第3章 告白

第16話 一歩前進

 ずっとふわふわ浮いている感覚だった。

 家にいても、学校にいても、ご飯を食べていても、寝る前も。その理由を、わたしはちゃんと知っている。


 真矢ちゃんに恋してしまった。幼馴染の、女の子に。


 そんなことを自覚しただけでもいっぱいいっぱいなのに、更に――


「ハム子、おはよう」


 自分の初めての恋を日記に書いた、次の日の学校で。

 今までいつも遅刻ばかりで、誰とも話さず登校してくる真矢ちゃんが、わたしより早くに教室にいて、なんとわたしに挨拶してきたのだ。


 それだけで教室中がざわつく。わたしもびっくりして何も言えずにいると、真矢ちゃんはむすっとした表情でわたしを睨んだ。


「ねぇ聞こえてる?」

「……あっ、おはよう」


 我に返り慌てて返事すれば、彼女は満足したように「うむ」と頷き、自分の席に戻って行った。

 一緒に登校してきた友人たちは、真矢ちゃんが話しかけてきたことに驚き、真矢ちゃんが離れて行ったのを確認してから早口で捲し立て始める。


「ちょ、ちょっと! なんで豹辻さんが公子に挨拶してんの!?」

「てかなに、はむこ? って?」

「あんた豹辻さんに何したの!?」


 いつの間にか寄ってきた他の友人たちも一緒に、わたしを囲んで口々に疑問を投げてくる。

 わたしとしても、もう何が何だかわからなくて、何も答えられずおどおどするばかりだ。


「……ねぇ、公子さん」


 ふと、どこか冷たい声が聞こえ、思わず背筋が凍った。そちらの方を向くと――


「み、美舞ちゃん……」


 この前、真矢ちゃんと散々言い争いをした美舞ちゃんが、険しい顔つきで立っていた。

 気づけばその様子を、自分の席から真矢ちゃんも見ている。美舞ちゃんと同じように鋭い視線をこちらに向けていて、しかしわたしと目が合うと、どこか申し訳なさそうに眉を下げてみせた。


「公子さん。豹辻さんとどういう関係なの?」

「ど、どうって……」


 わたしはまた、言い淀む。

 今までもわたしは、真矢ちゃんと幼馴染だということを言えずにいて。それは、みんなから怖がられている真矢ちゃんと関わりがあると知られたら、わたしもクラスメイトから距離を取られるかもしれないと、思っていたからで。


 美舞ちゃんの言葉がまた、頭の中から聞こえてくる。


『あなたは学校一の問題児』

『クラスのはみ出しもの』


 真矢ちゃんに対して美舞ちゃんがこう言った時、わたしはそんなことはないと否定をした。けれども本当は、そう思ってしまっていた自分もいたのだ。

 だからずっと真矢ちゃんとの関係を言えなかった。こんなひどいことを、思ってしまっていたから。


 でも、でも、彼女は。



 ――あたしは、もうあんたを手放さない。



 そう言って、笑ってくれた。そんな彼女を、わたしはもう否定したくない。




 ――ずっと一緒だよね。また絶対会おうね、約束だよ



 ふとわたしは思い出す。真矢ちゃんがお家の都合で引っ越してしまうことが告げられた、小学生の時のこと。


 彼女は大粒の涙をぽろぽろとこぼしながら、「行きたくない」「ハムちゃんとはなればなれになりたくない」と泣いていて。

 そんな真矢ちゃんに、同じくらい大泣きして、けれど精一杯笑顔を作って、彼女の涙をハンカチで拭って、こう言ったのだ。


 ――たとえ今会えなくなっても、また大人になったら絶対会いに行くから!


 ――はなればなれじゃないよ。はなれてても心は一緒だよ!


