第15話

「問題?……ですか」


一気に絹子の全身に緊張が走ったのを朝倉は感じた。警戒ともとれる雰囲気を感じる。


「はい」


朝倉は怯むことなく、力強くうなづいた。


「それは学校での素行とか、そういうことでしょうか?」


「いえ、芽衣子さんは優秀な生徒です」


「では、どういった『問題』ですか?」


絹子の手が小刻みに震えているのが見えた。それを抑えるように手を揉んでいる。


「もしかして、その問題があの子の体調不良の原因ですか?」


「……はい。おそらくそうだと」


「どういう問題ですか」


絹子は真剣な眼差しで朝倉を見つめた。

朝倉は口ごもった。


「先生」


絹子は追い立てるように、身を乗り出した。


「芽衣子さんは……」


朝倉の発した言葉に絹子の顔が一気にこわばった。

リビングの空気がピンっとはりつめる。

朝倉は違和感を覚えた。

絹子が『驚いた』という顔ではなく、『それ以上聞きたくない』という顔をしたから。


「あの子は病気じゃないです」


すっと落ち着いたように絹子はつぶやいた。

朝倉は確信した。この母親も、写真家の父と同じなのだと。


「倉賀さん、娘さんが倒れた時に病院へ検査には行きましたか?」


「ええ。総合病院で隅々検査してもらいました。どこも悪いところはありませんでした」


絹子は、朝倉と一切目を合わせなくなった。ぐっと自分の手を強く握り朝倉の次の言葉を遮る。


「やめてください」


低い声で発された絹子の言葉からは、強い拒否反応を感じた。


「心の弱い人や、不幸な目にあった人ならまだしも……娘は心に病なんて抱えていませんし、不幸でもありません。私たちは娘にたくさん愛情を注いできました」


それが問題だったのだ。

愛情を受けることが必ずしも本人にとって幸福だとは限らない。

と、朝倉は言えなかった。


「それとも、学校で何かストレスを抱えていたとか?」


絹子は目線を落としながら、そう尋ねた。


「学校でも、きっとご家庭で過ごしている時とかわらないと思います。芽衣子さんは誰にでも平等に接しているし、友達もたくさんいます」


「じゃあ何故……朝倉先生はそんなことをおっしゃるんですか?娘が、私たちの娘が心の病気だなんて!」


「必ずしも、そうだとは言えません。でも、芽衣子さんの最近の体調不良には、おそらく精神的なものが関係していると感じるんです。心配事や悩みがあると、体にも不調がでます。人間の資本は身体だけじゃなくて心もです。芽衣子さんは優しい子だから、悩みを打ち明けられずに一人で抱え込んでしまう子です」


少し興奮した絹子をなだめるように、朝倉はゆっくりと言葉を紡ぐ。


「芽衣子さんに問いかけてあげてください。本当の声を引き出してあげてください。それは、残念ながら僕にはできません。……家族こそが、芽衣子さんの心を解きほぐしてあげられる唯一の存在なんです」


朝倉の言葉に、絹子はゆっくりと顔を上げた。不安そうな目で、朝倉を見つめる。


「あの子が、私たちに隠し事をしてるってことですか?」


「隠し事?」


「だって芽衣子は、よく学校であったことを楽しそうに話してくれます。たまには辛いことも相談します。でも、最終的には辛いことも乗り越えてきた。……そんな心を病むまで私に隠すようなこと、あの子はしません」


「……」


朝倉は言葉を失った。

わからない。この母親にどんな言葉をかければいいのか。

母は娘を信じていて、それを揺るがせるようなことはできそうにもない。

ただの部外者が、家族の『信頼』を壊すことなんてできない。


「朝倉先生、少し失礼なことをうかがうようですけれど……先生はまだ二十代ですよね?」


「はい」


なんだか嫌な予感がした。一番されたくないが、一番よくされる勘違いをしているような気がする。


「朝倉先生が今日、我が家に訪れたのは……教師としての行動ですか?それとも、朝倉先生の個人的な行動ですか?」


じっと朝倉の目の奥を探る絹子。

芽衣子と同じだ。

こちらの心を覗こうと、離さない。

その目に捕まれば、心も何もかも引きずり出されてしまうんじゃないかとさえ思う。

朝倉は、堪えきれずふと目をそらした。


「僕は生徒に対して教師としての行動をとっているつもりです。もし、それが出すぎた真似で不愉快な気分にさせてしまったのなら謝ります。でも、僕は教師として……芽衣子さんが楽しく学校生活を送ることができるように、僕のできる限りの力をもって支えていきたいんです」


絹子はしばらく朝倉の顔を見つめ、ふと微笑んだ。

その微笑みに朝倉は少しだけ全身の力がほぐれた。


「芽衣子はいい先生に出会えたんですね」


絹子が本当にそう思っているのか、朝倉にはわからなかった。


「わかりました。芽衣子と一度話してみます」


そう言って立ち上がると、絹子はリビングの窓へ向かいカーテンを開いた。

窓の外から入ってきた昼下がりの暖かい陽射しが、部屋を明るく照らす。


「いいお天気ですね。晴れてよかったわ。今日を楽しみにしていたんですよあの子」

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