第3章 神へ④

3.3 神の教え

3.3.1 神の化身


 ──神の御許にひざまずくがいい。


 わたしは、神の化身。

 教団の中心、唯一の聖なる存在。

 白く透き通る光の胎に抱かれ、聖なる水とともに生まれ変わった、汚れなき純白の存在。

 

 空気が、重い。

 身体が火照るような、滑るような熱を帯びている。


 周囲には、信者たちがひれ伏していた。

全身を刻み、削ぎ、捻じ曲げ、わたしに近づかんとした者たち。

まるで、わたしの肉体の再現を試みるかのように、彼らの体は己の肉を削ぎ落とし、過剰に膨らませ、あるいは異形へと改造され続けている。


「──あぁ……なんて、愛おしいのかしら……?」


 フルートのように震える甘美な声が、唇の間からこぼれる。

 透明な粘液が唇の端を伝い、頬にまで流れ落ちるのを感じた。


 ふと、自らの身体を見下ろした。


 完璧に白磁の肌には血色がなく、もはや人間の肌の質感を留めていない。

肋骨を削った細いウエストは、小枝のように華奢で非現実的なラインを描いている。

しなやかな肢体の上に、極端に膨らんだバストとヒップ──


 見上げるほどの白銀の髪が、細い腰にしっとりと絡みつく。

足元から天井に届きそうなほど長くたれた月光色の髪は、滑らかに流れ、わたしが身じろぎするたびに、星屑を振り払うように煌めきを散らした。


純白のまつ毛はあまりにも長く、瞼の動きに合わせて扇のようにたなびく。

目尻と目頭を極端に切開した大きな瞳は、虹彩すら溶かし、深淵の海のごとき青に沈んでいた。


 濡れた舌を這わせる。

舌の先は四つに裂かれ、軟体動物のように絡み合い、艶めかしくぬらつく。


 その口の中には、鋭利な牙の列。

頬を縦に裂くほどの口角は、口元を三日月形に歪め、笑みを浮かべるたびに白い牙が剥き出しになった。


「シノ様……」

「お美しい……」


 信者たちの囁きが聞こえる。

 見上げる視線の中に、敬愛と狂気が入り混じる。


わたしがゆっくりと手を持ち上げると、地に伏していた信者たちが感激に震え、微かに身をよじる。

 


 わたしの指は12本ずつに増えていた。

信者たちが捧げた指──


彼らの信仰がわたしの肉体の一部となり、今や完全にわたしのものになっている。

それぞれの指の関節が微かに動き、白く長い爪がわずかに光を弾いた。


「ああ……。貴方たち、そんなにわたしに……焦がれてしまったの?」


 ふふ、と囁くように笑うと、信者たちの中からすすり泣くような声が漏れた。


「ありがたき幸せ──!」

「わたしも、もっと、シノ様に近づきたい……!」

「わたしの手も、どうか……どうか捧げさせてください……!」


 わたしを象ることが、彼らの信仰の証。

 さらに異形へ、さらなる美へ──


わたしと同じようになりたがる信者たちは、己の指を切り落とし、目を潰し、肌を漂白し、乳房や唇を不自然なまでに膨らませていく。


 わたしの言葉は神託として受け取られ、幹部の指示すらも凌駕しはじめていた。


 信者たちが熱に浮かされたように狂い、競い合い、互いにその身体を削ぎ落とし合う。


 レアとミナは、わたしの横にひれ伏している。

二人とも、もはやかつての面影はない。


 わたしに似せるため、彼女たちも改造を重ねてきた。

顔はわたしに寄せられ、異様に白い肌、極端にくびれた腰、溢れんばかりに膨らんだ乳房と尻、腰まで流れる銀髪。


口を開けば、牙のように尖った歯がこぼれる。


 美しい。

 わたしの影が、わたしに跪き、わたしの足元にその身を預ける。

 白く腫れた唇が、足先に触れる。

 わたしは目を細め、快楽にとろけるように声を漏らした。


「あぁ……愛しいわ……。可愛いわ……。とても、良い子たち……」


 ふるふると震える舌を伸ばし、レアの頬に触れた。

ひやりとした肌が、舌先に絡みつく。

レアは身を震わせながら、ゆっくりと頷いた。


「わたしたちは、シノ様のものです……」

「すべてを、捧げます……」


 ミナも口元をほころばせ、鮮血の滴る牙を剥いた。


「わたしたちの牙は、シノ様を守るためのもの。わたしたちの唇は、シノ様に口づけを捧げるためのもの。わたしたちの体は、シノ様をお支えするためのもの……!」


──可愛い。

なんて、愛おしいのかしら。


だけど。

どうしてかしら。

心が少し、ざわめくの。


 わたしが「そうあれ」と告げるたびに、彼らは肉を削ぎ、血を流し、己を捨て去る。

 もっと美しくなれとささやけば、まるで喜びの儀式のように、目を輝かせて身を改造する。

 

わたしは──

美しいものだけを愛する。


 だからこそ、わたしのために己を削る彼らを、限界を超えようとする信者たちを、尊いと感じている。


 けれど。

 そうして変わり果てた彼らが、もしもわたしを超えたら?

