第13話
「ただいまー! 真絃ー! 帰ったよ〜」
お母さんが帰ってきた。一階から叫んでいる。
「先輩、大丈夫ですか? 今からお母さんに紹介しますよ」
「うん。大丈夫」
先輩が真剣な顔つきになった。僕は鼓動が早くなった心臓を落ち着かせるように深呼吸をした。
二人で一階のリビングへと向かった。
リビングのドアを開けると、帰って早々キッチンに立っているお母さんが見えた。
「お母さん。彼女連れてきた」
お母さんが顔を上げ、こちらを見た。一瞬お母さんの顔が曇ったように見えた。
「こんにちは。私のこと覚えていますか? 中本凛華です。お父さんと同じ職場ですよね?」
覚えていますかって、お母さんと会ったことがあったのか。全然知らなかった。
「あ、あの……中本さんの娘さんよね? 覚えてる、覚えてる。た、たしか幼稚園とかそのくらいの時に職場の忘年会に来てたよね? よ、よく覚えてたね」
お母さんの目が完全に泳いでいる。しかも引き攣った笑顔だ。
「私、記憶だけはいいんです。その時真絃とも遊んだの、はっきりと覚えてます。だよね真絃?」
先輩が余裕のある笑顔を僕に向ける。というか、僕と遊んだ? 全然覚えていない。とりあえず話を合わせて僕は何度も頷いた。
「ま、まさか真絃の彼女が中本さんの娘さんだったなんて……び、びっくりしちゃった……」
「あはは。びっくりですよね」
「じゃ、じゃあお母さんご飯作るから真絃の部屋で待ってて」
「凛華、部屋戻ろう」
お母さん、気が気じゃないんだろうな。僕と全く目を合わせなかった。これで、自分が不倫したことを少し後悔してくれたかな。
部屋に戻り、二人で座り込んで深い深いため息をついた。
「緊張した……」と先輩が息を漏らすように言った。
「先輩、全然緊張したように見えなかった……。というかお母さんに会ったことあるのもびっくりしましたけど、僕にも会ったことあるんですね」
僕は念の為小声で話す。
「びっくりでしょ? 真絃、私のこと全然覚えてないんだもん」
先輩も僕に合わせて小声で話す。
「すみません。というか、そんな大事なこと先に話してくださいよ。必死に話を合わせたんですから!」
「ごめん。話そう話そうと思ってたんだけど、覚えてないのが悔しくて、びっくりさせてやるってつい思ったの」
「びっくりさせるタイミングが悪いですよ。とりあえず帰りに詳しく教えてください。ここじゃバレたらあれなんで」
「うん」と先輩が大きく頷いた。
ご飯ができるまでの間、僕達は沢山話をした。好きなこと、好きなもの、苦手なこと、苦手なもの、テレビの話、漫画の話、友達とするような話をした。
先輩は目がくしゃっとなるほどに楽しそうに笑っていた。僕は先輩には笑っていてほしい。もちろん泣いていいし、怒っていい。でも、辛いこと、悲しいことが減って、笑顔で過ごせる時間が増えて欲しい。
誰かが階段を昇る足音が聞こえてきた。足音が僕の部屋の前で止まり、部屋のドアをノックする音がした。
「真絃、ご飯できたよ。お父さんもおばあちゃんも帰ってきたから、降りておいで」
お母さんだ。
先輩がなぜここにいるのかを少しだけ忘れていた。現実に引き戻された気分だ。
「分かった。すぐ行く」
「先輩、ご飯食べてすぐに帰りましょう。長居は禁物です」
「そうだね。色々ボロが出ても困るし」
リビングに入ると、おばあちゃんとお父さんがテーブルに着いていた。
「彼女連れてきた」
「初めまして、中本凛華です」
「どうも。父です。たいしたものはないけど食べていってね」
そう言ってお父さんが軽く頭を下げた。
お母さんが作った料理を、たいしたものはないけど、なんて自分が作ってないのに言うなと思ってしまう。
