第7話 交錯する嘘

「展示会、どうだったの?」

「すっごい楽しかったよ。いっぱいお友達出来た」

「良かったじゃん。作品、見せてよ」

「だめ」

 東京から戻ったまどかは、平静を装いながらもどこかよそよそしかった。


「ねえ、どうしたの」

「なんでもない」

 東京で何かあったのだろうか。浩輔の胸に不安が広がる。


「まどか、こっち向いて」

「いや!」


 強い拒絶に浩輔は驚き、まどかの顔を覗き込んだ。まどかの瞳には涙が溢れ、シーリングライトの光が反射して震えていた。


 しばらく沈黙した後、まどかが静かに口を開いた。


「浩輔さん、東京駅で会ってた人、誰?」

 浩輔の心臓が大きく跳ねた。


「岩間綾乃さん、だよね?」

「……なんで知ってるの?」

「あのとき、私も東京駅にいたの」

「展示会、1週間前じゃなかった?」

 浩輔は混乱して問い返す。


「展示会は1週間前。でもね、私はそのまま東京に残っていたの」

 まどかの言葉に、浩輔は返す言葉を失った。


「あの人、奥さんだよね。知ってるよ、有名な人だから」


 浩輔は後ろめたさを覚えながら、重い口を開いた。

「綾乃とは、別れ話をしてきた」


 浩輔は研修医時代からの綾乃との関係を全て打ち明けた。結婚に至った経緯や東京への転勤、自分が京都に残った理由――。

 すべてを告白したが、まどかの表情は動かなかった。


 まどかは静かな怒りを滲ませて問い詰めた。

「浩輔さん、バツイチって言ったよね。でも違ったよね?」


 浩輔は言葉を詰まらせつつも、やっと口を開いた。

「……ごめん、今、本当にそうなったんだ」

「違ったよね!」

 まどかが怒りを露わにするのを見るのは初めてだった。


「……ごめん。既婚者だって言ったら、まどかとの関係が終わる気がして」

「だから嘘をついたんだね」

 まどかは静かにため息をついた。


「まどか、聞いて。僕はまどかと一緒に、」

「聞いて!」

 まどかの鋭い声が浩輔の言葉を遮った。


「私も謝らないといけないことがある」

 まどかは目を伏せ、震える声で言った。


「私、結婚してるの」

「え?」

「遠距離って言ったの、本当は夫のこと」

 浩輔は言葉を失い、ただ彼女を見つめるしかなかった。


「私、夫に置いてかれたの。『忙しいから来なくていい、会社も辞めなくていい』って。寂しくてずっとゲームばかりしていた。そんな時、あなたに出会った。最初は冷たい人だなって思ったけど、実は優しくて、賢くて……いつの間にか惹かれてしまった」


 まどかの目から再び涙がこぼれた。


「地震の時、あなたが同じ街にいるって知って安心した。実際に会ったらもっと驚いたの。こんな素敵な人がいるんだって。迷ったけど、部屋に行ったのは、あなたが好きだったから。でも私、人妻なのに……最低だよね」


 浩輔は胸が締め付けられ、何も言えずにまどかを見つめ続けた。


「あなたが『バツイチ』って言った時、すぐ嘘だって気づいたの。私、もう会うのやめようって思ったの。でもやめられなかった。奥さんのことも調べたよ。そしたらまさかの有名人。ああ、私のことは遊びなんだ、って思ったよ。でもね、やめられなかったの。寂しかったし、あなたのことが大好きだったから」


 初めて見るまどかの姿に浩輔はただ呆然とするしかなかった。まどかから零れ落ちる愛の言葉が浩輔の心を押し潰した。


「東京に残ったのはね、展示会のあと、夫から『会いたい』って連絡があったの。私ね、きちんと話をつけるために東京に残った。でも、いざ行ってみたら……彼にはもう別の女性がいてね。私、惨めになって、帰ろうとして東京駅に向かったの。その時あなたを見つけてしまったの。奥さんと一緒に」


 まどかは一つ息を吸うと、落ち着いた調子で続けた。


「こんな偶然、ありえないもの。ああ、天罰だって思ったわ。あなたも私も、二人して。幸せになんてなれるわけがない。あなたは奥様に夢中で私のことなんて見つけてもくれなかったよね」


「違うよ!そんなところにいると思わなかった」

「もういいの」


「良くないよ。まどか、俺は君のために離婚して来たんだ」

「違う。あなたのためでしょ?私のせいにしないで」

 浩輔は何も言い返せなかった。


「浩輔さん、大好き。でも、あなたも私もたくさんの人を不幸にして、幸せになれないよ」

「まどか…」

「しばらく会わない方がいい」

「嫌だ」

「お願い、離して」


 まどかは浩輔の手を振りほどき、部屋を出て行った。


 一人残された浩輔は呆然と立ち尽くした。


「まどかの言う通りだ。自業自得だ」


 まどかの言葉が胸に刺さった。自分がどれだけ身勝手で無責任だったか――浩輔は初めてはっきりと理解した。


 浩輔は短い数日の間に、大切なものをすべて失ったことを噛み締めていた。部屋には置き時計の音だけが響き、浩輔の孤独を静かに刻んでいた。

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