広島の生んだ文豪・四反田五郎(1926-2000)。
彼は青春期のさまざまな挫折を経て、24歳のときに原爆傷害調査委員会に翻訳者として就職した。
その年彼はドイツの文豪・ヘルマン・ヘッセに拙い英語で手紙を送った。
程なくして、ヘッセから返信が来た。
それから12年にわたり、彼らは郵便制度を用いて文物のやりとりを行なった。
今生で顔を合わせることこそなかったが、このことは両者にとってその後の人生に多かれ少なかれ影響を与えている。
ヘッセの死後、四反田はようやく書籍化された小説を出版した。
その署は、若者たちに大きな影響を与えた。
そして彼もまたヘッセの後を追って老年期へと差し掛かっていく。
四反田五郎は、終生、ヘルマン・ヘッセを師と仰ぎ続けた。
ここに、その等身大の姿を記しておきたい。
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