第14話

その部屋の壁には、さまざまな年齢の芽衣子の写真が飾られていた。白いワンピースを着て、桜の下で笑っている芽衣子、これは5歳ぐらいだろうか。小学校の入学式で、大きな赤いランドセルを背負っている芽衣子。運動会のリレーで優勝したのか、1番の旗を誇らしそうに掲げている芽衣子。澄ました顔で卒業証書を受け取っている芽衣子。

どれも、精度の高い写真だった。当たり前だ。撮影者である芽衣子の父親は世界的に有名なカメラマンなのだから。

でも、どれもこれもただの作品にしか見えない。

我が娘を、被写体とした作品。作品のための被写体。

写真を眺めていると、ひときわ大きく高価そうな額縁に目がとまる。

腰あたりから白い羽が生え、裸体に白い布を纏ったまだ幼い芽衣子の写真。

絵画よりも幻想的で、作り物であるはずの白い羽は、それさえも『芽衣子』という個体の一部のように見えた。

天使。

写真の中の天使は、とても優しい微笑みを浮かべていた。

ただただ美しく、穢れなど微塵もない。

感情を封じ込めていることさえ気づかせない完璧な微笑み。


不気味だ。

と、朝倉は思った。


「夫は、本当に娘のことを溺愛しているんです」


芽衣子の母親である絹子は写真部屋には足を踏み入れず、ドアの側でそう言った。


「愛されて育ったんですね。芽衣子さんは」


気をぬくと語尾が伸びてしまう癖がある朝倉は、少し気を張った。生徒の保護者に間抜けな印象を持たせるわけにはいかない。


「可愛い子には旅をさせよっていうんですけどね」


絹子は呆れたように、また自嘲するように微笑んだ。微笑んだ時の目元が芽衣子によく似ている。

朝倉が倉賀家にやってきた理由は、半分が仕事、半分が個人的な用事だ。

絹子は、朝倉をリビングに案内すると繊細な細工の施されたティーカップを差し出した。

香りの良い紅茶が注がれている。

高い天井に白い壁紙、家具はシンプルなデザインで統一されているが、よくよく観察すると食器棚の取っ手など、細かなところに洒落た細工が見つけられる。きっとすごく高い。

自分もいつかこんな家に住んでみたい、なんて考えながら朝倉は陽の射し込む窓の方をみた。

この辺りは特別高級な住宅地というわけではないし、倉賀家の人間もお高くとまっているような印象はなかった。

世間から離れすぎず、溶け込みもせず、安全で快適な立ち位置を保ち続けているんだろう。


「去年はお世話になりました」


絹子は、朝倉と対面する形でソファに腰掛けると、丁寧な仕草で朝倉に向かって頭を下げた。


「いえ、僕は副担任でしたし。こちらこそお世話になりました」


絹子よりも深く頭を下げる朝倉。

朝倉は去年、新任教師として稲山高校に就任し副担任として芽衣子のクラスを受け持った。

そこで芽衣子に初めて会った。……と、いうことになっている。


「芽衣子、喜んでたんですよ。中学の時、教育実習で来てた先生が副担任だって」


「え、あ。知ってたんですか」


「ええ。聞きましたから」


どこまで?と尋ねる必要はないだろう。

全て知っているのなら、朝倉が倉賀家を訪れる理由はない。

きっと綺麗な部分だけを、都合よく加工して、素敵な再会の話として語ったんだろう。

1番大事なことは背後に隠したままで。

それにしても、先ほどの写真……芽衣子はどういう気持ちで眺めてきたんだろう。

本当は自分には生えていないはずの、天使の羽根を。


「朝倉先生?」


しばらく黙り込んでいた朝倉は、絹子の声にハッとした。


「すみません。少しぼーっとしちゃって」


「いえいえ。……それで、そのお話というのは?」


絹子は、不安げに尋ねた。

不安なのもしょうがない。娘が謎の体調不良で学校を休みがちな時期に、元副担任からその娘のことで話があると突然連絡があったのだから。

ここまできても朝倉はまだ、悩んでいた。自分がどこまで倉賀芽衣子の人生に首を突っ込むべきなのか。

本当は、これは教師の仕事ではないのではないだろうか。

教師になって、2年目。

1年目で見てきた同僚たちの姿を、『教師』とするなら、自分が今からしようとしていることは教師ではないのではないか。

自分が考えている生徒のための教師の行為は、本当は教師としてではなくて朝倉自身の独断の行為であって、それを勝手に優しさだとか、親切だと信じて暴力を振るっているだけなんじゃないか。

優しい虐待。

それを受け続けてきた人間に対して、追い打ちをかけているだけなんじゃないか。

だって、自分は『責任』をとることのできない、とる必要のない、圧倒的に安全な立ち位置に立っている……ただの他人なのだから。


他人じゃないでしょ。あなたは私の先生なんだから。


聞き覚えのないセリフが聞き覚えのある声で脳内に再生された。

そうだ。自分の中の教師の形に疑問を感じたからと言って、あの頃先生と呼んでくれた生徒との約束を破るわけにはいかない。

生徒が先生と呼んでくれた時の信念を、その生徒が卒業するまで貫き通すのが、教師の仕事だろう。

朝倉はふーっと息を吐いて口を開いた。


「……お話というのは芽衣子さんの『ある問題』についてです」


朝倉の言葉に、絹子は眉を顰めた。

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