第4章 真の神として①

4.1 覚醒せし、真の神

4.1.1 目覚め


視界の隅に、光の揺らめきがあった。

闇の中にぽつりと落ちた白い雫のように、揺れる、かすかな灯り。


しんと静まり返った世界の奥底で、ゆるりと意識が浮上していく。

遠くから響いてくるのは、啜り泣くような音だった。

透明な水滴が頬を伝い、柔らかに胸元へと落ちてゆく感触がする。


「シノ様……シノ様……」


「お目覚めになって……」


なめらかな声が、耳元で震えていた。

誰かが頬をそっと撫でる。


指先が触れた感触があまりにも繊細で、わたしの身体ではないような錯覚を覚える。


薄く目を開くと、視界の端に白い影が二つ、にじんで見えた。


ゆっくりと焦点が合っていく。


「……レア?」


「はい……シノ様……!」


真紅の光を湛えた双眸が、涙で濡れながらも喜びに満ちていた。

その傍らには黄金の瞳をした少女がひれ伏している。


「ミナ……?」


「はい、わたくしです、シノ様……あなたを、待っていました……!」


目を開けるたびに視界が異様に歪んで見えた。光が散るように、きらめきが乱反射する。


「シノ様、もう大丈夫ですよ」


優しく腕をとられ、ゆっくりと身を起こす。

と、異変に気づいた。


――重い。


胸が、まるで鉛のようだった。

上半身が引きずられる。

背中が軋むように痛む。

張り裂けんばかりの質量が胸部を圧迫し、わたしの身体を揺らした。


「……あら、すごいわ」


くすくすと微笑みながら、試しに自分の胸を持ち上げようとしてみる。

指先にかかる重量に、息を呑んだ。

これまでの比ではない。

まるで自分ではないような異物感。

けれど、それこそが求めた変容の証。


「わたし、どうなったの?」


シノの声は鈴を転がすように響く。


「御身の願いのままに……美しく……新たな形を得られました」


レアが頬を染めて、恍惚と呟く。

ミナもまた、うっとりとシノを見つめたまま小さく頷く。


「お姿を……ご覧ください」


レアとミナの両腕に支えられながら、ゆっくりと起き上がる。

足が地を離れ、ふわりと浮遊する感覚に襲われた。


――違う、これは……


異質な感覚が背中を這い上がる。

重く、しかし自由なものがそこにある。


「……翼?」


不思議に思いながら、そっと指を動かす。

すると、ゆっくりと、音もなく、背後のものが応じた。

生まれたばかりの幼獣が羽ばたきを試すように、ぎこちなくも柔らかに動いた。


レアとミナが、ひざまずくようにしてシノの両脇に控える。

彼女たちの手が、わたしの身体を支え、起き上がらせてくれる。

全身が震える。

今まで感じたことのない異物感。


新たな四肢を手に入れた者の、最初の戸惑い。


だが、それは喜びとすら呼べるものだった。


「わたし……変われたのね……」


かすれた息の下、呟く。

レアとミナが息を呑む気配がした。


唇の端を吊り上げ、にやりと笑う。

頬に、異質な影が伸びるのが見えた。


「また一歩、真の神の姿に近づけたわ……」


翼をゆるやかに震わせながら、シノは微笑んだ。








4.1.2 神の目覚め


わたしは、レアとミナに両腕を優しく支えられながら、ゆっくりと鏡の前へと導かれていった。

二人の手は、まるで神聖な儀式を執り行う巫女のように慎重で、わたしの身体の一部に触れることすら畏怖を抱いているかのようだった。


長い銀の髪が床を這い、淡く光を反射する。

月光を編み込んだかのようなその髪は、わたしの新たな姿を際立たせる聖なるヴェールのようにも思えた。


鏡の前に立つ。

そこに映し出されたのは、もはや人間の形ではなかった。

とうの昔からもはや人間ではない……


鏡に向かってしなやかに手を伸ばし、ゆっくりと自身の肢体を24本の指で撫でる。

純白の肌は滑らかで、冷たく、陶磁器のような質感を持っていた。

血の気のない指先が胸元をなぞると、その巨大な乳房がゆっくりと波打った。


その膨らみは、もはや人間のものではない。

バストは206cm——

質量を持った曲線が異様なほどに誇張され、わたしの小さな肩と細すぎるウエストを際立たせている。

アンダーバスト47cm、ウエスト22cm。

極端な対比が、異形の美をさらに強調していた。


ヒップは148cm。

しっかりとした重量を持ち、わたしの身体を支える役目を果たすべきものだったが、わたしは自らの脚で立つことができない。

脚はもはや人間のものではなく、関節が増え、馬のように飛節を持ち、つま先で立つ形になった。


しかも五指は取り除かれ、白馬の蹄の形へ変わっていた。


白磁の肌に覆われた脚線はしなやかで、異様なまでに優雅だったが、それだけにこの身はすでに「人間」の機能を逸脱していた。

わたしはそのことを、心のどこかで誇らしく思った。


