第17話 嫌い

 みんなに真矢ちゃんとは幼馴染だと告げて、数日が経った。

 真矢ちゃんはクラスのみんなと打ち解け始め、次第にいろんな子と話すようになった。

 そんな嬉しい変化はあったものの――探偵のお仕事は、普通にあるわけで。



 放課後、家に一度帰ってから事務所に向かう。今日は絶対に来いと真矢ちゃんに言われていたので、少し急ぎ気味だ。家にスクールバッグだけ置いてすぐに向かう。


 事務所に入ると、応接室のソファーに真矢ちゃんは座っていた。彼女に向かい合うように座ってから気づく。沢谷さんの気配がどこにもない。「沢谷さんは?」と聞くと真矢ちゃんに「おじさんは仕事。ちょっと遅くなるって」と返された。


 なるほど、つまり、わたしと真矢ちゃん2人きり……


「? なんか顔赤くない? 熱?」

「ひょえ!? な、ナンデモナイヨ……」

「なんで片言なのよ」


 真矢ちゃんが怪訝そうにわたしを見つめる。い、言えない……真矢ちゃんと2人っきりだって意識したら体温上昇したなんて言えない……!


「そ、そんなことより、話って? 事務所でってことは、探偵のお仕事?」

「あぁ、そうだったわね」


 真矢ちゃんはそう言うと、急に背筋をスッと伸ばして真剣な顔つきになった。一瞬で空気が変わり、わたしは思わず一緒になって背筋を伸ばす。


 てっきり新しいお仕事が来たから、その内容確認かと思っていた。けれど真矢ちゃんの顔つきからして、どうもそうではないようだ。

 なぜか少しだけ、ほんの少しだけ不穏な感じがして、わたしは手をギュッと組んだ。真矢ちゃんはそんなわたしを眺めてから話し始める。


「今日はあんたに、その……相談をしたくて」

「相談?」


 真矢ちゃんがわたしに? 真矢ちゃんはわたしのこと頼りないやつだと感じてると思っていたから、なんだか意外だ。


「ほら、あたしたちってさ、来年には3年生でしょ? だからそろそろおじさんに、将来のことを考えた方がいいって言われてて」

「将来のこと……」


 なんだか予想以上に真面目で重苦しい問題だ。実際学校では先生からそういった進路の話を何度も聞かされている。素行が悪い真矢ちゃんなら尚更だろう。

 それに忘れていたけれど真矢ちゃんは今、絶賛家出中だった。両親と喧嘩して叔父さん……沢谷さんのこの探偵事務所に住まわせてもらっているのだ。


「えっと、どういう進路にしたいかもう決めてるの? ご両親とはお話ししてる?」

「してない」


 うわ、ズバッと躊躇なく言い切った……でもそうだろうなとは思った。


「でもおじさんとは話してるわ」

「沢谷さんは親ではないでしょ……そもそもどんな理由で家出してきたの?」


 幼い頃の真矢ちゃんは、両親と良好だったと思う。わたしの記憶が正しければ、一見怖そうなお父さんもいつもニコニコしていたお母さんも、とっても娘に優しかった。真矢ちゃんも両親が大好きだったはずなのに。


 真矢ちゃんは話したくなさそうにしていたけれど、ため息を吐いたあと観念したように話し始めた。


「喧嘩のきっかけはよくあることよ」


 そう言って首の後ろを掻き、わたしから目を逸らす。


「お父さんもお母さんも、あたしが成長するにつれて、だんだんあたしのすることにいちいち介入してくるようになったの。獣人種はただでさえ暴力的なイメージが強いから、もっと勉強して良い学校良い会社に就職して、社会的に高い地位を目指しなさいって。口うるさく言われたわ」


 わたしはまた頭の中で、真矢ちゃんの両親の顔を思い浮かべる。きっと二人の優しさゆえの言葉だったのだろう。かわいい娘を心配した、親の言葉。

 けれども思春期のわたしたちにとって、その言葉は自分の自由を奪われたような息苦しさを感じてしまう。冷静に考えればわかるような親心を、理解しようとせずに反抗してしまう。真矢ちゃんの性格ならば余計にそうだろう。


「それでつい口論になって、家を出てきちゃったの。そこで頼れたのがおじさんだけだった。おじさんはあたしの気持ちをわかってくれて、お父さんやお母さんと話をしてくれたの。それで高校在学中はおじさんの家にいても良いってことになった。その代わり、在学中に自分の進路もしっかり考えて、自分のやりたいことがはっきりしなければ親が決めた道を進むことも約束した」

「そうだったんだ……」


 ソファーの背もたれに寄りかかり、またため息を吐く真矢ちゃん。ちらりと首元に、エメラルドのネックレスが光って見える。


 わたしはやっぱり真矢ちゃんのことを全然知らなかった。真矢ちゃんが転校していったたあとの空白の時間は、わたしには知り得ないことだ。真矢ちゃんがどんな経験をして、何に悩んでいたのか。