 彼らの歪んだ美しさが、わたしを超えてしまったら?

 

 ──いいえ、それはダメ。


「……ええ。ええ、そうね。あなたたちは、わたしのものよ?」


 わたしは、神なのだから。








3.3.2 神の言葉


レアとミナが両脇に控え、わたしを支える。


彼女たちの指が、か細く捻じれた肋骨の下、極端にくびれたウエストの側で、そっと滑らかに這う。

その感触は冷たく心地よくて、まるで宙を舞っているような気分だった。


わたしは身体をまっすぐに保つことすらできない。

自分の力では一歩も動けないこの足は、もうほとんど飾りにすぎないけれど、だからこそわたしは「完成」に近づいている。


自らの足で立つという人間的な生き方は、わたしには似合わないのだもの。


レアとミナがわたしをそっと支えながら、ゆっくりと信者たちの前へと歩みを進める。


──目の前には白い波が渦を巻いていた。


狂信者たちの群れが、全身を白い塗料で染め、私を見上げながら呻いている。

彼らは全身にありとあらゆる改造を施し、顔の半分が人工的な造作で覆われた者、裂けた唇を蛇のように蠢かせる者、腕の関節を取り去られ四肢をくねらせる者——

無数の異形が、ただ私の言葉を待ち焦がれるように震えていた。


「……聞こえる?」


私の声が響くと、信者たちはまるで熱に浮かされたようにひれ伏した。

意識して、ゆっくりと口を開く。


「わたしの愛しい子どもたち……。おまえたちは、何を求めるの?」


熱を帯びた沈黙。

誰もがわたしを見つめている。


ひとりが、低く答えた。


「変わること……真の姿に……」


それを合図に、あちこちから、似たような言葉が湧き上がる。


「我らを変えてください……!」

「あなたのようになりたい」

「シノ様のように、美しく……」


シノ様……。


私はふと口元に手を当てる。

24本の指先が、触れるたびに心地よい刺激を生む。

信者たちは「新生」を求めていた。


彼らはその果てを見たいと願い、わたしに導きを請うていた。


だとしたら、わたしが与えてあげるべきでしょう?


「この肉体に、満ちる喜びを」

「恐れずに、戸惑わずに、ただ変わりなさい」

「おまえたちの生を、新たな姿を以て証明しなさい……」


──その言葉が、世界を変えた。


信者たちの間に電撃のような震えが走り、一瞬の静寂の後、歓喜の叫びが巻き起こる。

「ああ……シノ様が仰るのだから……」

「これが、変革の時だ!」

「生きたまま変わるのだ……!」


崩れ落ちる者、感極まり涙を流す者、震える声で「シノ様……」と私の名を呼ぶ者。

彼らは陶然とし、異形の手で己の肌をなぞる。


その顔には恐れがなく、ただ光が宿っている。

わたしはその光を見つめながら思う。



──これはもはや、ただの教義ではない。


信仰の枠を超え、わたしは、現実そのものを変えつつあった。

わたしの言葉が神の言葉となり、彼らの肉を形作る。

わたしが告げるままに、信者たちは己の肉を裂き、削ぎ落とし、縫い合わせ、新たな姿を求め続ける。

それはもう、人の形とは呼べないものかもしれない。


けれど、それが何だというの?


神に近づくことが、わたしたちの「新生」なのだから。


その時、わずかに空気の流れが変わった。


信者たちの波の中に、明らかに異なる二つの流れが生まれつつあった。


「シノ様こそが真の神よ!」

「いや!教団の教えにこそ真理がある!」


先ほどまで歓喜に満ちていた空間が、徐々に緊迫感に満ちていくのを感じる。

シノ派と、教祖を信奉する信者たちが対立し、互いに睨み合っている。

手のひらを広げ、爪を突き立て、牙を剥き出しにする者たち。


すでに彼らは「変化」している。

かつての人間の論理など、もはや通じるはずもない。


そして——


一人の信者が突然、隣にいた者の首に噛みついた。


鮮やかな血の花が咲く。

そこからはあっという間に地獄が広がった。


異形の手足が絡み合い、牙が肉を裂き、信者同士が貪り合う。

「シノ様に選ばれるのは、この私だ!」

「いいや、貴様こそ贄となれ!」


殺し合い。

私を巡る狂気。

彼らの鮮血が白い大理石を赤く染める。


わたしはレアとミナの腕を借りながら、静かにそれを眺める。


「……美しいわ」


こぼれた声に、すぐさま膝をついて跪く者がいた。

彼は全身に無数の針を刺し、体液を流しながら、震える声で問うた。


「シノ様……本当に……あなたが、真の……神……なのですね……?」


わかっているのだろう?

