幕間 懐かない白猫
「北見紫亜です。よろしくお願いします」
小学校五年生になって半年が経った頃に北見紫亜が転校して来た。
私が転校して来た北見さんを初めて見た時はとても綺麗な子。なんだか白い毛並みに宝石のような赤い瞳を持ってる綺麗な猫。そんな印象だった。
初めは好奇心旺盛なクラスメイトが彼女に群がったが、しばらくするとクラスメイトを全然相手にしない彼女に皆、自然と興味が薄れていった。
そんな北見さんがずっと一人なのも寂しくはないかと思って、休み時間に話し掛けてみた。
「ねぇ、北見さん。私、西園優真って言うんだけど、」
「……」
自己紹介をしたのに、ガン無視。ずっと教科書を見てるだけの癖に。
私なんて居ないかの様に教科書を捲る。
私はその時、ガン無視された事にすっごく腹が立った。
「ちょっと! あんた、私の話聞いて……」
そう言った所で仲裁に入る様に慌てて友人が来た。
「あ〜。優真ちゃん。北見さんは一人が好きなんじゃないの?」
「は? でも、話し掛けてんだから無視はないでしょ」
「まあまあ、優真ちゃん。外に遊びに行こ〜。ドッジボールの人数足りないんだ〜」
そう言って問答無用でズルズルと私を引きずって行く友人。そんな友人に引きずられながらも、無視してもずっと構ってやる。そう心に勝手に誓った。
次の日、私はまた北見さんに絡んだ。
「ねぇ、北見さん」
「……」
放課後、校庭の裏庭の日陰で茶トラの野良猫と遊んでる北見さんを見つけた。
正直、私は動物が苦手……というか何故か嫌われるのであんまり近寄らないようにしている。
だからついしかめっ面になってしまったのか、野良猫が私を見て威嚇してくる。
「大丈夫。大丈夫だよ」
私に絶賛威嚇中の茶トラの野良猫をなだめながら、北見さんは抱き締めて撫でている。
「よしよし」
というか、また私をガン無視。
「無視しないでくれる? なんで無視するの?」
「……仲良くなっても、すぐに私、居なくなるもん」
「……は」
言葉の意味が分からずに首を傾げる。
「……ごめん。忘れて」
俯いて野良猫を見つめて、抱き抱えている野良猫を下ろしてあげていた。そして、そのままその野良猫は何処かに走り去って行った。
「またね」
野良猫に向かって手を振って、北見さんは近くに置いていたランドセルを背負った。
「帰るの?」
「うん。猫さん、どっか行っちゃったから」
私は野良猫以下か。
返事を返してくれるだけ昨日よりは一歩前進かな。
「そ。じゃあね」
手を振ると、北見さんは手を振り返さずに「またね」とそれだけを言った。
さっき、何かに絶望したような、諦めているような表情をしていた。
「あの白猫は私に懐くのかな」
居なくなる、の意味は分からないが、きっとあの子に取ってトラウマのような事なのだろう。
……動物には嫌われやすいけど、なんか猫みたいだけど、あの子は人間なんだし、せめて話せるようにはなりたいんだけど。
「ま、話せるようにはなりたいから、あんな顔、ウザ絡みして出来なくなるようにしよ」
……私の事を無視した事を後悔させるように。
一ヶ月くらいしばらく北見さんにしつこく話し掛けてたら、少しは話してくれるようになった。
「西園さん」
放課後、先回りで校庭の裏庭の日陰で野良猫と威嚇し合う。
休み時間の教室だと相変わらず、あんまり話してくれないから、ここなら何とか話してくれる。私の苦肉の策だ。
「……なんで、猫さんとにらめっこしてるの」
「こいつが私を見る度に威嚇してくるからよ」
そう言って茶トラの野良猫を指差すとなんか、野良猫が私に向かって「は?」という顔をしている。それ、こっちのセリフなんだけど。
「なんで嫌われるの?」
