記録には残らない

大根初華

記録には残らない

 三枝が投げた一塁への送球が僅かに浮いた。

 走者を刺せたはずのタイミングが、ずれた。


「あれ? あいつ、あんな投げ方だったか?」


 そんな違和感が1回裏から続いていた。

 それだけじゃない。守備の連携にもズレがあった。

 それなのに、試合は勝った。なにか、おかしい。

 

 チームは勝てたことに浮き足立っていた。

 誰も、試合のプレイ内容まで話さない。

 そんな様子に気持ち悪さを覚えた。

 試合後の汗が乾いて、ユニフォームは身体に貼りついたまま、いつもよりずっしりと重い気がした。

 勝ったはずなのに、胸の奥に、濡れた石を沈められたような重さがあった。

 

 今日はこれ以上試合はない。

 許可を得て、観客席からピッチャーマウンドを眺めていた。

 今日のあの違和感は何だったのか。

 やる気が無さすぎたにもかかわらず勝てた。

 そんなものは勝てたとは言えない。

 まるで八百長ではないか。

 スポーツマンシップどうのこうのを論ずる気は無い。だが、それを認めてしまったら今までの努力は無駄だと言ってしまっていると同義ではないか。

 何のために日頃から努力をしているのか。

 何のための――。

 

 行き場のないイライラだけが溜まっていく。


「くそ……」


 思わず口から漏れた。

 言葉にすれば少しは楽になると思ったのに、胸の奥は相変わらずザラついていた。

 

 考えがまとまらないまま、席を立とうとすると、変な気配を感じた。

 気配の先を追っていくと、異様な雰囲気を纏う少年がこちらを見ているではないか。

「異様」――その一言に押し込めるしかなかった。驚きとも違う、違和感とも違う。言葉が届かない種類の現実が、そこに立っていた。

 明らかに人離れしたようなカッコ良さ、それに似合う金髪、席に座る格好も様になっていてまるでテレビ等でみるモデルのようだった。


「なにか……?」


 無視すればよかったのだ。

 そんなモデルのような人物がこんな田舎の球場にいるはずがない。

 だが、その視線が気になって、思わず声をかけてしまったのだ。

「ワタクシの名前はセイ。あなたの名前は?」

「はっ?」

 思わず声が出ていたのようだ。

 いや、言っていることはわかるがその意図がわからない。

 怪しい。

 警報が頭の中でなっていた。

 

 だが、そんなオレの警戒を無視するかのように目の前の人物はウンウンと頷いていた。


「なるほど。あなたの名前は『はっさん』と言うのですね。地球の『相手の名前を尋ねるにはまずは自分から』、というのは良い言葉です」


「違うわ! オレの名前は風間、風間蓮だ!」


 思わず突っ込んでいた。

 正直しまったと思った。

 こんな怪しい人物に名前を明かすなんて。


「『カザマレン』……。なるほど覚えました」

「『カザマレン』。あなたの活躍は素晴らしいものでした」

「地球の勝ち負け、特に『コウコウヤキュウ』は良いものです。記録に値します」


 目の前の人物――セイは自らが地球以外から来た言い回しをする。


「ですが、今日のあの行為は頂けません。記録はしましたが削除しなければなりません」

「この国では、こう呼ぶのですよね……」

「たしか……そう『ヤオチョウ』、と」


 ビクッとした。

 その言葉が出てくるとは。

 セイは記録している、と確かに言った。

 ならば――。

 

 オレはセイに駆け寄り、彼の肩を掴んでいた。


「セイ! それを見せてくれないか!?」


 オレはただ真実が知りたかった。

 いや、それはただの詭弁だ。

 努力を否定したくないのだ。

 努力が報われないことくらい、わかってる。

 けど、認めてしまえば、全部が無意味になる。

 だから、知りたい。

 なぜそれが起きたのか、を。


「ダメです。誰にも見せない。それが契約ですから」

「記録者は〝残す〟ことで出来事の形を守る。それが役目なんです。介入すれば、その本質が崩れる可能性があります」


 セイの表情には、どこか寂しげな影が差していた。

 そして、セイはオレの手を払い踵を返した。

 

 あの後、駐車場に居た監督や帰ろうとするマネージャーにも今日の違和感や八百長のことを伝えたが、知らないという言葉しか返ってこない。

 

 相手チームの主将の三枝にも詰め寄ったが、知らぬ存ぜぬで相手にすらして貰えなかった。

 