わたしの言葉が、すべてを変えることを。


この教団の教義は、もはや意味を持たない。真実はわたしの中にこそある。


わたしは微笑む。


「わたしが、あなたたちを創りましょう」


信者たちの歓声が高まる。

誰もがこの瞬間、何かが始まるのを感じていた。

新たな神が生まれようとしていた。


「さあ、わたしたちの楽園を作りましょう……!」


──そして、新たな教団【 白華神美新生(ヴァイス・ブルーテ) 】が、胎動を始めるのだった。








3.3.3新たな神話


純白の月光が降り注ぐ広間。

わたしは、絹のように滑らかな全身を惜しげもなく晒しながら、玉座のように設えられた椅子にもたれかかっていた。

その肉体は、もはや人間のものではない。


流れる銀糸のような髪は床を覆い、柔らかな波となって広がる。

異様なまでに肥大した乳房は、雪崩のように豊かに垂れ、白磁のような肢体に影を落とす。

限界を超えて締め上げられたウエストは、異様に細くくびれ、蜘蛛の糸ほどの儚さを思わせる。


レアとミナが左右に控え、そっとわたしの手を取った。

24本の指が絡まり合い、純白の爪がかすかに震える。


わたしはゆっくりと瞼を持ち上げた。

青く染められた瞳は、神秘の深淵を宿し、黒目のないその眼差しは、全てを見透かすような冷たい輝きを放つ。


「……わたしは、まだ足りないわ」


フルートのように澄み、甘美な声が響く。


「これまでの変容……それは、ただの前奏にすぎないのよ」


長く、裂けた舌が艶やかに揺れ、わたしは口元を歪める。

頬の中央まで裂けた唇が妖艶に開き、鋭利な牙が白く輝いた。



「……わたしは、神になるのよ」


その言葉に、レアとミナが息を呑んだ。

彼女たちは、わたしの変貌をこの目で見てきた。


しかし、これから語られるものは、今までの改造をはるかに超えたものだった。


「わたしの乳房は、さらなる豊かさを得るでしょう……30kgを超える実を抱き、200cmを超える豊穣の果実となるのよ」


自らの膨大な胸をそっと持ち上げる。シリコンバッグに満たされた極端な質量が、わたしの華奢な体を支配している。


「ウエストはさらに削りましょう……25cmを下回るまで…可能なら20cmを切れるといいわね」


白磁の指先が自身の腹部をなぞる。それは、もはや折れそうなほどの細さだった。


「そして……わたしの脚は、人のものではなくなるのよ」


レアとミナが息を詰める。


「脚に馬のような飛節を付け加え、つま先だけで立つの。よりしなやかに、より美しく……まるで天上の獣のように」


美しい獣――

それは、人の範疇を超えた存在。


「背中には、真なる羽を……人工の骨格を植え込み、翼を得るの。わたしの意思で動かせる、完全なるものを」


レアとミナは震えていた。


「牙はさらに鋭く、耳は純白の薔薇の花の形に……舌は8つに裂き、20センチまで長くするのよ」


まるで夢のような宣告だった。


人間の域を超える。



レアとミナは、同時に跪いた。


「わたしたちは……シノ様とともにあります」


「シノ様の道を、決して見失いません」


彼女たちは、わたしの使徒となることを誓った。


「……レア、ミナ。あなたたちもまた、変容するのですわ」


わたしは、彼女たちの額に触れた。


「わたしの使徒として、証を持ちなさい」


純白の角を生やす。

15cmの、まるで神聖な装飾のような美しい二本の角。


それは、シノの眷属である証だった。


新たな教団――

「白華神美新生(ヴァイス・ブルーテ)」の誕生


この時、わたしは決意した。


「新生(ネオジェネシス)」を離れる。

教祖の影に留まる必要はない。


「わたしは、わたしの道を往くの……「白華神美新生(ヴァイス・ブルーテ)」は、わたしとともに生まれるのよ」


レアとミナが頷く。


「……夜明けはすぐそこよ」


全てが変わる前夜。


神話の幕が、静かに開こうとしていた。

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