第9話

 いつもの公園に着いた。まだ先輩は来ていない。今日は学校で見かけなかったから、学校に来ているのかは不明。今日、先輩がどんな気持ちで一日過ごしていたのかと考えると、心が痛い。

 

 僕も今日、見たくもないものを確認しないといけない。この目でしっかりと見て、受け入れなければならない。でも、家に帰って、お母さんに普通に接することができるのかは自信がない。

 でも僕達が計画を終えるまでは、家族の前では今まで通りの何も知らなかった時の僕を演じ続けないと。


 人の気配がして見渡すと、ポケットに手を突っ込んだ凛華先輩が前から歩いてくる。表情を変えることはなく、風で髪が無造作に舞っている。いつもは真っ直ぐに揃えられた前髪も、額をチラチラと見せるように舞う。いつもは見れない額から目が離せない。

 先輩が前髪を整えながら僕に近づく。

「ごめん。遅くなった」

 先輩がいつもより低い声で言う。

「いえ。大丈夫です」

 僕もいつもより低い声になった。なんとなく低い声に合わせてしまった。それと、先輩の雰囲気に緊張したのかもしれない。気が重いのもある。たぶん気が重いと声が低くなるんだ。僕も先輩も。


「今日、風強くて寒いね……」と先輩がぎこちなく微笑み、僕の横に座る。

「そうですね……。もうすぐ冬がきますもんね……」

 僕は空を見る。青い空に浮かぶ雲はゆっくりと移動している。こんな雲みたいに時間もゆっくり進めばいいのに。むしろ時間が止まってほしい。証拠を見てしまったら家に帰りたくなくなるだろうから。

「ねぇ。昨日入手した証拠……。確認するよね? 見たくないなら、無理に見なくてもいいけど……どうする?」

 先輩も空を見ている。

「見ます。先輩だけ嫌な思いをしてほしくないです。僕も見てしっかりと受け止めます。嫌な気持ちを半分こしましょうよ。もう一人で色々と抱えなくていいです。そのために僕はいます」

 先輩と目が合った。今日は優しい目をしている。ふっ、と先輩が少し笑って、ブレザーのポケットからスマホを取り出した。

「まずメッセージのやり取りから。はい」と先輩がスマホを僕に渡す。

 スマホを受け取って、画面を見る。


——————————————————————

『今日もありがとな。二人で会えて良かった。毎週土曜日が楽しみで仕方がない』


『うん。私も土曜が楽しみで、土曜のために毎日頑張ってる。職場で毎日会えるけど、職場の時は二人きりになれないから寂しいな』


『そうだね。職場で顔が見れるのは嬉しいけど、二人きりにならないと優子を抱きしめられないもんな。キスもできないし』

——————————————————————


 まだ途中までしか読んでいないけれど、親がこんな気持ち悪いやり取りをしているなんて吐き気がする。ただの恋人同士がするメッセージのやりとりだったら何も思わないのに。家族を裏切って二人で盛り上がって、不倫だから親の不倫だから余計に気持ち悪い。

 というか同じ職場だったんだ。毎日会っているのに寂しいとか気持ち悪いこと言うなよ。今まで知らなかったお母さんの女の部分を見てしまって、全身がぞわぞわする。見たくないけれど、最後まで読んで受け止める。先輩もそうしたんだから。


——————————————————————

『そうだね。早くまた土曜日がこないかな……。やっぱり私には高志が必要なんだなって思ったよ。高志が私を救ってくれたから今、笑顔でいられるよ。毎日顔を見るたびに高志を好きな気持ちが大きくなる。でも、その気持ちは抑えないとね。お互い家族が大切だし、今の環境を変えたくないってこの前話したばっかりだもんね。じゃあ今日はこのへんでやめておくね。メッセージはちゃんと消してよ〜』

 

『うん。俺も好きだよ。家族は大切にしような。また土曜日に。うん。消します消します』

——————————————————————


 家族は大切? 家族が大切なら、何で不倫なんかするんだよ。言っていることが矛盾しているんだよ。好きな人ができたなら、お父さんと離婚すればいいのに。さっきまで吐き気がするほど気持ち悪かったのに、今は頭に血が昇って、奥歯が痛いくらいに歯を食いしばるのをやめられない。このスマホを握り潰してしまいそうだ。気持ちを切り替えないと。

「すみません。ちょっと僕ジュース買ってきます」

 先輩に一旦スマホを返して、公園内にある自販機にジュースを買いに行った。スカッとしたい気分だから、炭酸ジュースでも飲もう。

 プシュ、と蓋を開けて一口飲む。少しだけスカッとしたけれど、怒りが収まらない。はぁ、と長く息を吐き、先輩の元へ戻る。


「大丈夫?」

 先輩が僕の顔を覗き込んできた。僕は目を逸らして、大丈夫じゃないけれど、「大丈夫」と答える。

「次、写真見せてもらえますか?」

 先輩がスマホを僕に渡す。画面を見ると、お母さんと先輩のお父さんが肩を寄せ合って、微笑んでいる写真だった。お母さんが女の顔をしていた。僕達家族には見せない顔だ。家族の前で笑うことはあっても、こんな表情は見せない。いつも以上に化粧が完璧で、先輩のお父さんに良く見られたいと思っているんだろうな、と写真で伝わってくる。