 わたしは苦しい気持ちになる。でも、だからこそ。わたしは真矢ちゃんと一緒にいられる今、真矢ちゃんの力になりたい。これは親友として当然の気持ちだ。


 けれど、真矢ちゃんがどうしてこれをわたしに相談するのかがわからない。


「ええっと、それで、将来のことでなにを相談したいの?」

「……それは」


 何かを躊躇っているような真矢ちゃんの顔に違和感を覚える。いつもははっきりと思っていることを言う真矢ちゃんが、こんな言葉を選んでるかのように考え、真剣に話すのは珍しい。

 彼女は黙ったまま目を瞑り、やがて小さく息を吐いたあと、話し始めた。


「あたし、卒業してからも……探偵として働きたいの」


「……え?」


 わたしの中の時が、一瞬だけ止まった。

 真矢ちゃんは今なんと言った? 


「……ええっと。これからもこの事務所で、沢谷さんと働くってこと? それはあんまり、良いことではないんじゃないかな? 沢谷さんに頼りっぱなしになっちゃいそうだし……」


 わたしがそう言うと、真矢ちゃんは「そうじゃない」と首を横に振った。


「おじさんの事務所じゃなくって、自分で事務所を立ち上げるつもり」

「え?」

「本格的に探偵業をやってお金を稼ぎたいの。本当は今からでも高校を辞めて準備とか始めたいんだけど、お父さんとお母さんに高校卒業は約束しちゃったから――」

「そ、そういう問題じゃないよ」


 わたしはソファーから立ち上がった。真矢ちゃんは表情を変えずにわたしを見上げている。


「探偵で食べていける人なんてそうそういないと思うし、絶対苦労するよ。それに真矢ちゃん、このお仕事してて何度も危ない目に遭ってるよね? 今までなんとかなってきたけど、ひとりで、ってなるともっと危険だよ」


 言いながら、オニキスに真矢ちゃんが攫われた時のことを思い出してしまう。

 オニキスを追いかけている時も、もしここで見失ってしまったら、見つけられなかったらと、最悪の事態を何度も考えて、その度に怖くて仕方なくなって。


 あんな思いもうしたくないし、して欲しくない。あの時のことがフラッシュバックして体が震えてしまう。


「だから公子に話したの」


 呼び方がいつものあだ名から名前に変わって動揺する。真矢ちゃんは嘘でも冗談でもなく、本気なんだ。


「な、なにを言ってるの?」

「あたしと一緒に、探偵をやってほしい」


 ガタ、と静かな部屋に音が響いた。真矢ちゃんが立ち上がった音だ。わたしを見上げていた彼女の目線が、まっすぐに合う。

 その目がとても冗談を言っているような目ではなくって、わたしは一歩後ずさってしまった。柔らかいソファーに足が当たる。


「わ、たしと、一緒に……?」

「確かに今までいろんな危険な目に遭ってきた。それにあんたを巻きこんじゃたのはあたし。だから虫のいい話だとは思ってる。自分勝手だってのも。けど、あたしは――」

「――っ、いやだ」


 思わず、そう口に出していた。


「公子……」

「わたしは……わたしは怖いよ。真矢ちゃんが危険な目に遭って、もしものことがあったら、わたし」

「あんたがいれば大丈夫よ。今までだってそうやって――」



「今までが良かったとしても、これからはダメかもしれない! わたしは真矢ちゃんの役には立てない!」



 自分でも驚くほどの大声が出た。真矢ちゃんの今まで動かなかった瞳が、大きく見開かれ、揺れる。それでもわたしは口を閉じることができなかった。


「公子、あたしは――」

「さっき虫のいい話だって言ってたけど、本当にそうだよ。わたしはやりたくて探偵のお仕事をやってるわけじゃないの。真矢ちゃんに脅されたからやってるだけ」


 嘘だ。最初は不安だったけど、真矢ちゃんとまた仲良くなれるんじゃないかと期待していた。最近は真矢ちゃんと一緒にお仕事ができることが楽しかった。


「それなのにわたしに、高校卒業したあとも一緒にやろうって言うの? わたしはただのバイトだからやってもいいかなって思ったのに! わたしに自分のやりたいことを押し付けないでよ!」


 そんなことどうでもいい。わたしは真矢ちゃんの力になりたくて、探偵のお仕事をやっている。ただ、真矢ちゃんの隣にいたいだけ。


「真矢ちゃんのそういう無責任なところ――――大っ嫌い!」



 ――――嘘。本当は大好き。



 全部わたしの本当の気持ちじゃない。それなのになんで真逆のことを言ってしまうんだろう。思っていないことを言ってしまうんだろう。

 真矢ちゃんが人生を探偵業に捧げて、危ない目に遭うのが嫌だから。将来絶対に苦労する道に進んでほしくない。その思いと一緒に、真矢ちゃんの言葉がのしかかって、全て否定的な言葉になってしまう。

 真矢ちゃんはわたしのことを「便利な助手」だとしか思っていないの? だからわたしと一緒に探偵をやりたいなんて言ったの?