 なんなんだよ。

 目の前の自販機に蹴りを入れるが、自らの脚を傷つけただけで終わった。


「『カザマレン』。地球では感情が高ぶったとき、まず『ジュースを出す機械に蹴りを入れる』という文化があるのですね」

「我々の星では『感情が乱れたときは果実を噛む』という言葉があります。蹴る……という発想は斬新です。記録しておきます」


 その声は、風の中にひそませた意志のように、静かに背中へ届いた。振り返ると、セイが立っていた。


「ワタクシは基本的に傍観者で居なくてはなりません。そのような約束ですから」

「ただ、あなたのその『熱』はとても良いものです。とても興味深い。ワタクシはそれを観察したい」

「だから、約束を破らない程度であなたに協力します。『ヤオチョウ』について調べましょう」


※※※

 

 その日は、なんとなく胸騒ぎがして、いつもより早く家を出た。

 学校に来る途中セイに出会った。

 昨日通りオシャレな格好なのだが、野球帽を反対に被っていた。


「昨日少年から帽子は反対に被るものだと教えていただきました」


 ホントかよくわからないことを言っていた。

 そして、今日からオレたちの高校に通う、というさらによく分からないことを言っていた。

 途中別れたが、ホームルームが始まると、本当にセイが転校生としてやってきた。

 親が外交官で帰国子女だと名乗ったときは腰を抜かしそうになった。

 

 

 その一週間は部活にも出ず、あちこち回っていた。

 部室はもちろんいろんなツテを使って聞いてみたりしたのだが、結局高校生の取れる手段というのは限られる。

 有力な情報はない。

 

 そんな時ふと、近くの神社で夏祭りがある、と妹が言っていたのを思い出す。

 セイが「『カザマレン』、ワタクシあの『ナツマツリ』とやらにとても興味、あります」と興奮気味に言っていた。

 行き詰まって居たのでちょうど良いか。

 

 夏祭りは焼きそばやたこ焼き、といった定番の出店からキッチンカー、そして、トラックの荷台をステージ代わりにして、カラオケ大会など行われていた。

 セイはカラオケの様子を見て、「面白い。歌もまた、記録より記憶に近い」と言っていたのかおかしかった。

 

 提灯の光が、川面に揺れていた。

 打ち上げ花火が空に開いて、消えていく。

 オレは屋台のベンチで、ラムネを飲んでいた。

 隣にいたセイが、ポツリと言う。


「地球の祭り……儚いですね。まるで、記憶に焼きつくためだけにあるような」


「それ、悪くない表現だな」


「ワタクシ、最近〖比喩〗というものを覚えましたので」


 セイが得意げに言う。

 しばらく黙って空を見ていたが、ふと、聞きたくなった。


「なあ、セイ。……お前なら、どうする?」


「どう……とは?」


「もしさ。真実を暴いたら、誰かが取り返しのつかないほど傷つくとしたら。言わずにいた方が、みんなが笑っていられるなら……」


 セイはしばらく黙っていた。

 遠くで、綿菓子を買う子どもの笑い声が聞こえる。


「ワタクシは〝記録者〟です。事実を、事実として記録します。……ですが、言うべきかどうかは、〝記憶〟の問題です。あなたたち人間の領分です」


「……答えになってねぇな」


「答えにならないのが、答えなのです。あなたが迷っているということが、今、記録されています」


 オレは苦笑して、うなだれた。

 そのときだった。

 人混みの先に、あの男が見えた。

 ーー三枝。

 オレの足が、勝手に動いていた。

 

 

 三枝はこちらに目線を少し移したが、恐らく色々嗅ぎ回っているオレのことをあまり良しとしていないだろう。

 すぐに手に持っている焼きそばに視線を移した。

 

 あいつには入院中の妹がいるって、噂で聞いていた。それを思い出した瞬間、気づけば口が動いていた。


「三枝、妹さんのために八百長をしたのか?」


 証拠もクソもない。

 言い逃れられたら終わりで、恐らく否定するだろう。

 粘り強いバッターなのだ、こいつは。

 三枝は最初、何も言わなかった。

 だけど、オレの目を見て、観念したように口を開いた。


「……じゃあ、どうすればよかったんだよ!」


 三枝は声を荒げた。


「治療費だけで、月に二十万だぞ。保険もきかねぇ薬だ。親父も母さんも……もう限界だったんだ」


 口を震わせた。


「監督が言ったんだ。〝援助してやる。だなら、負けてくれ〟って……。だから、俺が……やるしか、なかったんだよ」


 三枝の手が、焼きそばの容器をぐしゃ、と握りつぶした。

 

