第49話

もう何もない部屋の床に私はぼんやりと座っていた。ドアをノックしてお父さんが顔を覗かせる。


「芽衣子。もう行くから、降りて来なさい」


「すぐ……行くから、下で待ってて」


「……わかった」


お父さんが階段を降りて行く音。私は大きく息を吸い込んで、立ち上がりドアを開く。振り返り、自分の部屋をぼんやりと見つめた。ああ、この部屋で色んなことがあったな。

思い出ひとつひとつを数えているけれど、そこにはいつも創ちゃんがいた。

自分の部屋に入れた男の子は創ちゃんだけだった。


「さよなら」


私は部屋のドアを閉めた。



玄関を出るとお父さんが車の前で待っていた。

私を見ると優しく微笑む。


「また、戻って来られるさ」


「……」


「ほら、車乗りなさい」


「……うん」


お父さんが開けてくれた助手席に乗り込もうとした時、突然腕を掴まれた。

驚いて、掴まれた腕の方を見るとそこには黒く髪を染め直した創ちゃんがいた。


「来て」


創ちゃんは一言、真面目な顔でそう言うと私の手を強く引いた。


「ごめんなさい、おじさん!少しだけメイをかして!」


創ちゃんに引っぱられるままに私は連れていかれる。


「お?おい!……どこ行くんだ?」


背後でポカーンと立ち尽くしているお父さんの姿が見えた。



連れて行かれたのは公園だった。

公園には創ちゃんとよく一緒にいた2人の男の子が立っていた。

1人は自転車を携えている。


「お待たせ!」


「おせーよ創!」


そう言ったのは確か電子辞書を貸してくれた弘くんだ。


「おいおい、飛ばさないと間に合わないぞ」


こっちの子は確かサッカー部の悟史くん。

創ちゃんは、弘くんから自転車を受け取ると私に荷台に乗るように促した。


「乗って」


「自転車?創ちゃんのじゃないよね?」


「俺の自転車荷台ないからさ。弘に借りたんだ」


そう言って創ちゃんは弘くんを指す。


「なんでも貸します!」


と言って、弘くんは誇らしげに胸を張った。

私が戸惑っていると、創ちゃんに急に抱き上げられ、荷台に乗せられる。


「飛ばすから、ちゃんと掴まっててね」


「う……うん」


躊躇いがちに私は創ちゃんの身体に腕を回した。


「「頑張ってください!」」


口を揃えて弘くんと悟史くんが私にガッツポーズをした。


「う、うん?」


私は意味がわからなかったけど、とりあえずガッツポーズを返してみた。


創ちゃんが自転車を漕ぎだす。

2人が手を振って見送ってくれた。

公園を出て、自転車は隣町の方へと向かって走る。


「創ちゃん!」


「なに?」


創ちゃんは若干息を切らしながら返事をする。


「どこに行くの?」


「……内緒!」


そう言って創ちゃんは笑った。

その笑顔はなんだか子どもの頃の創ちゃんみたいだった。


「メイは覚えてる?」


創ちゃんが声を大きくして私に問いかける。


「小学校の頃……ちょうどこんな寒い日で。コンビニに肉まんが売られ始めたぐらいにさ。二人で一つの肉まんを買った。なんで、一個だったんだろうね。二個買えばよかったのにさ」


そう語る創ちゃんは本当に楽しそうだ。

わたしもつられてなんだか、楽しくなってくる。


「覚えてる!一個しか売ってなかったんだよ」


「あ!そうだった。あはは。やっぱメイのが記憶力いいや」


創ちゃんが笑う。私もなんだか笑いたくなる。


「でさ、その肉まんを二人でわけようってメイが二つに割ったんだ。そしたら、微妙に大きさが違ってさ」


そうだった。私が下手くそな分け方をしちゃったんだ。


「でも、メイは躊躇いなく大きい方を俺にくれた」


「……そうだったっけ」


それはあんまり覚えてない。


「そうだよ。その時、メイが言ったこと……覚えてる?」


「……なんて言ったんだっけ?」


「『創ちゃんがお腹いっぱいで幸せな笑顔になってくれたら、私はもうそれだけでお腹いっぱいになれるんだよ』」


「……そんなこと言ったかな?」


「言ったよ」


ニコニコと創ちゃんが笑っている。

私も笑った。

楽しいな。こうして創ちゃんと昔のことを話すのは。思えば、創ちゃんとの思い出は楽しいことばかりだった。ずっと一途に、私のことを追いかけてきてくれた。私はそんな創ちゃんからずっと逃げ続けていたんだ。