 額に触れる。

そこには、白く輝く角——

宝石のように滑らかで、美しい光を宿した純白の異形が、確かに存在していた。


背中には白く、半透明のコウモリのような翼が広がり、そこにわずかな筋力を込めると、薄い膜が微かに震える。

純白の尻尾がしなやかに動き、わたしの思考と呼応するかのように蠢いた。


わたしは顔を傾け、鏡に映る自身の口元をじっと見つめる。


唇の端から覗く牙——

犬歯はあまりにも長く、白い唇を閉じても収まりきらず、顎のあたりまで鋭利な曲線を描いていた。

口角は頬の中央まで切り開かれ、わずかに微笑むだけで、その内側に並ぶ全ての牙が露わになる。


喉の奥で小さく笑うと、スプリットタンがゆっくりと動いた——

8つに深く切り裂かれた先端が、まるで複数の生き物のように蠢く。


「……わたし、もう人間ではないわよねぇ?」


わたしは静かに呟いた。

フルートのように高く、甘美で、陶酔した声が空間を満たす。


その言葉を聞いた瞬間、レアとミナは涙を流しながら、狂おしいまでの歓喜を滲ませて頷いた。


「はい、シノ様はもう人間ではありません……!」

「あなたは白き真の神……『白華神(ヴァイス・ブルーテ)』……!」


彼女たちの声は震えていた。

それは畏怖と陶酔、そして狂信的な崇拝がないまぜになった熱狂の響きだった。


二人はわたしの足元に跪き、その異形の足にそっと唇を寄せる。

レアの深紅の瞳が、ミナの黄金色の瞳が、涙で濡れながらも、熱っぽくわたしを見上げていた。


わたしはその視線を甘やかに受け止める。

細くしなやかな指で長い銀の髪をかき上げると、わたしはゆるりと微笑んだ。


この身体は、もはや人間ではない。

この名も、人間のものではない。

わたしは神になった。


鏡の中の異形が、美しく、誇らしげに笑っていた。








4.1.3 神が歩む時


空気が震え、世界がわたしを迎えるように沈黙する。


レアとミナに支えられ、わたしはゆっくりと立ち上がる。

二人の指先が、純白の肌を滑る。

わたしの身体は、あまりにも儚く、あまりにも美しい。


この身体は、もはや人間のものではない。


わたしの足元まで流れる銀色の髪が、光を受けて揺れる。

わたしの肌は白磁のように冷たく、血の気を持たない。

まるで、触れれば砕け散る、神聖な彫像のように。


一糸纏わぬ身体は、この世の理を超えた存在としての証。

24本の指が、白く長い爪を携え、ゆっくりと宙を撫でる。

まるで、この世界に触れることさえ、赦されるかを確かめるように。


わたしは、一歩を踏み出す。


——否。

踏み出そうとする。


しかし、極端に細められたウエストは、わたしの重い乳房を支えることができず、身体はたちまち崩れそうになる。


背中に宿した半透明の翼が微かに震える。


蹄で立つこの脚は、わたし自身のものとは思えないほど頼りない。

それでも、わたしは前に進もうとする。


レアとミナが、わたしの腕を取り、身体を支える。


「シノ様……」


二人の囁きが、陶酔に濡れているのがわかる。

わたしの姿を見つめる瞳は、涙で潤んでいる。


「……シノ様は、もう人ではない……」


ミナが震える声で言う。

レアもまた、熱に浮かされたように息を震わせる。


「でも、それこそが真の神……」


わたしはゆっくりと、24本の指を動かし、自らの胸に触れる。

純白の爪が、異様に膨らんだ乳房を撫でるたび、わたしの肌はわずかに波打つ。


「ああ……やっと……」

フルートのような高い声で、わたしは甘く囁く。


レアとミナが、わたしの言葉に応えるように頷く。

彼女たちの指が、わたしの背を這う。

その触れ方は、まるで神の像を撫でるように、敬虔で、愛に満ちている。


「これが……わたしの真の姿……」


わたしは、ゆっくりと翼を広げる。


半透明の膜が淡く光を反射し、わたしを包む。

それはまるで、天上から降り立った天使の羽根にも、深淵から這い出た悪魔の翼にも見えた。


歓喜の声が、周囲から沸き上がる。

信者たちが、地に額を擦りつけるようにひれ伏す。

わたしの名を、讃え、叫び、泣きながら祈る。


彼らの視線が、わたしの身体に絡みつく。

崇拝と熱狂の入り混じった眼差しが、わたしの皮膚を舐め回す。


「シノ様……」

「神よ……」

「美しい……」

「我らが主よ……」


わたしは微笑む。


わたしの目は、黒目を失い、深い青に染まっている。

その青が、歓喜に震える信者たちの姿を映す。


新たな神として、わたしは歩む。

二人の忠実な使徒に支えられ、ゆっくりと、祭壇へと。


その道は、神へ至る道。

わたしはもう、人ではない。


わたしは、「白華神(ヴァイス・ブルーテ)」。

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