沈黙の庭

睦月椋

沈黙の庭

 町の外れに佇む二軒の家がある。どちらも古びたレンガ造りで、長い年月を経て苔むしていた。二軒の間には一つの庭があり、そこには枯れかけたバラの茂みと、ひび割れた噴水が残されている。その庭はかつて、一つの大きな屋敷の一部だった。しかし屋敷が分割され、それぞれの家が別々の家族に引き継がれると、その庭は共有地となった。


 右の家に住むのは夫の慎一しんいちと妻の美咲みさき。彼らは兄妹のように育ったが、家同士の事情により結婚した。夫婦とは名ばかりで、慎一は仕事に逃げ、美咲は静かに暮らしていた。


 左の家には夫の和也かずやと妻の玲奈れいな、そして一人娘の千尋ちひろが暮らしている。和也と玲奈の関係は冷え切っており、和也は家にいることが少なかった。


 ある日、美咲は庭の奥にある崩れかけた納屋で、一冊の日記を見つける。そこには、かつてこの屋敷に住んでいた女性の手記が書かれていた。


『この庭は、秘密を埋める場所。ここで交わされた約束は、誰にも語られない』


 美咲は不思議な気持ちでページをめくる。その日記には、二つの家族の過去に関わる秘密が記されていた。玲奈が和也の妻になる前、彼女は慎一と愛し合っていたこと。そして、千尋の本当の父親が慎一である可能性があること。


 美咲は恐ろしさを覚えながらも、日記を閉じることができなかった。彼女は慎一にこのことを話すべきか迷ったが、彼の態度を思い出し、躊躇した。慎一は彼女を愛していない。おそらく玲奈のことを今でも忘れられないのだろう。


 その夜、美咲は寝室の窓から庭を眺めた。月明かりの下で、玲奈が納屋の前に立っているのが見えた。彼女はゆっくりと地面を掘り返しているようだった。


『この庭は、秘密を埋める場所』


 日記の言葉が、美咲の頭の中でこだました。


 美咲はそっと家を出て、庭へ向かった。玲奈は彼女の存在に気づくと、スコップを握る手を止めた。二人はしばらく沈黙したまま見つめ合う。


「……知ってしまったの?」玲奈が低い声で言った。


「あなたは、何を埋めようとしていたの?」


 玲奈は笑ったが、その笑みはどこか壊れそうだった。


「私はずっと、ここに縛られていた。千尋のことも、和也のことも、本当はすべて嘘の上に成り立っている。でも、もう終わらせなきゃいけないのよ」


 美咲は足元の穴を見た。そこには、古びた写真が埋められていた。それを拾い上げると、慎一と玲奈が並んで微笑む姿が写っていた。


「慎一には……言わないで」玲奈が言った。「彼は知らないままでいたほうがいい」


 美咲は迷った。しかし、彼女自身もまた、この庭に縛られているのかもしれないと思った。彼女はゆっくりとうなずき、写真を穴に戻した。


 玲奈は静かに土をかぶせる。その手つきはまるで、過去を埋葬するようだった。


 それからしばらくして、玲奈は千尋を連れて町を出た。和也は彼女の裏切りを知ることなく、ただ一人家に残された。


 慎一と美咲の関係は変わらなかった。だが、美咲はもう日記を開くことはなかった。ただ、あの庭を通るたびに、玲奈が埋めた秘密の存在を思い出した。


 沈黙の庭は、今も変わらずそこにある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

沈黙の庭 睦月椋 @seiji_mutsuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る