 なぁ! とオレに問いかけてくる。

 でも、オレは何も言えなかった。


「もし、妹が助かるなら、何だってするつもりだった。野球なんかどうでもいいって、何度も言い聞かせた。でもな……朝、目が覚めると、頭の中にまず浮かぶのは、昨日のプレーだったんだ。俺、野球を……嫌いになんかなれなかったんだよ……」


 三枝の頬を伝うその一筋に、オレは何も言えなかった。

 遠くの花火の音だけがやけに響くのを感じた。

 

 ※※※

 

 川沿いの道を歩く。

 セイが後ろからついてきた。


「ワタクシ、三枝という人物の表情を記録しました」


「そうかよ……記録に残すなら、優しくしてやれよ」


「〝優しさ〟とは難しい概念ですね。真実よりも優しさを選ぶ行為ーーそれもまた、人の尊さなのでしょう」

 

 無言で暫く歩くが、オレは立ち止まった。


「なぁ……真実って、暴くのが正しいことなのかな」


 返事を待つでもなく呟いた。

 心の中で何かが渦巻いていた。

 正義感か、怖さか、それとも――ただ、誰かを救いたいというわがままか。

 

 もし真実を暴き、学校に報告すると、三枝を含む相手の高校メンバーは処罰されるだろう。そして、彼の妹もきっと傷つくに違いない。

 それはオレが望むところではない。

 

 悲しむ者が少ない方がきっと良い。

 ならば、と。

 このまま胸の中へ。

 誰にも明かさないと決めた。

 

 たった一つの真実。

 それが人を救うとは限らない。

 むしろ、壊すことだってある。

 ならば、誰かがその重さを引き受けるしかない。

 オレが、それを背負う。

 この選択が、オレの責任だ。

 

 三枝の言葉が甦る。

 

『野球を嫌いになろうとしたんだ。なのに、嫌いになれないんだよ……』

 

 その言葉を自らの口で繰り返す。

 

 夜を裂いた花火の残像が、目の奥に焼きついて消えなかった。

 煙の尾のように、あのざわめきも心から離れていかなかった。

 このざわめきの中、セイがそっと口を開いた。


「あなたの悩む姿を、ずっと見ていました。なぜそんなにも迷うのか、苦しむのか、理解できませんでした。でも……今なら少しだけ分かります。〝記録〟は正解を記す。でも、〝記憶〟は、選んだ道の重さを刻むのですね」


※※※

 

 あっという間に県大会一回戦が始まる時間が来た。

 

 真相は誰にも言わなかった。

 監督にも誰にも。

 それは痛みを伴う決断だったと今も思う。

 それでも、後悔はしていない。

 

 ピッチャーマウンドに立つと、観客席がよく見える。

 観客席の三枝が目に入った。

 気持ちは分からない。

でも、あいつが笑ってた。

 それだけで、少しだけ、救われた気がした。

 

 そして、セイ。

 試合の前に話をすると、別の惑星に行く時間が来たようだと言っていた。


「『カザマレン』。ワタクシはあなたに会えて本当に良かった」

「これまでは、〝記録〟こそがワタクシの存在意義でした。でも今日のことは、〝記憶〟に刻もうと思います。……あなたと過ごしたこの日々を」

「『記憶に刻む』。地球の人は本当に良いことを言いますね」


 そして、そのまま踵を返した。しばらく歩き、最後に一度だけ振り返った。


「あなたの言葉には、感情がありますね。ワタクシ、もう少しこの星に居たかった」


 その言葉を聞いた瞬間、何かが胸に染み込んだ。

 

 改めて観客席を見渡す。

 セイの姿は、どこにも見えなかった。

 でも、あの日と違って、胸のざわめきは風のように静かだった。

 

 あの日の真実は、誰にも伝えない。

 でも、オレは忘れない。きっと、誰よりも強く。

 あいつの涙も、セイの言葉も、全部この腕に刻んでいる。

 今、投げるこの一球に、全部込める。

 これが、オレの答えだ。

 

 サイレンが青い空に響く。

 オレは大きく振りかぶって――――。

 

END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

記録には残らない 大根初華 @hatuka_one

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説