九死に一生を得る
遥 述ベル
九死に一生を得る
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
僕は9回同じ夢を見た。
僕はその夢で死んだ。
痛みに苦しみながら死んだ。
なんで死んだのかは覚えていない。
目が覚めると僕に残ったのは不快感だけだった。
残酷なまでに突然やってくる。
でも、どれだけ残酷だろうと夢は夢。
大した問題ではない。
お湯を沸かす。
朝イチのコーヒーは欠かせない。
食パンをトースターで焼く。
半分にバターを塗る。
もう半分にはブルーベリーのジャムを塗る。
それを折り畳んで食べる。
アパートで一人暮らし。
お隣さんちのお子さんの泣き声に耳を傾ける。
これが微笑ましいBGMとなる。
外に出る頃には夢のことなど忘れている。
「おはようございます」
丁度お隣さんがお子さんと幼稚園に行くタイミングと重なった。
「あ、おはようございます。ほら、こうすけ 挨拶して」
こうすけ君は首を傾げてこちらを見るだけだ
「おはよう」
僕はそれににこやかに返す。
気持ちが自然と顔に出る。
こんなに優しい気持ちになれる。
「おじさん髪が変」
「あれ、ほんと?」
彼の第一声は挨拶ではなかった。
首を傾げたのも僕の髪型を見て不思議がっただけかもしれない。
「すみません、こんな……」
「いえ、社会人たるものちゃんとしなきゃですね。お恥ずかしい」
彼のお母さんは困ったように振る舞う。
子供の遠慮のなさは美徳だと思うが、大人にはそれに逆らうべき時が頻繁に訪れる。
「それにしても今日はお早いですね」
親子と一緒に階段を降りる。
普段なら鉢合わせることはない。
「今日はお遊戯会なんです」
「準備か何かが?」
「早く行きたいってうるさくて」
「あぁ、なるほど」
とすると先程の泣き声は行きたがっているから泣いていたのだろう。
なんと勤勉な涙だろうか。
僕なんてそんな行事ごとは嫌いだったけどなぁ。
「ママ見に来る?」
「行くよ。そのまま待ってるから」
「やった」
親子のやり取りを背中で聴きながら階段を降り切る。
もっと、聴いていたくなる。
僕はとっくに子供を諦める年になってしまったので、こういう時間が一番の癒しだ。
「おじさん、バイバイ」
「バイバイ」
僕は親子に手を振る。
行き先は真逆の方向だ。
僕は徒歩で会社に向かう。
約20分の道のり。
早く退職して悠々自適な老後生活を送りたいものだ。
帰り道、公園で遊ぶこうすけ君がいた。
僕は声を掛けようと思った。
せっかくなので今日のお遊戯会のことを知りたい。
僕は彼に近づいて行く。
こうすけ君はボール遊びをしていた。
ボールが道路へと向かっていく。
彼の足では追いつけない。
僕は焦った。
彼が道路へ出てしまうかもしれない。
僕は久しぶりに全力で走った。
変に膝が痛む音がしたが、そんなことを気にしていられない。
「危ない!」
こうすけ君は道路へ飛び出ていた。
僕に残ったのは身体への衝撃と痛み。
こうすけ君の泣き声を聞きながら僕は目を瞑った。
九死に一生を得る 遥 述ベル @haruka_noberunovel
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