一一章 初体験
パクッ、と、マンガに出てくる擬音のような音を立てて、
その表情がまあ、大好きなケーキを前にした幼い女の子のよう。満面の笑顔で幸福感丸出し。見ているだけでこちらも心が温まり、幸せになるような表情。黄身はグチャグチャで白身は焦げているという不出来な目玉焼きを出してしまった当人でなければ、だけど。
実際、自分でも納得いかない目玉焼きしか出せなかった
「おいしいっ!」
と、これまた
れっきとしたおとなの、それも絶世の美女がこんなにも素直で幸せそのものの笑顔を浮かべてのけるのだ。一目見た誰もが恋に落ちてしまうだろう。
「……すみません。出来が悪くて。料理はあんまりしたことなくて」
「なに言ってるの。本当においしいわよ」
「でも、黄身はグチャグチャに潰れているし、白身は焦げてるし……」
「それがなに?」
と、
「わたしの大好きな嫁が心を込めて作ってくれたのよ。世界一おいしいに決まっているじゃない」
――だから、そういうのやめてぇ~!
ともかく、ふたりそろっての朝食だというのに自分だけ食べずにいるわけにもいかない。第一、不出来な料理を他人様に食べさせておいて自分は食べずに逃れるなんて、失礼千万にも程があるではないか。
と言うわけで、
――これは、後回しにしよう。それぐらいはいいよね?
と、さりげなく目玉焼きを遠ざけた。
――とりあえず、それは最後の試練にとっておいてまずは、これから……。
パクッ、と、こちらも軽快な音を立てて一口、かじる。食べた瞬間、目を丸くした。驚きのあまり、口元を押さえた。いままで食べたことのないはじめての食感。
皮は固いけれど、中身はしっとりしていて粘りけがある。薄いくせにズシリとした重い食感は、
――なんか、酸っぱいんですけどっ!
思わず、心のなかで叫んでいた。
『酸味のあるパン』なんてはじめて食べた。
――これ、どういうこと⁉ まさか、あたしがさわったから腐っちゃったの⁉
冷静に考えれば、いくらなんでもそんなことはあるはずがないとわかるところだが、このときの
――あたし、そこまで料理へただったあっ⁉
心のなかで泣きながら絶叫した。
そんな
「どうしたの? もしかして、ライ麦パンはじめて?」
「ラ、ライ麦パン……?」
「そう。ロッゲンブロートっていうライ麦一〇〇パーセントのドイツパン」
「ライ麦パン……。これが」
『ライ麦パン』というものがあることは知っていた。でも、実際に見たのはこれがはじめて。もちろん、いままでに食べたことはない。
「ライ麦パンは小麦のパンみたいにふくらまないから見た目のわりにズシリと重いし、サワー種を使っているから酸味があるの」
「酸味がある……。あ、ああ、そういうものなんですか」
ということは、自分がさわったせいで腐ったわけではない、と言うことだ。
――よかったあっ~。
と、心から安堵する
「もしかして、
「あ、はい。いつも、白くて柔らかいパンばっかりでした」
そもそも、ライ麦パンなんてスーパーのパンコーナーでも見た覚えがない。
「ダメよ、
「そういうものなんですか?」
「そうよ。世界の美女は、パンに限らず白い食べ物なんて食べないわよ」
言われてみれば、昨日の朝食にでたご飯も玄米だった。
「未精製の茶色い穀物の方が栄養が残っているし、消化するためにより多くのエネルギーを使う。つまり、同じカロリーを食べても未精製の穀物の方が太りにくい、スタイルを維持しやすいっていうわけ。
――美貌なんて言うほどのものじゃないけど。
『美貌』などと言うたいそうな言葉はやはり、
「
「当たり前よ。食は人生の基本。人間の体は自分の食べたものでできているんだから。きちんと調べて、食べるものを選ばないと。なんでもかんでも食べていたら容姿も衰えるし、健康にも悪いわ」
――やっぱり、
きっと、学校帰りにファーストフード……なんていうことは一度もしたことがないのだろう。自分はしょっちゅう、友だちとやっていたけど。
――そんな楽しみもなくなるぐらいなら、あたしは絶世の美女子になんてなれなくていいや。
と、あっさり白旗を掲げる
――でも、と言うことは毎日の朝食もメニューが決まっていたりするのかな? だとすると、勝手に用意して悪いことしちゃったな。
『世話になるのだからそれぐらい……』という善意だったけど、美容の『び』の字も知らないような素人に用意されてはかえって迷惑だったかも知れない。
――今度は、ちゃんと教わってから作ることにしよう。
そう心に誓う
「そう言えば、
「ん? なに、急に?」
「あ、いえ、食事にもそんなに気を使うなんて、見た目が大切な仕事なのかなって思って……」
「ああ。たしかに、見た目が重要な仕事ではあるわね」
――やっぱり。
と、
――こんな美女子なんだもの。きっと、グラビアアイドルかコスプレイヤーなんだろうな。
そう思ってからふと、気づいた。
――そう言えば、あたしはこれからどうすればいいんだろう?
一〇〇年以上の眠りから覚めたばかりとあって、すっかり忘れていた。しかし、このままなにもせずに
両親と
「あの、
「なに?」
「この時代に、あたしにもできそうな仕事ってありますか?」
「仕事?」
「はい。このままなにもせずに
「わたしとしては、わたしのかわいい嫁でいてくれるだけで充分なんだけど」
「そういうわけにはいきません」
一〇〇年以上もたっていれば自分の時代とはなにもかもちがっているだろうからいきなり働くということはできないかも知れない。学校からやり直さないといけないかも知れないが、とにかく、将来的にはきちんと自分で稼いで、自力で生活できるようになりたい。
「そうねえ……」
「じゃあ、とりあえず、わたしの職場見学でもしてみる?」
「職場見学?
「そう。あなたを迎えるために、しばらく有休をとっていたんだけどちょうど今日から復帰だから」
「えっ、でも、素人がスタジオなんかに行ったら邪魔になるんじゃ……」
「大丈夫だいじょうぶ」
「今日は撮影とかはなくて、オフィス仕事だから」
――ああ、そうか。グラビアアイドルだって撮影の日ばかりじゃないよね。オフィスでの打ち合わせとかあるはずだもんね。
グラビアアイドルの仕事が自分にとってなにかの参考になるとは思えない。それでも、ひとりで家に残ってぼんやりしているよりははるかにマシだ。それに、アイドルではなく、アイドルを支える裏方仕事の方なら自分にもできることがあるかも知れない。
「はい。お願いします、
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