 今思えばだいぶクサい言葉で、もっと他に言うべきことがあっただろうにと恥ずかしい気持ちになる。

 けれどそれを聞いた真矢ちゃんは、涙は流れ続けたままだったけれど、それでもふにゃりと笑って、そして、そう言ってくれたんだった。




 だいぶ昔の記憶なのに、その時の真矢ちゃんの優しくて暖かい笑顔ははっきりと覚えていて。わたしはきっとあの時から、ずっと真矢ちゃんのことが好きだったんだろう。


 そして、真矢ちゃんともう一度出会って、また話すようになって。

 でもこのままじゃ、また話せなくなるかもしれない。ギクシャクしてしまうかもしれない。


 それは、嫌だから。


 ――ガタン


 ふとそんな音が聞こえて、ずっと考え込んでいた頭が、すっと晴れた。

 見てみれば真矢ちゃんが椅子から立ち上がっていた。周りの子達はそんな彼女に驚き、ぴたりと体を硬直させる。ただ1人、美舞ちゃんだけが驚いた様子もなく、


「なに?」


 と冷たく言い放つ。すると真矢ちゃんは少し息を呑んだ。


「……あたし……」


 何かを言いかけ、俯いて、また顔を上げた彼女の表情を見て、わたしはすぐ理解する。


 真矢ちゃんは悩んでいるのだ。わたしのために。

 さっきの挨拶はたまたま気分でしただけ、こいつとはなんの関係でもない。そういったことを口にしようとしている。またわたしを避けて、遠ざけようと。


 けれど――それは、本人の本当の意思ではない。だって、言ってくれたから。


 こんなわたしの、横にいたいと、手放さないと言ってくれたから。

 なら、わたしがここで言うべきことはひとつだけ。


「……あたしとこいつは、別に――」




「友達だよ」




 わたしは真矢ちゃんの言葉を途中で遮る。真矢ちゃんは目を見開いて、わたしを見る。視線が合った。

 その顔に笑いかけてから、美舞ちゃんや他の友人たちに向き直る。みんなきょとんとしていて、美舞ちゃんだけが、きゅっと唇を強く結んで眉を顰めていた。


「わたしと真矢ちゃんは、友達だよ。それに小学校からの幼馴染なんだ。引っ越しちゃってしばらく会えてなかったんだけど、高校で一緒になったの」


 今までひた隠しにしてきたはずのことが、スラスラ口から滑り出てくる。これまでの薄暗い気持ちが、言葉を紡ぐごとに溶けて消えていく。


「真矢ちゃんって怖そうに見えるけど、本当はいい子なんだよ。ちょっと怒りっぽくて、口が悪いけど、でも自分の感情に任せてむやみやたらに暴力を振るうような子じゃないんだよ」


「ハム子……」と真矢ちゃんの呟く声が聞こえてくる。少しだけ声は震えていた。


「それにね、すごく可愛いんだよ。ツンデレっていうか、怒ってるように見えて本当は喜んでたりとか。尻尾を見ればすぐわかるの。わたしが苗字で呼んだ時は尻尾が垂れて、でも名前で呼んだらパタパタ揺れたり、そういう――あいたっ!?」


「いらんことまで言うなバカ! 誰がツンデレよ!」


 思わず熱が入って、真矢ちゃんの可愛いところをペラペラ語っていると、頭を叩かれてしまった。彼女を見れば、豹の耳と尻尾が生えている。あ、毛が逆立ってるから怒ってる時のやつだ。


「――って、ええと、違うよみんな! 今のは暴力じゃなくて、じゃれてるだけだから!」

「あ? また一発喰らいたいわけ?」

「ちょっと! フォローしてあげてるんだから余計誤解されるようなこと言わないで!」


 案の定、周りの子達はぽかんとしている。わたしはまた、真矢ちゃんのかわいいエピソードを語るべきかと口を開きかけ――



 「公子と豹辻さん、ほんとに仲良しなんだねぇ」



 ――ふと、そんな声が聞こえた。


 そんな言葉をきっかけに、他の子達も口々に


「ね! 息ぴったりじゃん」

「正反対だと思ってたけど、それがいい!」

「てか豹辻さんってツンデレなんだ……」


 と、そんなことを言い始めた。

 そしてわたしとよく遊ぶ、いつメンの友人たちは


「早く言ってくれたら良かったのに!」

「幼馴染だったの? 小学生から? すごいねぇ」


 なんて言い、更に真矢ちゃんに向き直って、なんと頭を下げ始めたのだ。


「豹辻さんごめんっ! あたしたちずっと、勘違いしてたみたい」

「ずっと遠くからジロジロ見てて、気分悪かったよね。ごめんなさい」

「悪い噂ばっかり信じて……豹辻さんのこと何にも知らないのに。公子も居心地悪かったでしょ、本当にごめんなさい」


 わたしに対しても謝って、それを見てなんだか、あぁ、なんであんな心配してたんだろうと、少し泣きそうになってしまう。


「いいの、わたしの方こそごめんね。わたし、豹辻さんとのことを言ったら、みんなから距離取られると思って、言えなかった」


 そう本当のことを口にする。しかしみんなは、一瞬目を丸くさせたが、すぐに笑って「そんなことないよ」と答えてくれた。

 真矢ちゃんはというと、頭を下げられたことに困惑していたものの、すぐにこう問いかける。


「別に謝らなくていいわ。でも……なんでそんなに簡単に受け入れてくれるのよ。あたしのこと、怖くないの?」

 豹の耳をぺたんとさせ、どことなく不安げに問いかける真矢ちゃん。そんな彼女に、みんなは口を揃えてこう言った。


「公子と仲良い子が、悪い子なわけないじゃん」


 その言葉に、思わずわたしと真矢ちゃんは顔を見合わせる。が、お互い気の抜けた、変な顔をしていたのだろう。ほっとしたのもあってか、2人で声を出して笑ってしまった。


 そんなことをしていると、次第に真矢ちゃんの周りにクラスメイトが集まって、みんな彼女に話しかけ始めた。真矢ちゃんは戸惑いつつも嬉しそうだ。



 本当に、簡単なことだった。

 最初から周りの友達を、真矢ちゃんを、信じて自分から行動すれば良かったんだ。

 後悔する前に言えて良かった。わたしは真矢ちゃんも、他の友人たちのことも大切で、どっちも手放してはいけないもので――



 ――って、あれ……?



 ふと気づいて周りを見渡す。けれどもその子は教室のどこにも見当たらない。

 わたしにとって大切な人のうちの、ひとり。




「美舞ちゃん……?」




⭐︎










「――もしもし。……私よ、園田美舞。……えぇ。ずっと迷ってたけど……決心がついた」



「あなたのその、協力してあげる」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る