第50話
式場のベルの音を聴きながら、俺たちは自転車で坂道を下る。
メイはスッキリとした顔で式場の方を見つめていた。
「桜、見たいな……」
そう小さくメイは呟いた。
「桜はまだ先かな」
俺がそう返すと、メイは『そうだね』と悲しそうに言った。
しばらく無言のまま自転車を漕いだ。
行きは上り坂が多かったが、帰りは下り坂が多いので少しは楽だが、前半の全力疾走で既に筋肉が小さな悲鳴を上げ始めていた。
ふと、俺の腰につかまっていたメイの細い手が力なく離れようとする。俺はその手をぐいっと掴み、支える。メイがおちてしまわないように。メイが震え、泣いているのを背中に感じながら、俺はただずっと自転車のペダルを踏み続けた。
突然、鼻にふわふわと白いものが落ちてきて、肌に触れた瞬間冷たさを感じた。
空を見上げると、真っ白な花びらのような粉雪がゆらゆらと舞いながら降ってきていた。
俺は自転車を止め、ゆっくりと空を見た。
「メイ、白い桜だよ!」
後ろのメイに声をかける。
メイがふと顔をあげると、粉雪を見てパッと顔が晴れた。
「本当だ。白い桜だ!」
敦士さんが助手席のドアを開き、メイが助手席に乗り込もうとしている。
俺はその光景を黙って見つめる。
また、攫うんじゃないかと若干敦士さんが警戒していたのが少し面白かった。
今までは、学校が離れても、家が隣だから会おうと思えばいつでも会えた。
でも、今回はそうじゃない。
もう、気軽にメイには会えなくなるんだ。
「め……い……」
振り返ることなく助手席に乗り込むメイ。敦士さんがドアを閉めようとする。
「め……い!めいこ!」
俺がそう呼ぶと、ハッとしたようにメイは振り返った。
「……お、お義父さん!」
俺は敦士さんに向かってビシッと気をつけの姿勢をとった。
敦士さんは突然俺から『お義父さん』と呼ばれ、鳩が豆食ってポーな顔をしている。
「僕は!……あなたの娘さんが、芽衣子さんが好きです!幼稚園の頃からずっと好きでした!今でも、その気持ちは変わりません!」
選手宣誓のように俺は片手をビシッとあげる。
「お?おっ?」
敦士さんは、まぁ聞こうか、といった様子で俺を見つめる。
「でも、芽衣子はいつも俺の一歩先を歩いていて、俺は追いかけるのに必死でした。芽衣子が一年はやく新しい制服を着るのを、いつも袖口くわえながら見ていました。今もそうです。追いついたと思ったら、またすぐ見えない羽根で飛び去って離れて行ってしまう。俺はずっと……そんな芽衣子を追いかけています!」
「……創ちゃん」
メイが助手席から身を乗り出して、潤んだ瞳で俺を見つめる。
「だけど!……もし、いつか。俺が芽衣子に追いつけたなら。その時は!」
大きく息を吸い込む。
「芽衣子さんを僕にください!」
近所中にこのプロポーズの言葉は響いてしまっただろう。だけど、そんなことはどうだっていい。
敦士さんはポカーンとした顔をしていた。
メイが車から飛び出して、俺の方へ駆けてくる。
そして俺の腕に飛び込むように抱きついた。
「おわっ!」
その勢いに思わず尻餅をつきそうになるが、なんとかその身体を受け止める。
メイはギュッと俺を抱きしめた。
「やっと……呼んでくれた」
「え?」
「『めいこ』って」
そうだ。
俺は小さい頃、『めいこ』と呼ぶのがなんだか恥ずかしくて、ずっと『メイ』と呼んでいた。
それが定着して、ずっと今日まで来てしまった。
そっか、芽衣子はずっと待っていたんだ。俺が彼女の名前を呼ぶ日を。
「ありがとう創ちゃん」
芽衣子はそっと俺から離れ、微笑む。
「でも、プロポーズははやいよ」
そう言って鼻を軽く小突かれた。
「認めよう!」
敦士さんの大きな声が響いた。
「え?おじさん……」
「だが、まだ子犬っころみたいな君には、可愛い娘はやれないぞ」
ふんっと腕を組む敦士さん。
「お……おじさん……」
へこたれる俺に、敦士さんは笑いかけた。
「君がいつか本当に、芽衣子を捕まえた時には……俺のことを『お義父さん』と呼んでくれ」
敦士さんの言葉に俺の目はキラキラと輝きを取り戻した。
「はいっ!」
「……待ってるから」
芽衣子は言った。
「待たせてばっかりだね」
「うん。でも、私はもう歩くことしかできない。だから……すぐに追いついてくれるよね?」
「……?」
芽衣子の言葉の意味がよく理解できないでいると、その様子を可笑しがるように芽衣子はいたずらに微笑む。そして俺に背を向け、助手席に乗りこんだ。
敦士さんが車のエンジンをかける。
車の窓から体を乗り出す芽衣子。
「創ちゃん!」
「なにー?」
「ありがとう!」
「……っ」
何気ないその言葉に、俺は涙が出そうになった。
車が走り出す。芽衣子は満開に咲いた桜のような笑顔で俺に大きく手を振る。
俺は泣きだしそうになるのを堪えながら、頑張って笑顔を浮かべ、芽衣子に負けないぐらい大きく手をぶんぶんと振る。
車が遠くなり見えなくなるまで、俺はずっと手を振り続けながら叫んだ。
「来年の春こそ、本物の桜を一緒に見よう!」
涙を袖で拭う。
空からは白い桜が舞うように降り続けていた。
君の心を射るなら、別れに涙なんか流していられない。根っこまで深く愛して、受け止める男になるんだ。
花を射るなら おねずみ ちゅう @chu-onezumi
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