おばあちゃんは、「まーちゃんがこんな美人さん連れてくるなんて思わなかった! あら、本当。今日はたいしたおかずがないわ。ごめんなさいね」と言う。
だから、おばあちゃんも自分が料理をしていないのに、そんなこと言うなよ。先輩が苦笑いしているじゃないか。
たいしたおかずがないって、今日は手作りのハンバーグと鶏の唐揚げをお母さんは作っているんだぞ。僕もハンバーグと鶏の唐揚げを作ったことがあるけれど、一から手作りで作るのは本当に大変だった。時間はかかるし、火加減が難しい。お父さんは料理が全くできないから分からないのはまだしも、おばあちゃんはずっと料理をしてきたんだ。おばあちゃんは大変さを分かるはずなのに。ただ、おばあちゃんの好みのおかずがないだけだろ。
「凛華、ここ座って」
先輩はおばあちゃんから離したほうがいい。おばあちゃんが何を言うか分からないから、僕がおばあちゃんの横に座る。先輩の前には、あまり喋らないお父さんだから大丈夫だろう。僕の前にはお母さんだ。
「ど、どうぞ食べて」
お母さんが引き攣った笑顔を見せる。
「いただきます」
僕はハンバーグを一口食べた。いつものお母さんの味だ。美味しい。お味噌汁も一口飲む。お母さんのお味噌汁落ち着く味なんだよな。
「はぁ、和食を少し増やしてほしかったわ。お味噌汁はまた味薄いわ〜」
おばあちゃんがまた言っている。
「すみません」
お母さんが俯きながら言う。いつもなら、ヘラヘラしながら言うのに、今日は笑う余裕もないんだろうな。
「いつになったら味が濃くなるのかしら。洗濯物の干し方も雑だったわよ? 私が一枚一枚綺麗に干し直したんだから」
おばあちゃんやめてくれよ。凛華先輩がいるの黙っていてほしい。
お母さんもすみませんしか言わない。もっとはっきり言えばいいのに。
お父さんはいつもの聞こえていないふりだし。
貧乏ゆすりが止まらない。手で押さえても止まらない。
「優子さん。お風呂も汚れていたわよ? あとで……」
「おばあちゃん黙って。彼女がいるんだからやめてくれる? だいたいお母さんは働いてるんだから、そんな家事なんて完璧にできないでしょ。文句言わずに全部自分でしたらいいでしょ。あと、お味噌汁は味薄くないよ。おばあちゃんがただ塩辛い物が好きなだけでしょ。塩辛いものばっかり食べるから高血圧なんだよ。もう黙って食べてくれるかな」
「真絃やめなさい! おばあちゃんに謝りなさい」
お母さんが僕に向かって強い口調で言う。僕は絶対に謝らないよ。
「まーちゃんそんな怒んなくてもいいでしょ? おばあちゃんのこと嫌いにならないで」
「嫌われたくないなら黙って食べて」
おばあちゃんを止めるのは僕しかいない。このくらい言わないと分からないんだ。言いたいことを言ってスッキリした。でも最悪だ。先輩がいるのに空気が重くなってしまった。これじゃ先輩が気まずい思いをするじゃないか。とにかく早く食べて先輩を送っていこう。
僕は急いで食べながら先輩に目配せした。先輩が気づいてくれて、この前ハンバーガーを食べていた時のように大きな口を開けて食べ出した。
僕達は十分程で食べ終わった。それまで全く会話はなく、いつも以上に家族みんな静まり返っていた。
「じゃあ、僕、凛華を家まで送ってくるから」
「もう帰るのか。気をつけて」とお父さんが言う。
「ごちそうさまでした。すごく美味しかったです。また遊びにきます」
「いえ……気をつけて帰ってね」とお母さんが引き攣った笑顔で言った。
早くこの家族から解放されたくて、急いで家を出た。
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