
お父さんの息を吸う音が聞こえた。やっと話始めるのか。
「あのな……お父さんとお母さん、離婚することになった」
やっぱり。なんとなくそうなんじゃないかな、と直感的に思った。不倫のことがバレたのだろうか。
「何で?」
たぶん不倫がバレたから離婚するんだろうけれど、お父さんがどう答えるのか一応訊きたかった。
「えっと……その……これ以上夫婦としても、家族としても続けられないと思ったんだ」
「そっか」
曖昧な返答だな。僕に不倫のこと知られたくないというか、子供に知られてはいけないみたいな、おおかたそんな感じだろう。
「お母さんは今日家を出て行った。勝手に決めてしまってすまないが、真絃はお父さんと暮らしてもらう」
「うん。分かった」
お母さんが出て行ったのか。だから今日、外で遊ぶように言われたのか。リビングの雰囲気が違って見えたのは、お母さんの物がなくなっているからだったのか。
「あともう一つ勝手に決めたことがあるんだ。お母さんには、しばらく真絃に会わせない、と言ってある。だから、今日最後にお母さんに会わせなくてごめんな。本当にごめん」
そういうことか、お母さんは不倫をした罰として、家を追い出されて、子供とも会えなくなったというわけだ。自業自得だ。不倫をして、家族を裏切って、自分だけ楽しんでバチが当たったんだ。
「別にいいよ」
「これから大変だと思うけど、一緒に頑張っていこう。おばあちゃんになるべく家事をしてもらって、お父さんもできるだけ頑張るから、真絃はおばあちゃんのサポートをしてやってくれ」
「うん。分かった。話それだけ?」
「う、うん……」
「じゃあ部屋行くね」
自分の部屋に入って、ベッドに横になる。
お母さん、いなくなったのか。じゃあ夜遅くまで時間をつぶす必要がなくなった。おばあちゃんに色々言われるお母さんを見てイライラしなくて済むし、僕が早く大人になってこの家を出ていかなくていいんだ。
お母さんと最後会話をしたのはいつだっけ。覚えてないや。
僕はお母さんのことを軽蔑しているし、顔も見たくなかった。同じ空間にいたくなかった。それは僕が望んでいたことなのに、十六年間ずっと一緒に暮らしてきた人が、血のつながった母親が突然いなくなると、自分の一部がかけたみたいだった。
そうだ。先輩に電話をかけないと。
先輩からのメッセージで、家族を壊してごめんなさい、と書かれていたということは、ウチが離婚することになったと知っているんだよな。先輩の親も離婚することになったんだろうか。それで先輩は学校に来ていないのだろうか。
先輩は家族を取り戻したいと、僕よりも強い気持ちを持っていた。だから、もし離婚になったとしたら、先輩はかなりショックを受けるだろうし、先輩の心が壊れないか心配だ。
ポケットからスマホを取り出し、先輩に電話をかける。
しばらく電話を鳴らしても、先輩が電話に出ることはなかった。メッセージを送るしかない。
『僕の家族が壊れたのは先輩のせいじゃないです。だから謝らないでください。悪いのは不倫した親なんです。僕達の親がすべて悪いんです。
先輩に会いたいです。会って話しましょう。明日、午後1時に図書館に来てください。待ってます』と送った。
朝になってスマホを確認するけれど、先輩からの返事はない。
今日、図書館に来てくれると信じて待とう。
洗面所で顔を洗ってリビングへ行くと、おばあちゃんがキッチンに立っていた。
そうか、お母さんはもういないんだった。
「まーちゃん、おはよう。今日からおばあちゃんがご飯作るからね。急に離婚するなんて、おばあちゃんびっくりしたよ。夫婦仲良く見えたのにね。私の前では仲良く見せてたのかもしれないね」
おばあちゃんは不倫のことを知らないのだろうか。まぁ、おばあちゃんに不倫のことを言わないのが賢明だ。おばあちゃんが知ったら、僕や周りに不倫のことをうっかり言いかねない。お喋りなおばあちゃんだからな。お父さんは嫁に不倫されたことを周りには知られたくないんだろうな。
僕も母親が不倫していたなんて知られたくないもんな。
おばあちゃんが白ごはん、お味噌汁と魚を用意してくれた。あまり食欲がなかったけれど、せっかく作ってくれたのでいただく。
お味噌汁を一口飲む。やっぱり想像通り塩辛い。魚も塩辛い。白ごはんは柔らかすぎる。
もうお母さんはいない。
もうお母さんのご飯は食べられない。
身支度をしてスマホを手に取り、送ったメッセージを確認すると既読になっていた。既読になっているということは、今日、先輩が来てくれるかもしれない。
まだ十時だけれど、僕は家を出た。こんなに早く出ても先輩に会えるわけではないけれど、家でじっとできなかった。
早く先輩に伝えたい。
先輩のせいじゃない。
僕の家族を壊したのはお母さんなんだ。
先輩とこれからも一緒にいたい、と。
市立図書館に着き、小説コーナーで本を選んで窓際の席に座った。窓から見える空は黒い雲に覆われていて、今にも雨が降り出しそうだった。
本を読んで約束の時間まで時間を潰した。先輩からメッセージの返事はない。
約束の午後一時になった。
先輩は来なかった。
外が光ったと同時にピシャンと雷が鳴った。パラパラと雨が降り出し、数分後には図書館の中が雨の音でうめつくされるほどの大雨が降っていた。
三十分ほど経って、また小説コーナーに行った。並べられている本を見ていくと、この前先輩が借りていた、『僕達は愛を信じる』が本棚にあった。たしかこの本は一冊しかなかったはず。先輩はいつ返却しに来たのだろう。
『僕達は愛を信じる』の本を持ってカウンターに行く。
「すみません。この本、いつ返却されたか分かりますか?」
「あー、これ今日の朝一番に返却されましたよ。私が返却を受け取ったのではっきりと覚えています」と女性の司書さんが答えた。
先輩は今日の朝、図書館に来ていたんだ。僕とは会うつもりがないんだ。でも、どうしても会って伝えたい。
僕は気づいたら走り出していた。雨に打たれながら走っていた。
先輩に会いに行こう。
しばらくして、走るスピードを緩めた。
不倫相手の子供が、不倫相手の家に行くのはさすがにやめておいたほうがいいのかもしれない。
さすがにここまで先輩に避けられているのだから、家に行くのはまずい気がする。
今は自分を制御しなくていいんじゃない?
湊にそう囁かれた気がした。
そうだ。制御しなくていい。先輩の家に行ったとしても、僕のことを不倫相手の子供だと、先輩の親が気づかなかったらいいんだ。凛華先輩の友達と言い張ればいい。
それと、先輩に避けられていても、伝えないといけない。
走るスピードを上げた。一秒でも早く先輩に伝えたかった。
電車に乗って、先輩の家の最寄り駅で降り、また走った。雨でずぶ濡れになった服が重い。肌に服が張り付いて走りにくい。でも、きつくない。結構な距離を走ってきたのに、先輩に会いたいという思いだけでどこまでも走れそうな気がした。
先輩の家の前に到着した。息が切れて呼吸がなかなか整わない。何度も深呼吸をして、喋れるくらいにはなった。
インターホンを押そうとする手が震える。ゆっくりとインターホンのボタンを押した。
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