「会って欲しい人がいるんだ」


創ちゃんが言った。

どこへ向かっているのか、なんとなくだけど想像ができた。


「……うん」


私は小さくうなづき、創ちゃんの身体を強く抱きしめた。






朝倉は結婚式場の控え室でぼんやりと鏡を見ていた。ハレの日だと言うのに、なんだか顔色が悪い気がする。ノックの音がして、返事をすると式場スタッフが顔を覗かせた。


「朝倉様、お客様がお見えになっています」


「客?」


「はい。生徒さんだそうで『朝倉先生を出せ』とロビーで騒いでおりまして……」


なんとなくその時点で候補が絞れた。


「どんな子ですか?」


朝倉が尋ねると式場スタッフは言いにくそうに例えた。


「えーと、ちっさい秋田犬みたいな男の子で……」


「ああ。わかりました行きます」


朝倉はタキシードのジャケットを羽織り、式場スタッフに案内された式場の脇にある庭へ向かった。

そこには案の定、木之本創が1人立っていた。


「……木之本」


髪は黒く戻したらしい。

その目は俺を睨んではいなかった。


「結婚おめでとう」


創に言われて、朝倉は自嘲気味に笑う。


「わざわざ皮肉言いに来たのか?」


「いえ。違います」


創は真面目な顔で首を横に振る。

そして式場の裏を指差した。


「この式場の裏の公園に行ってください」


「……なぜ?」


「俺は先生のこと、嫌いじゃなかった」


突然の告白に朝倉は思わず笑う。


「そりゃどーも」


「先生はずるい」


「……」


「大人ぶっちゃってさ」


創にそう言われて朝倉は空を見上げた。


「……ああ、そうだな。俺は最低だよ。もーうんざりだー!教師なんて辞めてやるさー」


半ば自暴自棄にそんな言葉を生徒に聞かせる。


「……教師なんて、生徒のこれからの人生に責任持てるわけでもないのにな」


朝倉は目を伏せた。


「先生」


「んー?」


「あなたは教師ですよ」


「今は、まだな」


「だったら、教師でいる間だけでも。自分の生徒に責任を持ってください」


「……」


「朝倉先生」


まったく、コイツは俺をなんだと思ってるんだ。

俺は神でも仏でもない。ただの若造だ。


「24歳なんてのはな。お前らが思ってるほど大人じゃないんだぞー」


朝倉がそう言うと、創はぷくっと頬を膨らませた。

その顔が祖母の家にいる秋田犬にそっくりで、朝倉は笑いそうになる。

なんだかんだ、コイツは可愛い生徒だな。


「俺に何をして欲しいんだ?教師は生徒のために、何をすればいい?」


朝倉が尋ねる。


「公園に行ってください」


創は答える。


「ただそれだけです」


「わかった」


朝倉はうなづく。


「それと……あの時は殴ってすみませんでした」


聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で尚且つ早口で創はそう言って、頭を下げた。

朝倉は、頭を下げる創を見て可笑しそうに笑い、黙ってその頭をくしゃくしゃと撫でると、裏の公園へ向かって歩きだした。




朝倉が式場裏の公園に入ると子どもたちが遊具で遊んでいる。切なげにそれを見つめながら公園を歩いていると強い風が吹く。反射的に目を閉じ、再びゆっくり開くと、ベンチに腰掛け目を瞑っている芽衣子を見つけた。

芽衣子がゆっくりと目を開き、まっすぐな澄んだ瞳で朝倉を見つめる。


「朝倉先生」


「……芽衣子」


芽衣子は立ち上がり、その場でゆっくりと朝倉に向かって頭を下げる。


「今まで、ご迷惑をおかけしました」


「え……?」


てっきり恨み言を言われるものだと思っていたので、朝倉は唖然とする。


「私は先生のことが好きです。だから……先生には幸せになってもらいたい」


芽衣子は朝倉をじっと見据える。


「あの頃の私は、自分のことしか考えてなくて。自分が一番可哀想なんだって思ってた。だから、先生に助けを求めるばかりで、先生への負担なんか考えもしなかった」


違う。それでいいんだ。

教師は生徒を助けるものなんだから。

助けを求めていいんだ。

朝倉は拳をギュッと握った。


「先生を壊しているのは私だった。それに気づいていたけど、やめられなかった。もし、やめてしまったら、先生の中で私はただの『生徒』になってしまいそうで怖かった」


「芽衣子……俺はっ」


「先生があの時、助けてくれたから……私の話を聞いてくれたから。私は人を、先生を愛することを知ったの。先生、ありがとう。そして、ごめんなさい」


頭を下げる芽衣子。

その姿はどこかつきものがとれたように清々しく見えた。

ああ、この子は強くなれる。

俺なんかがいなくても。


「俺……俺の方こそ。悪かった。新任教師の分際で、中途半端なことをして。責任とれる覚悟もないのに。手を伸ばして……俺は」


目頭が熱くなる。涙と嗚咽が喉元から込み上げてくる。

芽衣子はそんな朝倉を見て優しく笑った。花のように。


「みんな、そう。覚悟がないから手を伸ばさない。それは正しいことなのかもしれない。でもね、私は先生に手を差し伸べてもらえて、救われたの」


朝倉は顔をあげた。

芽衣子の顔をしっかりと見据える。


「『天使』じゃない、本当の『私』を見てくれたはじめての人。そんな先生のはじめての生徒になれて……私、幸せだった」


花のように微笑む芽衣子の目から一筋の雫が流れる。朝倉は口元を抑え、涙を流した。


「……ごめん。芽衣子、ごめんな。……ありがとう、俺の生徒になってくれて」


ニコッと歯を見せて、無邪気に微笑む芽衣子。


「朝倉先生、ずっと大好きです。幸せになってください」

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