9話 ごめんね

数ヶ月経ち、夏になると仮設住宅が設置され始める。

河合さんとは、これまでの延長として、1つ屋根の下で暮らすことになった。


「ごめんね。僕のわがままで夫婦みたいな生活になっちゃって。」

「困ったときはお互い様だし、私も助かっている。でも、これから、どうなっちゃうのかな?」

「まずは、働き口を探さないと。援助物資はあるものの、そろそろお金も足りなくなってきたし。」

「そうね。私は、募集されていた小学校の先生をしてみようと思う。明日、市役所に行ってみる。」

「僕は、当面、税金で東京の瓦礫を片付ける作業を推進している土木会社で、働くことにした。東京復興にも貢献できるし、生活費ももらえるし。」

「力を合わせて生きていこう。」

「そうだね。」

「ところで、鮎川って、学生の時はだいぶ荒れていたよな。何人も男性を引き連れて、気に入らない女性たちをぼこぼこにしてたよな。また、見た目もだいぶ派手だったような。たしか、金髪だったろう。」

「覚えていない。」

「そうなのか? 今は全く違った人間のように落ち着いて、やっぱり事故のせいかなのか?」

「よくわからない。でも、これからはずっとこのままだと先生は言っていたけど。」

「僕は、今の鮎川の方がいいけどね。」


河合さんは、約束通り、一緒に暮らしても、私には手を触れてこなかった。

家がなくて仕方がなく私と暮らしているだけで、私のことは好きではないのだと思う。


ある日、道を歩いているときに、私にブロック塀が倒れかかってきた。

それを見て河合さんが、自分の背中でブロック塀を抑え、私を助けてくれたの。

河合さんは、鉄筋が刺さったのか、背中から血を流していた。


「河合さん、大丈夫ですか?」

「なんとか。それよりも、鮎川さんが怪我しなくて良かった。」


河合さんは、そのまま力尽き果てたかのように気を失ってしまったの。

医者を呼んで、私の家に河合さんを連れて行った。

安静にしてれば明日には目覚めるだろうって。

怪我のこともあるけど、疲労が蓄積していたんだろうと医者は言っていた。


ふとこれまでの河合さんを思い返してみた。

家の解体、敷地の片付け、いろいろなことをしてくれた。

今回のような身を呈して私を守ることも数回ある。

夜も、誰かに私が襲われないように、夜通し私を見守ってくれていた。


私が生き延びられたのは、河合さんのおかげ。

そして、河合さんは、いつも私のことを笑顔で見つめてくれていた。

翌朝、河合さんは目を覚ましたの。


「よかった。目を覚まして。」

「大げさなんですよ。僕は大丈夫。」


私は、河合さんへの思いから、思わず唇を重ねていた。

河合さんは私を抱きしめてくれる。


そして、1週間ぐらい経って、河合さんの体力も回復する。

その晩、私たちの体は1つになった。


「ありがとう。」

「どうして?」

「僕のこと、嫌いだと思っていたから。ただ、困っている人を放っておけないという気持ちしかないのかと。」

「これまで、多くの場面で助けてくれて、自分でも気付かなかったけど、私の気持ちの中で河合さんの存在がどんどん大きくなっていたと、やっと気付いたの。」

「だから、ありがとうって。」


河合さんは、笑顔で私の顔をずっと見ていた。

そう、こんな大切な人が横にいたことに気付いていなかった。


智、ごめん。

大変な時期を過ごし、あなたとの日々を少しづつ忘れている。

私のあわい初恋だった。あのころは、その初恋に夢中になっていたの。


恋焦がれる毎日。

いつも智の顔を思い浮かべ、ドキドキしていた。

どうやったら、智に好かれるかとばかり考えていた。


河合さんとは、静かな大人の関係。

燃えるような感情は1つもない。

ただ、一緒にいることが自然な関係。


生きていくために、あたりまえに一緒にいるパートナー。

いつも、横にいる空気のような存在。

穏やかで安心できる関係。

河合さんとは、そのような関係なの。


その日から、下の名前で呼び合うようになった。

そして、私達には女の子が産まれる。


子供の夜泣きとか、大変なことは多い。

でも、朝起きると横に健一がいて、おはようって言ってくれる。

そして、私の子供が、私の指を握ってくれる。


毎日、一緒に食事をし、子供の成長を見続ける。

これが、こんな幸せと感じられるとは知らなかった。


私が望んでいた時間って、これだったんのね。

激しく愛する日々ではなく、穏やかな日々が心地良い。


健一とは空気のように一緒にいて、笑いも溢れて、自然に時間が経っていく。

そういう穏やかな日々が心地よい。

こういう時間を私は求めていた。


そんなに求めず、でも、ずっと横にいてくれる。

健一は、もう私にとってなくてはならない存在。

でも、その幸せも長く続かないことをまだ知らない。

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