第10話

 昨日、家に帰り着く前に先輩から、『帰り着いた?』とメッセージが届いた。どれだけ心配しているんだ、僕はそんなに弱く見えるのか、と少し悔しくなって、『家に帰りつきました』と嘘をついた。悔しいので、先輩より先に明日の電車の時間を調べて送りつけてやった。少しは頼れる男とアピールしないと、対等な友達ではなく、後輩や弟に見られてしまう。


『十一時十二分発の電車がちょうど良いと思います。先輩も同じ電車に乗りますか?』


『うん、同じ電車に乗る! 調べてくれてありがとう』

 この調子で明日も少しでも頼れる男と思われるように頑張る。


 朝起きてスマホで時間を確認すると十時四十分だった。慌てて飛び起きた。完全に寝坊だ。五分で歯磨き、洗顔、着替えを済ませて全力で走った。どうにか昨日調べた時間の電車に乗れた。先輩が乗る駅まで一駅だから六分程で着く。それまでに息を整えて、何事もなかったかのような顔を作らないと。

 先輩が乗ってくる駅のホームに電車が速度を落として止まろうとしている。

 ホームのほうに目をやって先輩を探す。先輩はいつも姿勢が良くて、自分に自信があるように堂々として格好良いから目立つはずだ。

 あ、いた。姿勢も良いけれど、今日は全身黒ずくめなので、違う意味で目立っていた。目立たない服装を選んでいるのに、逆に目立ってしまわないか心配だけれど、地下駐車場では溶け込むから大丈夫か。

 たぶん先輩は後ろの方の車両に乗ったはずだから、そこへ向かう。

 僕がいた車両から、歩いて二両目のドア付近に先輩を見つけた。先輩が周りをキョロキョロ見て、僕に気づいて手を上げる。僕も手を上げて先輩に近づく。

「おはようございます」

「おはよう。なんか髪乱れてない?」

 電車の窓に映る自分を見ると、寝癖と走ったおかげで髪が乱れている。最悪だ。いきなりみっともない姿を見せた。

 髪を整えながら、「そんなことないですよ」と言ってみる。

「寝坊して、走って髪が乱れたんじゃないの?」

 先輩が座席に腰掛けながら、独り言のように言う。

 僕は聞こえなかったふりをして、先輩の横に腰掛けた。

「それより、これ見て」

 先輩が肩にかけていたバッグから、何かを取り出した。

「何ですか、それは」

「望遠レンズ。スマホのレンズにつけると遠く離れた人でも綺麗に撮れるの。今日のために買ったんだ……」と先輩が苦々しく笑う。

 そんな無理に笑わなくていいのに、でもこの状況だからこそ、笑ったほうがいいのかもしれない。重々しい空気で今日を乗り越えたくない。どうせなら、あの二人の写真を撮る時以外は少しでも楽しく過ごしたい。

「先輩、探偵業向いてるんじゃないですか?」

 思ってもいないことを言ってみる。

「え〜探偵業なんてやだよ!」

 先輩の顔の筋肉がほぐれたような気がした。筋肉がほぐれて、柔らかい笑顔が見れた。

「不倫探偵凛華。とかドラマになりそう」

「もぉ! やめてよ〜」

 先輩が僕を睨みながらも笑っている。僕も口元が緩む。

「私はちゃんと将来のこと考えてるんだから」

 先輩が、ふんっ、と言ってはいないが、そんな表情を見せる。

「へ〜将来なにするんですか?」

 先輩から笑顔が消えた。床を見つめながら口を開く。

「実はパパと同じリハビリの仕事をしたいと思ってて。パパのこと、別に尊敬とかしてないけどさ、父親関係なく、この仕事すごいなぁって思ったから……」

 また重々しい空気になってしまったけれど、大事な話だ。そっか、先輩はちゃんと将来のことを考えているんだ。

「先輩のお父さん、僕のお母さんと職場が一緒でしたよね? 作業療法士ですか?」

「ううん。理学療法士のほうなの。私は作業療法士のほうになりたいんだけどね」

「作業療法士なら僕のお母さんと一緒ですね。でも何で作業療法士のほうなんですか?」

「パパがしてる仕事ってどんな仕事なんだろうとか、リハビリって何なんだろって興味をもって、一度だけパパが働く姿を見に行ったの。患者さんに寄り添って優しい表情のパパとか、真剣な顔つきで患者さんのことを考えてる顔とか見たら格好良いなぁと思ったの。それから理学療法と作業療法の違いを調べて、作業療法士のほうが私には合っているのかなって思って」

「先輩は将来のことちゃんと考えてて偉いですね」

「真絃は? 将来の夢あるの?」

「僕はまだ考えてないです。今はまだ、目の前のことで精一杯ですよ……」

「まぁまだ高校一年生だしね。これから夢、きっと見つかるよ」

 将来の夢はまだないけれど、これだけは思う。お母さんみたいにはなりたくない。大切な人を裏切るようなことは絶対にしない大人になる。


 電車を降りて、ショッピングモールに向かった。

 僕達はショッピングモールに近づくに連れて口数が減った。またあの二人を見なければならない。今日は目を逸らさずに見るんだ。先輩が写真を撮ってくれるんだから、僕は目を逸らしてはいけない。


 十三時半頃、駐車場にある車と壁の間に隠れて待機すると、先輩のお父さんの車がやってきた。

 本当に毎週会っているんだ。

 またコツコツと足音が聞こえてきて、先輩のお父さんの車にお母さんが乗り込んだ。

 先輩はシャッターチャンスを逃すまいという感じで、スマホを構えている。

 写真は先輩に任せて、僕は車の中の二人を見る。僕の目とあの二人は頑丈な糸で繋がっているんだと、決して簡単には切れない糸で繋がっているんだと思い込んで、目を逸らさなかった。

 

 一見幸せそうに見える二人。普通の恋人のように、笑い合って、唇を何度も重ねて、この世界には二人しかいないと思い込んでいるような雰囲気だ。

 子供達に不倫のこと知られていると知ったらどんな顔をするのだろう。幸せな顔から、どん底に落とされたような顔になるのかな。


 証拠になりそうな写真が何枚も撮れて、僕達はその場を離れた。お母さん達はまだ楽しんでいるんだろうな。

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