「――公子」


 真矢ちゃんの低い声でハッとした。わたしはなんてことを口走ってしまったんだろう。

 ごめん、と謝ろうとしても、声が出ない。代わりに出てくるのは涙だけ。

 気づけば彼女は半獣人化していて、耳と尻尾が生えていた。感情が昂っている証拠。きっと怒ってる。わたしが――大嫌いなんて言ったから。

 真矢ちゃんは俯いていた。表情は見えない。少し震えているような気がした。


「――まやちゃ、」


 やっと声が出せた。が、ささやき程度で彼女には届いていないようだった。涙を拭きたいのにハンカチをポケットから取り出すこともできない。


「――ごめん」


 その謝罪の言葉は、わたしの口からではなく真矢ちゃんの口から漏れ出た。


「ちょっと、頭冷やしてくる……っ!」

「――ま、真矢ちゃん!」


 わたしが引き止めるよりも先に、真矢ちゃんは駆け出していた。わたしの手を避けて事務所の外に出て行く。


「待って、待って真矢ちゃん!」


 やっと出た大声も意味なく部屋に響くだけ。シーンと静まり返った空間の中で、わたしは糸が切れたようにへたりと座り込んでしまった。


「ごめん……ごめんね真矢ちゃん……」


 ――本当は、一緒に探偵をやってもいいんじゃないかって思ったの。

 けれどやっぱり、またあんな怖い思いを、して欲しくなくて……。


「これじゃ……真矢ちゃんのお父さんやお母さんと同じだ……っ」


 きっと真矢ちゃんは、自分のやりたいことを肯定して欲しかったんだと思う。誰にも左右されず、自分の好きなことをしていく人生を。難しいことだと言われても、否定はして欲しくなかったんだと思う。わたしが一緒に探偵をやることを断ったとしても。


 けれどわたしは否定してしまった。真矢ちゃんのご両親と同じように――いや、身内でもなんでもない他人の分際で、一緒に探偵をやってほしいという持ちかけを断るどころか、偽りの言葉――大嫌いなんて、言ってしまった。


 きっと真矢ちゃんは手を取って欲しかったんだろう。危険な目に遭ったとしても、わたしとだったら乗り越えられると、思ってくれたのに。


「ご、めんね……っ」


 涙が止まらなくて目を擦る。お母さんに目はデリケートだからハンカチで拭きなさいって言われていたけれど、そんなことに気を配っている余裕はなかった。




 しばらくその場に座り込んで泣いていたけれど、そのうち涙も止まって、わたしは立ち上がる。


「……真矢ちゃん、どこ行ったのかな」


 外を見ればもう夕暮れで、もうじき暗くなりそうな雰囲気になっていた。時計を見れば午後5時半をさしている。


「探しに行かなきゃ……」


 女の子がひとり、暗くなった町を出歩くのは危ない。探して事務所に戻って、ちゃんと謝って、もう一度話そう。


 そう決心して、わたしはスマホと財布、事務所の鍵を手に取ろうとして――ガチャリという音に、びくりと肩を震わせた。


「真矢ちゃん?」


 もしくは沢谷さんだろう。事務所の前には営業してませんの看板がかかっているから、お客さんではないと思う。

 どっちにしろ、出迎えに行かなくては。わたしは玄関まで駆け出す。


「……? 真矢ちゃん? 沢谷さん?」


 確かにドアの開く音がしたはずなのに、玄関には誰もいなかった。ドアを確認する。開いている。外を見るも、やはり誰もいない。

 わたしは不審に思いつつも、一度事務所の中に戻ろうと振り返り――




 ――突然口を布で押さえつけられた。




「んむ!?」


 なにが起きたのかさっぱり分からず、しかし強い力で押さえつけてくるものから逃れようと、必死に身を捩る。が、わたしの非力な抵抗ではどうすることもできない。


「んっ、ぐ! ……ん、んぅ……」

 恐怖に目を瞑って体を動かしていると、急にスッと力が抜けていくのを感じ、強烈な眠気に襲われた。


 ――もしかして、すいみん、やく――――……。


 瞼が驚くほど重く、目を開くことができないわたしの意識は、抵抗虚しくゆっくりと闇に落ちていく。

 そんな朦朧とした中で、最後に認識できたのは、聞き覚えのある男の声だった。







「――ゆっくり寝てな、クソガキ」

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