#3
地下聖堂は、困惑と絶望のざわめきを満たしてていた。
地下聖堂に落下してきた巨大な鉄色の腕は、出入り口を塞いだままだんだんと黒ずみはじめ、地面に作り出した赤黒く鉄くさい水たまりを作り出していった。
それが、唯一の地上への通路を無残に塞いでいる。撒き散らされた赤黒い血と鼻をつくその臭いが、土埃と人々の恐怖に混じり合う。
戦闘音は止んだ。だがそれは、守護者の敗北を意味する、不吉な静寂だった。
そうしてあの不気味な羽音のうなり。それが響くまではま、すすり泣き、怒号、途方に暮れた呟きが、閉ざされた空間、薄暗いそこへと反響していたのだ。
だがそれは、あの羽の振動の音、あるいはそれと同じくして突然青く光り出した少年によって、その学ランを着た少年、呉秀青一郎への注目へと成り代わっていた。
「
「いやしかし、あんなの聞いたことも見たこともないぜ、それに
そんな周りの声も、呉秀には届いていなかった。彼は激しい苦しみと、それが何故か分からないがための恐怖に陥っていった。彼は『青力』などもっていないのだ。彼は『青徒』でも無かった。彼は生まれながらの『無能力者』だった、そのはずなのに。
呉秀は床に突っ伏したまま、腹の底から込み上げる激しい熱、そして痛みに喘いでいた。
意識が朦朧とする。目を閉じているのに、まぶたの裏で奇妙な幾何学とした模様──いくつもの円が重なり合い、花のような形を作る──が明滅している。そして、耳鳴りのように、あの不気味な重低音が響いていた。
…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。
体から放たれる淡い青い光は、まだ消えていない。
「呉秀さん……!」
栄倉ミヤビが、その異様な光景に怯えながらも、彼の名を呼んだ。京屋ツバキは、ただ目を見開いて、立ちすくんでいた。
そのとき、ひときわ大きな地響きとともに、地下聖堂の天井へと大きなひびが入った。真上から、重々しい地鳴りがして、地下聖堂の中を地震のように揺らした。
栄倉はつばを飲み込んだ。このままでは、全員、ここで死ぬ。
栄倉は呉秀をみやり、眉を落としたが、それから強く唇を結んだ。そして彼女は、傍らに寄り添っていた──小鳥、カエル、ウサギ──彼らへと、しゃがみ込んで目線をあわせ、その意識を集中させるように目を閉じた。
すると彼女の体からも、呉秀の光とは違う、春の海の色のような青い光が微かに発せられた。
「お願い……ここから逃げる道は、ないの……?」
動物たちが、彼女の問いかけに応えるように小さく鳴き、一斉にある方向をみた。それは、栄倉のいる地下聖堂の出入り口近く、巨腕が落下したその場所からは、ちょうど反対側の壁だった。古びたしっくいの壁、その一部に、よくよくみればなにか不自然な継ぎ目がある。つなぎ目は人一人が通れるほどの、丸い円上のものだった。
「あそこ……! もしかして……!」
栄倉がそういいながら、壁の継ぎ目へと近づく。栄倉は、坂倉がそうすると、近くにいた数人の大人たちが気づき、栄倉の元へと駆けつける。
大人の一人が、地下聖堂にいた人々へと大声で呼びかけた。
「だれか! ここをぶっ壊せないか?! シスターさん、ここから出られるんだな? ガチで言ってんだよな?! ──よし! ここだ!!」
「なんだ? そこか? そこなんだな?! ……よし、俺がやろう」
「私も、できますな」
「おい、危ないからその壁から離れて!」
何人かの大人たちが、壁のつなぎ目のすこし前に立つ。彼らはめいめいの銃を取り出し、しっくいの壁にあるつなぎ目へと狙いを付けた。おたがいに目配せしあい、銃がそれぞれ打つべき場所へと向けられる。
初老の男、リボルバーを両手で構えた彼が言った。
「撃ちますぞ。みなさん」
それぞれの銃声がばらばらに鳴り響き。何発ものそれとともに、しっくいの壁へとぽこぽこと黒い穴が開いていく。ちょうど壁のつなぎ目に沿うように弾痕が空いた。銃を持ったままの若い男、季節外れのアロハシャツが、弾痕の円の中央を蹴飛ばすと、壁はボカッと大きな空洞の口を開かせた。
「こいつか!」
若い男が、空いた穴からその先の空洞へと飛び込む。
埃っぽく、暗い穴が奥へと続いている。その最も奥から、光が差し込んでくる。太陽の光よりも冷たいそれは、月光であった。
