第1章 違和感③

1.2 壊してしまいたい

1.2.1 孤立と乖離


俺は、最初から”普通の男の子”じゃなかった。


それが何を意味するのか、はっきりとはわからなかったが、とにかく周囲と同じように振る舞うことができなかった。

男子の輪の中に入ると、どこかぎこちなくなる。

スポーツの話、ゲームの話、誰がどの女子を好きか——


そんな話題に興味を持てない自分が、彼らの目にどう映っていたのかは知らない。


ただ、“気味が悪い”とは、何度も言われた。


「緒方って、さ……なんか、怖くね?」

「目つきがヤバいよな」

「てか、喋り方キモくね?」


面と向かって言われることもあれば、背後で囁かれることもある。

俺の視線を避けるようにして、陰口を叩く声が聞こえないフリをする。

けれど、耳は塞げなかった。


女子の中に入れば、もう少しマシかと思った。

けれど、彼女たちは彼女たちで俺を”変な子”とみなした。


「緒方くんって、なんか……女っぽくない?」

「いや、女っていうか、どっちつかずって感じ」

「前にさ、鏡見てニヤニヤしてたの見たんだけど……ちょっと怖くない?」


“女っぽい”——

それは俺が”男らしく”振る舞えていないことを示していた。


“どっちつかず”——

それは俺自身が感じている違和感を、他人の目が証明してしまったようなものだった。


鏡を見てニヤニヤ?

そんな覚えはない。

でも、鏡を見るたびに、俺は自分の顔をじっと見つめていたのは確かだ。


どこかが違う、何かが間違っている——

それを確認しようとしていたのかもしれない。


俺は、何なんだ?


無視、陰口、そして悪意


直接的に殴られたり、物を奪われたりすることは少なかった。

でも、それ以上にじわじわと心を蝕むやり方で、俺は排除されていた。


教室で誰かが「これ回して」とプリントを渡してくる。

隣のやつが受け取る。


でも、俺のところで途切れる。

俺が受け取ろうと手を伸ばした瞬間、「あ、ごめん」と言って、一つ席を飛ばして別のやつに回される。


班決めのとき。

誰も直接「緒方とは組みたくない」とは言わない。

けれど、誰も目を合わせようとせず、俺が一人だけ余るのを待っている。


靴箱を開けたとき、中に紙切れが入っている。


「お前、なんかキモい」


無記名の、雑に書かれた文字。

綺麗に折りたたまれて、そこに置かれていた。

それを手に取る俺を、数メートル先から見てクスクス笑う影がある。


笑うなら、面と向かって笑えよ。


俺はその紙を丸めてポケットに突っ込んだ。捨てる気になれなかった。


こういうことがあるたびに、俺は”普通の男の子”として生きられないことを思い知らされる。


それなら、俺は何なんだ?

どうすればいい?


「男でも、女でもない」——

身体への違和感


ある日、体育の着替えの時間、俺は自分のシャツを脱いだまま鏡を見つめていた。


肩幅はそこまで広くない。

でも、鎖骨は少し浮き出ている。

肋骨のラインがうっすらと透けて、肌の色は病的に白い。


俺の身体は、“男”だった。

けれど、それを意識した途端に、吐き気がした。


——これが、俺?


「おい、緒方、何鏡見てんの?」


後ろから声がした。

振り返ると、クラスの男子数人がこっちを見ていた。


「ナルシストかよ」

「マジでキモいって」


笑い声。

俺は咄嗟にシャツを掴んで、乱暴に被った。


それからしばらく、俺は自分の身体を見るのが怖くなった。

鏡の前に立つと、頭がぐらぐらと揺れて、気持ち悪くなる。

自分の体を見ているはずなのに、それが”俺”だという感覚が希薄だった。


けれど、一方で、俺は自分の身体を”作り変えたい”という欲求を抱き始めていた。


ある夜、布団の中でこっそりスマホを開き、「整形」「身体改造」「性転換」といったワードを検索する。


女になりたいのか? いや、違う。


“女”ではなく、“別の何か”になりたい。


男でも女でもない、“俺”になりたい。


そんな思考に囚われながら、俺は画面をスクロールし続けた。


次第に、検索ワードは変化していった。


「ピアス 自分で開ける」「整形 違法」「ボデモディフィケーション」


そのときの俺はまだ、本格的な改造を考えていたわけじゃない。

ただ、変わりたかった。

“普通”になれないなら、いっそ”異質”でいたい。


変化の兆しは、もうすぐそこまで来ていた。






1.2.2 自傷と逃避


俺は、俺の身体が嫌いだった。


鏡を見れば吐き気がする。

体育の時間、クラスのやつらの裸と比べてしまう。

何が違うのかは分からない。

でも、違う。

違和感が皮膚の下で暴れ回る。俺の身体は”俺”じゃない。


この違和感は、どうすれば消える?


——壊せば、消えるかもしれない。


最初にカッターを握ったのは、何の気なしだった。

ペンケースに入っていたそれを取り出し、机の上で刃を出した。

光が反射して、細い銀の線が浮かび上がる。


試しに、指先を軽くなぞる。

ひやりとした感触。何も起こらない。


もっと強く。


押し当てると、じわりと赤が滲んだ。

痛みは、意外なほどに小さかった。

むしろ、心地よかった。


もう一度、今度は手首に。

静かに線を引く。

血が筋を伝い、机の上にぽたりと落ちる。


痛みの中で、俺は”俺の身体”を感じていた。


——これは、本当に俺のものなのか?


刃を当てるたびに、皮膚と肉が分かたれる。

その感覚がたまらなかった。

違和感が、ほんの少しだけ薄れる。


俺の身体は、俺のものじゃない。

でも、こうやって切り刻めば、少しずつ”俺”になれるかもしれない。


その日以来、俺はカッターを手放せなくなった。


「死にたいわけじゃない」


自傷行為をしているやつは”死にたい”と思っている——そう言う人間がいる。

でも、俺は違った。


死にたいんじゃない。“生まれ変わりたい”だけだった。


腕には無数の線が増えていく。

傷が癒える前にまた切る。

血が乾いて瘡蓋になり、それを剥がしてまた新しい傷をつける。


“俺じゃない身体”を”俺のもの”にするために。


でも、それだけでは足りなくなった。



ある日、ドラッグストアで風邪薬を手に取った。


「大量に飲むとやばいらしい」


ネットで読んだ噂を試したくなった。


家に帰って、誰もいない自室で袋を開ける。

何粒も取り出して、水で流し込む。


30分ほどして、体がふわふわと浮くような感覚に襲われた。

頭がぼやける。現実感が遠のいていく。


ああ、これだ。


俺が欲しかったのは、この感覚だったのかもしれない。


何も考えたくない。

自分の身体のことも、“男”とか”女”とか、周りの視線も。


何もかも、どうでもよくなる。


もっと、もっと遠くへ行きたかった。


翌日、目を覚ますと頭が割れるように痛かった。

でも、また飲んだ。

そうやって日常から逃げ続けた。


——この身体を壊せば、本当の俺になれるのか?


その問いに答えをくれるものが、どこかにある気がしていた。

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