20 花祭り

 家に帰ってから1週間が経った。


 もとの暮らしはすぐに体に馴染んで、以前のように個人的な日課と家事と手伝いを休むことなくこなしている。少し難度の高い製薬の依頼もあったが、すんなり完成させられたので、服用しやすく加工してみた。

 新しいメニューを取り入れた夕食はムウさんに気に入ってもらえた。ストックのなくなっていた蝋引き紙も、普段より手際よく作ることができた。昨日は大きめの兎が罠に掛かっていた。


 不自由も不都合もない。

 なのに、どことなく退屈で、満たされない。


 どろり、とした感情がずっと胸の底にあって重たい。ムウさんは相変わらず時々上の空になるし、きっと僕もそうなっている。でも互いにきっと大きな悩みではないから、顔を合わせたときは普段通りに会話する。ただ、薄い氷を隔てているような気まずさとよそよそしさだけがそこにあるだけ。


 ――このままじゃ駄目だと思った。


 空は薄い雲に覆われており、外からの風がしっとりと湿気を含んでいたが、この様子なら夜まで雨が降ることはないだろう。

 換気のために開けていた窓を施錠し、昼食の準備をしないまま、仕事中のムウさんに声をかける。


「たまには、一緒に出かけませんか。村まで」



 そろそろだとは思っていたが、偶然、ちょうど今日だったらしい。昼からの参加ではあるものの運が良い。あちこちから賑やかな声や音楽がする。


 コフ村の花祭り。


 遥か昔に、花の神がこの村を飢饉から救った、という伝承がある。花の神は大変朗らかな性格で、植物の声を聞き土地を肥沃にしただけでなく、村民へよく贈りものをしたり、村を守るために獣を蔓で捕らえたりしていたという。その神へ感謝を捧ぐために、年に一度、こうして食えや踊れやの祭りが開かれる。


 ムウさんは出不精というか、人混みを嫌うので村に下りること自体少ない。花祭りも僕一人で来たことなら何回もあるが、こうしてムウさんと一緒に来るのは幼い頃以来だろう。


 最近は近隣の村からも祭りに来る人が増え、以前の倍ほどに人が溢れている。その波に溶け込むように、僕たちもそっと加わる。露店から美味しそうな匂いがして、思わず吸い寄せられる。


「あら! セド君じゃない。今日はムウちゃんも一緒なのね!」


 行き交う人の中、先日も出迎えてくれた村長の奥さんに声を掛けられ、笑顔で挨拶を返す。


「こんにちは。今年も賑やかですね」

「うんうん。ちょっと曇ってるのが残念だけど、無事開催できたんだし関係ないわよね! 二人もぜひ、楽しんでいって」

「ああ。この間の馬車の手配の件も助かったよ。世話になった」


 簡単な会話を交わし、昼食を探す。職業柄か、普段は食べるものに気を遣っているが、今日くらいは好きなものを食べるつもりだ。食べ歩きできる料理や菓子を露店で買いつつ、頬張りながらあちこち巡っていく。買った中でも、獣肉の香草焼きは結構気に入った。まだ若いので味の濃いものや脂っこいものは幾らでも食べられるのだ。ムウさんは果実の包まれた餅のようなお菓子を、その小さな口でついばむように齧っていた。マナ構成体は空腹を感じないからか、お腹が膨れるようなものは選ばず、変わり種のものばかりを少しずつ味わっている。


 露店もジャンルごとにエリアが偏っており、飲食品のエリアを抜ければ、雑貨類の店が並ぶようになる。


 やはり花祭りというだけあって、どの雑貨屋も頭や体を飾るための生花を扱っている。店によってデザインが異なり、細身の花や銀糸を使って格好よく仕上げた飾り、八重咲きの花と大ぶりのリボンで華やかにまとめた飾りと、趣向が様々だ。周りを見れば、ほとんどの参加者が生花飾りを身に着けている。


 ふと、ひとつの生花飾りに目が行く。大きく可憐な紫色の花が3つ付いており、その傍らには白の小花が寄り添うように連なっている。葉をかたどった針金の装飾の裏には、髪へ固定するための金具が並んでいる。その髪飾りの横には似た雰囲気の耳飾りが売られていた。ムウさんにすごく似合いそうだと思って、迷わず購入する。


「ムウさん、これ――」


 少し離れたところで行動していたムウさんを呼び止めようと声をかけると、振り返ってこちらへ来るところだったようだ。僕と同じように、ムウさんも両手が塞がるほどの大きな袋を抱えている。何か面白いものでも見つけて買ったのだろうか。


「少し離れたところで休もうか。さっき買ったものを渡したいしな」

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