第15話

今川コーポレーション本社。

役員会議室の廊下を歩く信長と家康。その足取りは落ち着いていた。


だが、静寂を破ったのは一通の報告だった。


「織田さん、本日予定外のお客様が来社されています」

そう言って秘書が差し出した来客リストの電子端末を、信長は何気なく受け取る。


目に入った名前を読み上げると同時に、家康の足がピタリと止まった。


「……本多、正信?」


家康は声を出さなかった。だが、その名を見た瞬間――まるで誰かに

  心臓を掴まれたような顔をしていた。


「誰や、それ?」


信長が横を向いて問いかける。

だが家康は無言のまま、視線だけを秘書へ向けると、わずかに顎を引いて

「通して」と指示を出した。


「……育ての親、みたいなもんです。

 少し、昔の話ですが」


その声には、感情の起伏はなかった。

だが、信長はすぐにわかった。

家康の手が、震えていたことに。



---


数分後、会議室の扉が静かに開く。


「ご無沙汰しております。織田信長さん、

 そして……家康坊っちゃん」



重厚な今川役員会議室。

深いブラウンのテーブルに向かい合って座るのは、信長・家康と――スーツ姿で微笑を浮かべる男、本多正信。


「織田さん、そして……徳川課長。改めて、朝倉・浅井グループからの提案書になります」


彼はそう言って、分厚い書類を丁寧に二人の前へ差し出す。

手際は抜群。無駄のない話しぶりと、整った視線配り。言葉も、抑揚も完璧だった。


「桶狭間商事における物流事業の分割案。弊グループの地方ネットワークと統合することで、無駄なラインを7%圧縮可能。

合わせて、既存の社員を一部受け入れ、労働訴訟リスクも回避可能となります」


信長は資料を手に取り、静かに視線を落とす。


「なかなか数字は綺麗にまとまっとるな……そっちの物流網、確かに古参やし、安定感はある」


「ありがとうございます。加えて、金融面では朝倉系列の信託銀行から支援が可能です。

今川コーポレーションの財務状況も踏まえ、条件面は極力柔軟に」


「そこまで手厚くする理由は?」


「……率直に言えば、今回の提携は“御社の信頼回復”に寄与すると考えております。

先の騒動……その件、あえて踏み込むことはしませんが、社会的には“情報統制の不備”と見なされてもおかしくはない。

だからこそ――“守る意志があるなら、支える者がいる”。その証明として」


家康の指先が、小さく反応した。


(……あえて、触れてきやがった)


「また――現経営幹部の責任問題については、こちらでは一切問いません。

今の体制のままで、提携は進行可能です。安心して任せられる、と我々は考えていますので」


一見、好条件。否――過剰とも取れる譲歩。

それが、信長の眉を少しだけ動かした。


(あまりにも“整いすぎてる”……逆に、何かあるんちゃうか……)


しかし、隣で家康の反応はさらに鋭さを増していた。

目は資料を見ているが、焦点は合っていない。

膝の上の手は、ゆっくりと握りこまれていく。


(こいつ……)


信長が気づいた瞬間、本多がふとこちらを見た。


「……坊っちゃん。

失礼、今は“徳川課長”ですな。口調が戻るほど、懐かしい顔ぶれだったもので」


その笑みに、どこか悪びれた様子はない。むしろ穏やかで、懐旧の情さえ滲ませていた。


家康は視線を上げ、静かに言った。


「……提案内容、確認させてもらいます。精査の上で、こちらの方針を伝えさせていただきますので」


「ええ、構いませんよ。……時間はまだ、たっぷりありますから」


にこり、と笑ったその瞬間――

家康の奥歯が、ギリッと鳴った。


本多正信は、資料を閉じると両手を組んで穏やかに話を続けた。


「……今回の提案、うちの朝倉グループにとっても大きな転換点ですわ。

ここまで“歩み寄った形”での再生支援は、正直言って前例がありません」


「せやろな」

信長が抑えた声で返す。


「うちが何かと騒がれてるこの時期に、あえて手ぇ差し伸べる。

それだけで貴様らの“好感度”は上がるし、条件を飲まれたら一気に覇権が取れる」


「ええ、そういう計算も、まあ……ないとは言いません。

でも、見返りばかりを求めて動いてるわけやないんです」


本多がちらりと横を見る。その視線の先には――家康。


「……あんたを通して、よう知ってます。

“守りたいもんがあるときの坊っちゃん”は、ほんまによう動く」


家康の手がピクリと反応する。


「……私の名は徳川です。坊っちゃん呼びはやめていただきたい」


声に熱が混じった。

だが正信はその苛立ちに乗らない。逆に、それが楽しいと言わんばかりに微笑む。


「そうでしたな、徳川課長。……あの頃の坊やが、こんな立派になって」


「正信さん」

家康の声が低く、硬くなる。

その瞬間――空気が変わった。


(あかん)

信長は察知した。家康の“スイッチ”が、入ろうとしていたことを。


正信は構わず言葉を続ける。


「けど、意外でした。

坊っちゃん――いや、課長殿が“今川の御曹司”と、ここまで親しくなっとるとは思いませんでしたわ」


空気が凍りつく。

信長は無言で息を呑み、家康は――ついに立ち上がった。


「……っ! これ以上、その口を開くな。

あんたに、何が分かる。あんたに、何を言われなあかん」


拳を固く握りしめる。

だが、その拳が振り上がる前に――


「……家康」


信長の声が静かに落ちた。

続いて、そっと袖を掴む。


家康がその方向に視線を向けると、そこには――

怒っているでも、驚いているでもない。

ただ、優しく、真っ直ぐに見上げる信長の目があった。


「ここ、今川の役員室やぞ。

暴れてええんは、俺様だけや」


家康の拳が、ゆっくりとほどかれていく。

その手を、信長がしっかりと握った。


「……お前まで、壊れるなや。

俺様が守られてんのに、お前が壊れてどないすんねん」


その言葉に、家康はまるで支えを失ったように膝を折りそうになり、

ぎりぎりのところで椅子に座り直す。


深く息を吸って、吐いて。

ようやく、視線を前に戻した。


「……提案書は預かる。検討の上、後日こちらから連絡する」


その声は震えていなかった。

だが、かつてのような無機質な冷静さでもなかった。


本多正信は、微笑を崩さずに一礼する。


「ええ、ではご連絡、お待ちしております。――織田さん、坊……徳川課長、失礼いたします」


そして、会議室を去った。



---


信長と家康の間には、しばらく沈黙が落ちた。


机の上の書類には、完璧に整えられた提案書。

けれど――家康の視線は、そこを見ていなかった。


「……俺、まだ引きずってるんやな」


かすれた声で呟く家康に、信長はぽつりと返す。


「せやな。けど、そんなん当たり前やろ」


「……」


「それでも、“壊れへんかった”お前は、立派や」


家康は、ゆっくりとその言葉を胸に落とし込むように目を閉じた。


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俺様系乙女な信長くんとドSな家康様 撫で猫 @nadeneko

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