「隠し通路だ!」「助かるのか!?」
人々の間に、僅かな希望がさざ波のように広がった。穴を開けた者たちが先に立ちながら、人々は今に崩れそうな地下聖堂から、その隠し通路を進み出した。
隠し通路は狭く、暗く、カビ臭かった。壁には古い時代の紋様や文字が刻まれているようだが、今はそれどころではない。人々は黙々と、しかし必死に先へと進む。時折、地上からか、あるいは壁の向こうからか、鈍い衝撃音や、怪獣のものと思われる咆哮が微かに聞こえ、そのたびに緊張が走った。
呉秀は栄倉と京屋に両肩を担がれながら、地下聖堂から、隠し通路へとようやっと下りた。それからも肩を貸してもらいながら、よたよたと隠し通路の出口へと向かっていった。腹部の痛みは波のように寄せては返し、幻覚と幻聴も続いている。
呉秀は隠し通路の途中で、自分よりも小柄な女子たちの肩を借りるのを、彼の遺された意地で固持したが、一人ではまともに歩くのもやっとだった。
そうして栄倉は呉秀の手を取り、京屋は呉秀の後ろをゆっくりと歩いていった。彼らが出口の近くに来たときには、大半の人々は外へと出てしまっていた。
呉秀立ちの足下へと、月光が、入り込んでくる。外への出口が近づいてくる。
ふと、出口のすぐ脇に、二つの人影が、通路を挟むように立っていた。
それは、ツタの生え渡っている、一対の菩薩をした仏像だった。外に向かって立っているのだった。右の菩薩は太陽らしきものを掲げ、左の菩薩は月のようなものを捧げ持っていた。
人々がこの仏像たちの間を通り抜けて外へと向かうなかで、栄倉は、その二体の菩薩像の前で立ち止まって振り、深く祈りを捧げた。
「……月光菩薩と、日光菩薩だ」
呉秀が、栄倉の姿を見ながらつぶやいた。京谷はうなずいた。彼女へと呉秀は振り向き、よわよわしく微笑んだ。
「学園の図書館で……この菩薩さまの名前が由来な……マンガ、ヒーローのマンガを、読んだことが……ある。京屋さん、あなたも拝んだ方がいい……こんなトコロにあるのは、守護者だからに……違いない」
「ええ、でも、私は自分の身は自分で守るわ。とっとと逃げることでね。時間を無駄にできないわ、いそぎましょう」
そうして出口から外へ出ると、そこには草やぶの生え茂る広場があり、その真ん中には祭壇らしきものが草木に隠れながらまだ残っていた。そんな荒れ放題の広場の周りは、裏山のようであった。広場一帯からは、街を見下ろせた。小高い丘の上にあるらしい。
先に地上へ出た人々が、安堵の声を上げる──だが、それも束の間だった。
「ひっ…!」「い、いたぞ!」
広場の向こう、破壊された教会の残骸に覆い被さるような、巨大な影が動くのが見えた。
怪獣だ。「キセノン」だ。あまりにも近すぎる場所に、それはいた。キセノンの巨大な体、その全身が見渡せないほどの、視界すべてがキセノンに覆い隠されるほどの、そんな至近にいるのだった。それは、隠し通路が短かったのではない。キセノンが大きすぎるのだ。
崩れた教会を、周りの建物ごと覆い隠すようなキセノンの巨体、それから伸びた二つの首が大地をあさるように蠢いている。
その首のうちの一本はいま大きく持ち上がり、その口に鉄色と血色の頭を丸呑みにせんばかりにくわえ込んでいる。くわえられた頭は、まるで西洋甲冑のかぶとを思わずもので、あの『協聖の巨人』の首から先に違いなかった。
キセノンはその首を、大きなワニのような、それよりも禍々しい大きな口で。ボリバリと大きな音を立ててかみ砕いていき。長い首で飲み込んでいった。
キセノンのもう一つの首がいま、大地に転がる鉄色の下半身、足が一本しか残っていないそれに、歯形を付けながらバクバクと食らいついていく。頭を食べ終えたほうの首も、それへと加わる。……
「神父様が……」
広場にいる人々、そのなかから声が漏れた。
すぐに、キセノンは食べ終わった。その二つの頭が、高く持ち上がる。その目が地上をなめるように見渡していく。
京屋はそれをぼんやり見ながら、キセノンの歯の一本は、サイズがちょうど子供一人分ぐらいの大きさがあるのだと、思った。そのくらいはっきりと見えるほど、キセノンは近くにいた。
その時、山の中に逃げ込もうとする人々の中から、数人の者たちがその身に青い光──『
