この次、目覚めたら。

吾妻栄子

この次、目覚めたら。

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

――今日からお前は貂蝉ちょうせんだ。

 念入りに化粧を施して水色の綺羅きらを纏い、小さな平耳ひらみみに瑠璃色の玉の耳飾りを提げた、真唯まいに似てもっと幼い面差しの少女を抱き上げる。

――わしがそう呼ぶのだから貂蝉だ。 

 こちらの言葉に相手は強いて微笑みながら、どこか悲しい目で見詰めてくる。

 その眼差しが胸に突き刺さる所で目が覚める。

 9回目の今朝も同じ幕切れだ。

 何故回数まで覚えているかというと、8年前から毎年必ず同じ日にこの夢を見るからだ。

 3月14日、ホワイトデー。

 9年前に交通事故で亡くなった、真唯の命日でもある。

 高校一年のバレンタインデーから付き合いだしてちょうど4週間後のホワイトデーに亡くなった、自分の人生で最初にして最後のカノジョだ。


*****

 いつも乗る通勤電車がまたいつも通りの時刻でトンネルに入った。

 窓ガラスにいつもの通勤姿の自分が映っている。

 それを眺めていると、今朝の夢がまた頭の中で蘇る。

 夢の中では自分が呂布、真唯が貂蝉で俺が董卓を殺して権力を得た矢先に彼女は命を絶ってしまう。

――何故なんだ。

 9年前に棺に横たわった真唯を前にした時と同じ言葉を夢の中でもやっぱりあかい綺羅を纏い、真紅の玉の耳飾りをふくよかな耳朶みみたぶに着けて息絶えている貂蝉に向かって吐くのだ。

 むろん、もう死相が現れていて小さな唇に引いたべにが潰れたハートの形に浮き上がって見える彼女は何も答えてくれない。

 そして、庭に咲いた金盞花きんせんかを眺めながら貂蝉の舞う姿を思い出している自分に向かって臣下が告げる。

――貂蝉様に良く似た娘が近くのむらにおりました。是非ともお目通りを。

 そこで水色の綺羅に瑠璃色の玉の耳飾りをした少女に出会う訳だが、自分より遥かに幼い相手は媚びるよりも悲しむ風情なのだ。

 確かに自分だって選ばれる側なら

「昔の好きだった人に似てるからあなたも好きだ」

と言われても

「俺はそいつじゃない」

と反発を覚えるだろう。

 こちらも多少でも好意を抱いていて愛して欲しいと感じる相手ならなおさらだ。

 平耳に瑠璃色の玉の耳飾りを提げた、本当の名は分からない少女の眼差しが胸に突き刺すような痛みを伴って蘇った。

 君は現実の俺の前には現れてくれないが、その方が互いにとって幸せなのかもしれないね。

 正直、あの夢を観るようになって3回目辺りまでは

「もしかしたら真唯と生き写しの女の子に出会える予兆では」

「出会えたら大切にしろというメッセージでは」

と期待する気持ちもあった。

 だが、9回目の今となっては

「あなたと出会っても私は不幸にしかなりませんから会いません」

という拒絶に思えるのだ。

 電車が止まって、会社の最寄り駅に着いたので降りる。

 今の、この現世の自分は呂布奉先りょふほうせんなんてガラではない。腕力も人並みだし、董卓のような暴虐な義父に苦しむ境遇でもない(俺の親父は面差しや背格好の似具合からしても明らかな実父で役所勤めをしている。特にパワハラをしたとかトラブルになった話は聞かないから少なくとも董卓の生まれ変わりではなかろう)。何より呂布のような短い期間ではあるにせよ住む地域を統治した権力者ではない。

 25歳、勤めて3年目、もうすぐ4年目になる会社員に過ぎない。

 三国志の時代ならモブ兵士の一人だろう。映画なら合戦のシーンで大量に映る一人だ。生きようが死のうが誰も気にかけないような。

 コートを着た体はもう寒くはないものの顔に触れる空気はひやりとした駅の中を似たような身なりをした大勢の勤め人に混ざって進む。


*****

「では、お先に失礼します」

 真唯の親族でも何でもない俺は忌引きの休暇など取れないが、それでもこの命日には半休を取って必ずお墓参りして花を供えることにしている。 


*****

「俺、来たよ」

 墓地に植えられた紅白の梅の匂いが流れる中、花屋で買った鮮やかなオレンジの金盞花を花立に挿しながら、真唯の家を含めた墓の外柵の後ろに群れ割いている朱色の花をみやって苦笑いする。