不思議そうに首を傾げているが、私もなんでそんなに北見さんが動物に好かれているのか不思議だ。
「さぁ? 知らない。何にもしてないのにいつもこう。だから、動物は苦手」
「そうなんだ。私はなんか好かれてるから、反対の人も居るんだ」
野良猫を抱き上げて撫でている。全然逃げないから、そっちの方が凄いと思う。
「居るのよ。……そっちは好かれてて良いわね。私は撫でようとしても引っ掻かれるし、全然ダメ」
ふと、思い立って白い猫のような彼女の頭を撫でてみる。彼女は瞳を閉じて大人しく撫でられている。
急に触ったから嫌がるかな、とは思ったけどそうでも無かった。
ふわふわしたボブカットの白い髪がなんか白い毛並みみたい。この子なら、触っても逃げられたり、威嚇されたりしないのに。
「北見さんは逃げないのにね」
「……人間だよ?」
「そうね。ふふっ」
撫でる手を止めて、手を離す。
「ねぇ、」
「……なに」
「勉強、好きなの?」
休み時間ずっと、宿題をしてたり、次の授業の予習をしてたりしてる。
別に玲奈みたいに本を読んでたり、私みたいに遊んだりしてても良いのに。
「好きじゃない。……でも、ここの学校、前の学校より勉強、大分進んでたから」
あー。なるほど。だいたい分かった。
「予習したり復習しないと分からないって事ね」
「そう」
「私で良ければ教えるけど、……まぁ、私も分かんなければ友達に聞くけど」
まぁ、友達というか幼馴染の玲奈なんだけど。あの子、私よりも頭良いし。
まぁ、初めから玲奈を頼りたくは無いという気持ちもある。玲奈は優しいからこの子が玲奈に懐いて、好きになられても困る。
私の方が先に好きだったのに、と確実に嫉妬するだろうし。
「……いいの?」
「いいわよ。そしたら、休み時間も話に付き合ってくれる?」
玲奈は違うクラスだし、クラスメイトは都合の良い時に私を頼ってくるし、……まぁ、頼られるのは悪い気はしないけど。
とにかく休み時間に私の話をテキトーでも良いから最後まで聞いてくれる人が欲しい。
くっそしょうもない話って本当に仲良くないと最後まで話を聞いて貰えないし。
……まぁ、私も自分の話の聞き役が欲しくてこの子を利用しようとしているのだから、勉強を教えるくらいはする。
「……なんで」
「何」
「なんで、そんなに時間を割いてまで、私に構うの? 西園さんは私よりもたくさん友達居るのに」
またその不思議そうな瞳。友達は今のクラスにも居るが、私のくだらない話よりも直ぐに最近人気の音楽とか芸能人とか流行っている物の話に成り代わってしまう。それが嫌なだけ、という結構自己中心的な考えだと思う。
「休み時間に私の限りなくしょうもない話でも聞いてくれる人が欲しいのよ。それだけ」
まぁ、理由なんてくだらなすぎて聞くだけ、無駄だと自分で思っても言っちゃうんだけどね。これで嫌がられるなら、もう絡まない。
やっと話せるようになったのに、本気でこの子に嫌われたくないし。
「ふふっ。なにそれ」
あ、やっと笑ってくれた。
こんなに可愛い笑顔なら、クラスメイトの子達も絡みやすいんだろうな。
いつも無表情だから、笑わない無表情な綺麗な子というのはなんか話しかけにくかったようで、よく北見さんに何か用がある時は積極的に絡みに行ってる私を通して北見さんに提出物とかしてもらってた。
だから、この子のこの笑顔を見れば皆、前よりは喋れるんじゃないかと思う。
「そうやって笑いなさいよ」
前にしていた絶望しているような、諦めているような顔よりも全然良い。
「え、」
「可愛いから」
「……かわいく、なんか」
咄嗟に撫でていた野良猫を見つめて、目線が合わなくなった。
