第4章 真の神として⑤

4.3.3 神の降臨


ビロードのように滑らかな純白のカーペットが、儀式の間の大理石の床を覆っていた。

その上に敷かれた無数の白い花弁は、まるで降り積もる雪のように神秘的な光を帯びている。

中央には白銀の玉座。

天井から垂れ下がる無数の燭台が、燭火の柔らかな明かりで室内を照らしていた。


周囲には、未改造の信者たちが整列していた。

彼らは貧しさに疲れ果てた者、理不尽な労働に身も心も砕かれた者、家庭の暴力から逃れてきた者、生きる意味を見失った者……すべてが、傷つき、絶望の果てにたどり着いた者たち。


顔色は蒼白く、目の下には深い隈が刻まれ、か細い手指が震えている者もいる。

服は粗末で、清潔感もない。

何かにすがるように、ひそひそと囁き交わしながら、彼らはその時を待っていた。



──そして、扉が開かれる。


一斉に息を呑む音が聞こえた。

囁き声が消え、沈黙が降りる。


「――わたしの愛しい子どもたち……」


その声は、甘く響く鈴の音のように空間を満たした。


神々しい光を背に、神が降臨する。


月光を編んだような銀色の髪が床を流れるように広がり、純白の肌は燭光を受けて淡く輝いていた。

目は深く青い光をたたえ、全身に施された無数の改造が、その存在をこの世のものならぬ異形へと昇華していた。

額にはユニコーンのような白い角がそびえ、指は24本、滑らかな肌には一片の瑕疵もない。


しかし、最も彼らを魅了したのは、その仕草だった。


わたしは、まるで天の聖母のように両腕を広げる。

純白の翼のごとき手を、細長い指をしなやかに動かしながら、まるで祝福を与えるかのように、ゆっくりと人々を包み込むような仕草をする。

口元には穏やかな微笑を浮かべ、深く青く染まった瞳は慈しみに満ちていた。


レアとミナが彼の両脇に控えていた。

二人もまた、異形の聖性を帯びた身体をまとい、わたしの背後に従う。

レアの眼球は深紅に燃え、ミナのそれは金色に輝く。

彼女たちの長い銀色の髪が滑らかに揺れ、尻尾がしなやかに動くたびに、信者たちは幻惑されたように息を詰めた。


一人の若い男が、震える足取りで前へ進み出る。

やつれた頬、青白い肌、落ち窪んだ目――


おそらくは長く続く過労と、貧しさに蝕まれてきたのだろう。

ぼろ切れのような衣服を纏いながらも、彼は意を決したように顔を上げ、か細い声で呟いた。



「……助けてください」


わたしはその言葉を待っていたかのように、微笑を深めた。


「ええ、ええ。もう、何も恐れなくていいのよ。わたしが、あなたを抱きしめてあげるわ……あなたは、わたしの大切な子どもなのだから……」


そう言って、優雅に手を差し伸べた。


純白の指先が、震える男の頬をそっと撫でる。


その瞬間、男の顔が歪んだ。


目に涙を溜め、両膝をついてわたしの足にすがりつこうとするが、レアとミナ以外の者が神であるわたしに触れることは許されない。


驚いたように瞳を見開いたかと思うと、熱にうかされたようにわななく。

やがて、男の後ろにいた者たちも次々とひれ伏した。


彼らは皆、涙を流しながら口々に叫ぶ。


「ヴァイス・ブルーテ……!」

「どうか、我らをお導きください……!」

「私たちも、あなたのようになりたい……!」


わたしは、その言葉を待っていた。


「そう……すべての痛みも、苦しみも、悲しみも、ここではもういらないの。あなたたちも、わたしと同じように、新しい生を受け入れるのです……そうすれば、苦しみから解き放たれるわ……」


その甘美な言葉は、彼らの心に絡みつくように響いた。


やがて、数人の者が立ち上がり、震える声で言った。


「……私も、変わりたい……!」


待っていたのは、その言葉だった。


レアとミナが穏やかな微笑を浮かべ、改造の儀式へと彼らを導いていく。部屋の奥には、白く清潔な手術台が並び、純白の衣をまとった医師たちが待機していた。


「お好きな形を選んで。あなたが一番美しいと感じるもの……」


シノは優しく囁きながら、彼らの額に白い指を這わせた。

その指先は冷たいはずなのに、触れられた者たちは恍惚とした表情を浮かべる。


「舌を……割いてください……」


「わたしは……牙を……」


「耳を、神の形に……」


「私は豊かな乳房がほしい……」


信者たちは、もはや迷いのない目をしていた。


一人、また一人と、純白の衣を纏いながら、整然と手術室へと消えていく。


数時間後、赤く滲んだ鮮血を纏いながら、彼らは戻ってきた。

痛みと歓喜に震えながら、彼らは額を床に擦りつけ、声を震わせて言う。


「……ヴァイス・ブルーテ、わたしは、変わりました……!」


シノは甘く微笑み、血に濡れた彼らの頬をそっと撫でる。


「ええ、とても、美しいわ……。あなたたちは人間を超え、神へと近づいたのよ」


長いまつ毛を伏せ、しなやかな指を新しく生まれ変わった者たちの顎に添え、上を向かせる。


「あなたの名は……アリア……」


「あなたは……カイネ……」


新たな名を授けられた者たちは、涙を流しながら頷いた。


「ありがとう、白華神(ヴァイス・ブルーテ)……! 我らをお導きください……!」


彼らは歓喜の叫びを上げ、己を捧げることを誓った。


そして、わたしは微笑んだまま、彼らを見つめた。







4.3.4 神の行進(シェストヴィエ)