長実雛罌粟ながみひなげしもいっぱい咲いてるね」

――これはナガミヒナゲシっていうの。綺麗だけどとにかくいっぱい生えるから他の花が咲かなくなっちゃうんだって。

 亡くなる前の日、一緒に学校から帰りながらこの花と同じ朱色のマフラーをした君は教えてくれた。

――じゃ、またね、よっくん。

 俺の名は奉久よしひさだが、「よっくん」と呼んでいたのは君だけだ。 

「よっくん」

 不意に真唯の声が後ろからした。 

 振り向いて、一瞬体が凍り付く。

 白く小さな顔に比して一際大きなアーモンド形の双眸も、肩で切り揃えた真っ直ぐな漆黒の髪も、制服を着た華奢な体つきも、亡くなった彼女そのものの少女が立っていた。

 違うとすれば、制服の首に巻いたマフラーの色があかではなく水色であることだ。

 その隣にはやはり制服を着た少年が立っている。

瑠唯るいちゃん?」

 いや、この子は3年前の真唯の七回忌に最後に会った時までは陽に焼けてもっと男の子みたいなショートカットのはずだった。

 俺らと同じ高校に合格したとは聞いていたけれど。

「やっぱり来てたんですね」

 相手はどこか寂しく微笑んでいる。顔はもちろん声もおっとりした語調も真唯そのものだ。 

 頬の丸みや薄桃色の唇のどこか幼げな感じなど九年の歳月の中で曖昧になっていた面影も目の前の姿で新たに蘇る気がした。

 真唯が亡くなった時に7歳だったこの子は9年経った今は姉の年齢に追いついたのだ。

「今日は外せないよ」

 胸がざわつくのを覚えながら、精一杯穏やかな顔と声で故人の妹とその連れに返す。

 隣の少女に対してどこか虚ろな顔つきでこちらを眺めていた制服の少年とかちりと目線が合った。

 小柄で華奢な瑠唯と並ぶと頭一つ分背の高い、しかし、頬には丸みの残るまだ幼い面差しだ。

 これは瑠唯ちゃんの彼氏かな?

 わざわざ死んだ姉の墓参りに二人で来るんだから。

 それより何より、どうしてこいつは俺に似てるんだろう。

 顔形といいどこかぎこちない表情といい卒アルの自分を観てるみたいだ。

 向こうも同じことを考えているらしく、まだ幼さの残る少年の目にさっと敵意が走った。

「お姉さんの彼氏ですか?」

 俺らとは関係ないだろ、と表情を消した顔は言っている。

「そうだよ」

 答えたのは瑠唯だった。

「お姉ちゃんはこの人が大好きでうちでもいつもよっくんの話ばかりしてたの」

 アーモンド形の目に潤んだ光が宿って揺れる。

 ふわりと梅の香りが思い出したように鼻先を通り過ぎた。否、通り過ぎてはいかずに胸の奥を締め付けていく。

「九年も経っちゃったんだな」

 しみじみとした調子で話すつもりだったのに恨みがましい声が耳の中で響いた。

「俺だけオッサンになってくよ」

 返事を待たずに年少の二人の脇を擦り抜けてその場を後にする。

 通り過ぎる瞬間、振り返った瑠唯の髪に隠れていた片耳が露わになる。

 そうだ、福耳の真唯と違ってこの子は平耳だった。腑に落ちるというより分かり切った答え合わせをする感じに襲われる。

 とにかくあの子はダメだ。まだ子供だし、俺とは年だって離れている。何より彼女の妹なんて絶対にダメだ。真唯だって望まないだろう。大体、あの子にはもうお似合いの彼氏がいるんだから。

 纏いつく梅の香りを全身で払うように急ぎ足で墓地の道を通り過ぎる。

 日の暮れかけた道では朱色のあの花がまるで小さな灯りのように道脇に浮き上がって見えた。

 まだ春になり切らぬ風が吹き抜け、我知らず自分の体を抱く。

 来年の今日はどんな夢を見るのだろう?

――じゃ、またね、よっくん。

 柔らかに刺す風の中で誰かの呼び掛ける声がする。(了)

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この次、目覚めたら。 吾妻栄子 @gaoqiao412

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