「可愛い。こんなに美少女の私が言ってるんだから、あんたは可愛いのよ! 自信を持ちなさい」
綺麗な癖に否定する北見さんが気に入らなくて、思わず可愛いと力説してしまった。
「な……なにそれ。なんで西園さんが力説してるの……ふふっ」
「なんか、笑われると私がナルシストみたいじゃない! こう見えて、結構色々告白されるんだから!」
定期的に果たし状も来るけど。
野良猫がモゾモゾ動き出したので、北見さんは野良猫を地面に下ろしていた。そうすると直ぐにどっかに行く。
北見さんはひとしきり笑った後に私に視線を合わせてくれた。
……本当に綺麗な赤い瞳。宝石みたいだ。
「休み時間、西園さんが都合が良い日は勉強教えて」
「いいわよ。授業に追いつくまでで良い?」
「うん。まだちょっと分かんないから、お願いするね」
そうして北見さんに休み時間に勉強を教える事になった。
こんなに長く話せたのは初めてだったから、また一歩前進、という所か。
それに頭を撫でても嫌がられなかったし、何となく悪い気はしなかった。
あれから、そこそこ時が過ぎて、やっと北見さんに休み時間に勉強を教える時間が終わる。
「ここまでが今までの所」
「うん。やっと最近の所に追い付いた」
嬉しそうに教科書を見つめる北見さん。
「今までありがとう。助かりました」
最近の北見さんは表情が柔らかくなってきたな、と感じる。
初めはガン無視するわ、無表情だわ、何考えてるかさっぱり分からないわで結構手強かったのに。
いつの間にか、初めにしていた様な気に入らなかった表情はしなくなっていた。
それにやっと勉強を教える時間が終わった。この子は真面目な子だし、勉強にさえ追いつければ、予習復習もするみたいだし、授業内容が分からない、なんて事はもう起きないだろう。
「よし。明日から私の話、付き合ってよね」
「え、……うん。よろしくね」
そう言って微笑んだ北見さんはとても綺麗で可愛いと思った。
「よっしゃ!」
思わずガッツポーズをすると、北見さんは不思議そうに首を傾げる。
「なんで喜ぶの?」
「私の話に付き合ってくれるって事はガン無視しないって事でしょ。だから嬉しいの」
「う、うん。……あの、初めの時はごめんね。無視して、態度がとても悪かったと思う」
本当に困り眉で私の様子を伺っているから、心から反省しているっぽい。
「過ぎた事はもうどうでもいいわよ。許してあげるから、とりあえず私の話、聞いてくれる?」
私としても話に付き合ってくれるなら、もういい。それに謝ってくれたし。
私はともかく昨日のドッジボールで私ばっかり狙われて、腹が立った事とか、一昨日、近所の野良猫と喧嘩したとか、そういうくだらない事を早く聞いて欲しい。
「ねぇ、」
「な、なに」
「いい加減、こんだけ絡んでるんだから私達、友達ね」
「え、」
「友達だから。私の事は優真って呼んで、私もあんたの事を紫亜って呼ぶから」
「名前……覚えてて……」
なんで、こんな事で嬉しそうな表情をしているのか、分からない。クラスメイトなんだし、名前くらいは流石に覚えている。
「それくらい覚えてるわよ」
ジト目で机に肘をつきながら、紫亜を見ると、紫亜は嬉しいのか、「友達……」と私が言った言葉を復唱していた。
「そうよ。友達。だから、話を聞いてってば、紫亜」
「……うん。……優真」
紫亜は遠慮がちに私の名前をやっと呼んでくれた。
私はそのまま、話したかったくだらない話をする。それを一生懸命聞いて相槌を打ってくれる紫亜に凄く満足する。
私はやっと懐かない白猫が私に懐いてくれたと心の中で嬉しくなった。
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