 月光のごとき髪が、緩やかにたなびいている。

 風が、わたしの背を押していた。


 白華神(ヴァイス・ブルーテ)の名にすがる者たち――

わたしの信者たちは、静かに歩みを進めている。

純白の衣を纏い、肌もまた、血の気を削ぎ落としたように白い。

彼らは声を合わせ、穏やかでありながら異様な響きを持つ賛歌を歌う。

それは世のすべてを包み込む母の胎内のように柔らかく、それでいて抗いがたい力を帯びて、夜気に揺蕩っていた。


 彼らの足音は一糸乱れず、まるで白い波が静かに打ち寄せるようだった。


 わたしは、両脇を歩むレアとミナの肩に手をかけながら進む。

彼女たちは優雅にわたしを支え、時折、仰ぎ見るように慈しみの目を向ける。


「白華神(ヴァイス・ブルーテ)よ」

 レアが囁くように言った。ミナもかすかに微笑んで、わたしの足元を整える。


「ふふ……レア、ミナ、わたしは美しい?」


「ええ、シノ様……この世の何よりも……」


「神のごとく、いえ、神そのもののように……」


 二人は崇拝の色を濃くして、陶酔したようにわたしを見つめる。


 わたしは、かつて人間であった頃よりも、ずっと軽やかに感じた。

まるで羽のごとく、天上の獣のように――。


 蹄のように変えたつま先の感触は、もうすでに馴染んでいる。

もはやかつての二本足の感覚すら思い出せない。

つま先だけで立ち、レアとミナの肩を杖代わりにしながら進む度、シリコンの詰まった肢体が揺れる。


 長くたなびく銀の髪が、夜風を受けて舞う。

 指の先――12本の指が微かに蠢く。

すっかり自分の身体の一部として動かせるようになっていた。

尻尾を軽くしならせ、柔らかく膨らんだヒップにそっと巻きつける。


心地よい。


(わたしは、こんなにも、美しい……)


 この身体こそが、わたしの望んだもの。

かつての名を知る者たちが抱いていた凡庸なイメージは、すでに消え去った。


「……ラ、ラ……ほう、きらめく……し、ろ、はな……し、ろ、はな……」


 賛美の声が低く、たゆたいながら響く。


「天より舞い降りし、白銀の神が……導かん、われらを……」



 静謐なる行進――シェストヴィエ。



 夜のとばりが下りた街に、白の群れがゆっくりと広がっていく。

わたしの後ろには、数百人の信者たちが続いている。

彼らは口をそろえて神の名を呼び、魂を震わせるように唱和を続ける。


 都市の空気が変わる。


 沈黙が生まれる。


 気づく者は、息を呑んだ。

見てはならないものを見たかのように、恐れ、目を逸らす者。

後ずさる者。

急いで建物に駆け込む者。


 けれど、視線だけは、誰もが奪われたようにこちらを見つめている。


 息を呑む音が聞こえる。


 混乱のさなかにある街、動きを止めた車、駅の階段に立ち尽くす人々。


 ここにいる誰もが理解している。

彼らが見ているのは人間ではないのだ。


 わたしの指が、ぴくりと震えた。


 ぞわり、と心が震える。


 この感覚を、何と名付ければいいのか分からない。

 興奮なのか、悦びなのか、それとも、もっと別の……。


 この身に流れるのは、恐れか、高揚か。

 でも、たとえ何であれ、それはたまらなく甘美だった。


 ──わたしは、もう、完全に人間ではない。


「ヴァイス・ブルーテ!」


 信者のひとりが、祈りにも似た声を上げた。

 それが引き金となるように、次々と彼らの声が高まる。


「ヴァイス・ブルーテ!ヴァイス・ブルーテ!」


 人々の恐怖と崇拝が混じり合う。


 どこからかパトカーのサイレンが響いた。


 雑踏が揺らぐ。

人々のどよめきが広がる。


 誰かが、カメラを構えていた。


 すぐに気づく。


テレビ局のクルーたち。

三脚が立てられ、記者が小型マイクを握る。


 遠巻きに、スマートフォンを向ける市民の姿もちらほらと見えた。


 ――報道される。


 わたしは口元を緩めた。

大きく開いた唇の両端が、不気味に引き裂かれた形のまま、甘やかに微笑む。

 メディアが騒ぎ立てるほど、警察が警戒を強めるほど、わたしたちの名は広まる。


 ふふ……素敵だわ。


 わたしの白い翼が、闇を裂くように優雅に広がる。

 両側に寄り添うレアとミナが、恍惚とした眼差しを向けながら、わたしを支える。

 わたしの口元は、勝者のように微笑んでいた。


 やがて来るであろう争いの気配が、わたしの中で甘美な余韻を残していた。

 神の国は、血とともに開かれるのかしら。


 わたしは白銀の指先を持ち上げ、ゆっくりと掲げた。


 信者たちが、一斉にひれ伏す。


 「白華神(ヴァイス・ブルーテ)!」


 夜の街に響くその声は、警鐘か、あるいは、予兆か。


 ――世界が、わたしの到来を知る。

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