栄倉は、空をキセノンの方へと飛んでいく青徒たち、夜の闇の中を青く飛ぶ彼らのなかに、礼拝のため教会によく来ていた信徒の、壮年な男の姿を見た。
彼らの小さな人型は、すぐに遠くなり、青をまとった点のようになって、そしてキセノンの頭の周りを飛び回った。キセノンが彼らへと口を開け、食らいつこうとすると、空の青徒たちは栄倉たちのいるほうとは逆の方へ、誘うように飛んでいった。
キセノンは首を彷徨わせながら、青い光たちの方へと引き寄せられていった。だがいきなり、二本の首で天へと咆吼し、その響きがおさまらないうちに、その長い首の後ろに生えた太く長い毛並みへとバチバチ電気をまとわせて逆立たせていった。
空飛ぶ青い光たちは一斉に散開して、一目散にバラバラの方向へと滑空していった。
呉秀たちの頭上を、何人かの青光が飛んでいく──
そうして。キセノンの首が一まわり大きくなった、そのように見えるほどその毛が逆立った時、空中が一気にプラズマで満ちあふれた。呉秀たちの頭の上を電光が覆い、その向こうまでもがシャッターを切った一瞬のように明るくなった。キセノンはその背にためた電気を、一気に放電したのだった。
静けさを取り戻した夜空から、青い光を失っていく人影たちが、あちらこちらで真っ逆さまに墜落していく。
ドシャッ!
そのうちの一つが、呉秀たちのすぐ近く、隠し通路から少し離れた辺りの裏山に、叩きつけられた。墜ちてくるときにはまだ微かに青い光を帯びていたが、その時にはすでに黒ずんでいた。肉の焼ける臭いと、死臭が鼻をつく。
キセノンは、獲物が落ちたのを確認すると、近くに墜ちた物から、その二本の首で咥え上げ、首で弾みを付けて口の中へと放り込んでいった。かみ砕く音は、先ほどよりも小さかった。
そうして、キセノンは呉秀たちが山の中へと入り込んで隠れている、その遙か高みで、悠然とその首を巡らし、墜ちた焼死体を見つけようとしていた。。
その巨大な顎の端から、服の焼け焦げた切れっ端が、なにかをだらんとさせながら垂れているのが見えた。
キセノンの二対の双眸、四つの目が、ぎらぎらと光っている。ゆっくりと、しかし確実に、呉秀たちの方へ近づいてくる。さっき墜ちた死体は、まだ呉秀たちからくっきりと見えるほど近くにあった。
キセノンが二つの首をどちらも、呉秀立ちの居る方へと向けた、二つの口が、牙に人間の食べかすを付けながら大きく開き、ゆったりとした動き、しかしあまりにも大きな動きで、あっさりとすぐ目の前に近づいてきた。
栄倉は、京屋と呉秀をを庇うように前に立ち、京屋は呉秀の両肩へと手をやりながら、諦めたように目を伏せた。
もう終わりだ──呉秀が(しかし、こんな時さえ僕の腹は、吐き気は、治らないな)──そう思った、その瞬間。
上空はるかから一条の純白の光が射し、彼の体、呉秀の体だけを捉えた。はじめからずっと見ていた存在が、今このときにになって、初めて介入をしようというのである。
(また、あれか──!?)
抗いがたい浮遊感。体が宙へと引き上げられていく。あのうなるような羽音はせず、今度は意識がある。
「ううえっ……、おえっ、うぐっ、京屋さん、坂倉さん……?!」
もがくが、見えない力に完全に拘束されている。呉秀は、天から伸びる白い帯のような光線に、空中へと持ち上げられてしまう。
「あ……! なにあれは、ゆ、ユーフォー……。なんで、呉秀くんだけ……」
地上で、京屋が呆然と呟いた。
「呉秀さん──っ!」
栄倉の悲痛な叫びがひびく。
キセノンは、獲物のウチの一つを横取りされたことに気づいたのか、あるいはキセノンよりも高空から引力を持った光を垂らす、その存在に警戒したのか、動きを止め、白い引力光を照らしている空のほうを見上げていた。
呉秀の宙に浮いた足、雲のたゆたう高度よりももっと上から吊されて宙を浮く足もと、それよりも下の大地で、栄倉が、呆然と立ちすくむ京屋のその手を取って、暗がりの方へと、地下聖堂のあの洞穴へと駆け出すのが、呉秀にはわずかに見えて──
そのときにはすでに、呉秀の体は、高高度に浮遊するその飛行物体、円盤形の宇宙船、UFOの内部へと吸い込まれた。
吐き飛ばせソシャゲ世界 おおお @OOOSHOGO
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