「はぁ、なかなかキツイ内容でしたね」

「そうだね……。本当気持ち悪い」

「ですね……。先輩よくこんな証拠集められましたね」

 先輩が、ポケットに手をつっこんで、赤く染まり出した空を見ている。

「うちのパパ、スマホ使いこなしてないから、絶対証拠残してると思ったんだ。パパが寝たの確認して、パパの指をスマホにそっとかざして指紋認証でスマホ開いたんだ。意外にスムーズに証拠集められたから良かった。でも写真があれだけだったから、もっと不倫してますって感じの写真撮らないと……。明日土曜日だから絶対またあの二人会うと思うんだよね。だから明日写真撮りに行こうと思うけど、真絃も来る?」

 先輩が力強い目で僕を見てくる。そんな目で見られると断りづらい。まぁ断らないけど。一人より二人で動いたほうが、嫌な気持ちを半分に分けて、少しでも気持ちを軽くできるから。現に今、先輩のおかげで僕は少し気持ちが軽い気がする。

「はい。行きます! 先輩の言う通りに動きます!」

「珍しく積極的だね」

「だって、二人だと負担が減るじゃないですか……つらいことも半分になるじゃないですか……」

「まぁそうだね。ありがとう」と先輩が照れくさそうに転がっている小石を足でコロコロと動かしている。僕も真似して小石を動かす。

「家に帰りたくないですね……」

「そうだね……。こんなの見たあと、親にどういう顔すればいいか分からないもんね。私、今日パパと目を合わせられなかった」

「ですよね……。こっちが悪いことしてるみたいな感じで、なんか嫌です」

「だよね……。私達は悪くない! 家族のためにやってるんだから!」

「そうですよね! 家族のために……」


 しばらく沈黙が続いた。親の不倫の証拠を見ているだけで疲れた。

「はい。甘いの食べると元気出るよ」と先輩が僕に飴をくれた。

「ありがとうございます」

 僕は飴を口にいれる。ミルク味のなんだか落ち着く味だ。ゆっくりと舐めて味わう。口の中がミルクの味で充満して、徐々に全身をも支配して、体の力が抜けていく。

 スマホが鳴った。画面を見ると、横にいる先輩からメッセージだ。

 先輩を見ると、こちらを見て微笑んでいる。なかなか見れない優しく微笑む先輩。

 僕は画面に視線を戻し、メッセージを開く。

 癒されるよ、とメッセージと共に、猫の写真が送られていた。丸まって寝ている猫が可愛いく写っている。

 今、きっと口元が緩んでいる。僕も先輩みたいに優しく微笑んでいると思う。

「癒された?」と先輩が僕に訊く。

「はい。癒されました。ありがとうございます。僕は先輩を癒してあげるものがないです。すみません」

「私はいいよ。私も猫に癒されてるし、こうやって真絃が一緒にいてくれるだけでいいよ」

 どう答えていいのか分からず、黙る。僕の存在が先輩の心を癒しているのか分からないけれど、一緒にいてくれるだけでいいよなんて言われると、なんだか照れくさい。先輩は別にそんなにたいした意味で言ってはいないとは思うけれど。

「そろそろ帰りますか? もう暗くなるし……」

「そうだね……。でも帰りたくないね」

「……じゃあもう少しここにいますか? 僕、送って帰りますよ」

「えっ……。そんなの悪いよ……」

「全然いいですよ。僕も帰りたくないし。良かったら、学校がある日はこうやって時間潰しませんか? 送って帰るので安心してください。僕もなるべく家にいたくないし……」

「そっか……。でも毎日は悪いから、時々こうやって時間潰そうよ」

 

 辺りが完全に暗くなって、綺麗な月や星が見えても帰りたくなかった。

 先輩から、そろそろ帰ろうか、と言われるまでいようと思っていたけれど、さすがに女の子をこんな遅くまでいさせるわけにはいかない。

「そろそろ帰りましょうか」

「うん……」

 僕は立ち上がるけれど、先輩は俯いてまだ座っている。

「さすがに帰りますよ」

「うん……」

 先輩が全然立ってくれない。

「先輩、腕掴みますよ」と言って、両腕を掴んで先輩を立たせた。思ったよりも軽かったので、先輩がこけそうになった。

「わ! 真絃、意外に力あるんだね」

「一応男なんで……。その前に先輩が軽すぎますよ。そんなことより、さすがに帰らないと」

「うん。明日も証拠集め頑張らないといけないし、帰ろうか」

 

 僕の家から先輩の家は意外と近かった。僕と先輩は一駅違いの所に住んでいた。

 それを知った先輩が「良かった。遠かったら送ってくれるの申し訳ないな、と思ったし、真絃が帰り着くまで心配だったと思う。もちろん近くても心配だよ」と言う。心配してくれるのはありがたいけれど、僕、一応男だし、そんな心配されたくない、と変なプライドが心を支配していく。先輩は僕のことを友達ではなく、後輩とか弟とか、そんな風に見ているんじゃないか、と残念な気持ちになる。

「見て、月」と先輩が夜空を指差す。

 夜空を見ると、遠くで輝く月が、雲に隠されていく。

 もっと男として見てほしいのに、と心の中で呟いた。でも、すぐにこの気持ちを、雲が月を隠すように、心の中で気持ちを隠した。


 先輩が家に入るのを見届けて、また駅に向かった。先輩と話していたから忘れていたけれど、ここ、お母さんの不倫相手の家なんだよな、と思うと、ふっと笑えてくる。


 さっきの気持ちを隠して良かった。隠すだけじゃだめだな。消し去らないと。

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