双体道祖神


 

「要するに、あれね。降りるのが早過ぎたのよね」

 麦わら帽子で顔を扇ぎながら少女は言う。


 ぐるりと山の麓を廻って、ようやく、それらしき民家のある場所にたどり着いたのだが、再び自分たちを追い抜いたバスが、何もないところで停車するのを見てしまった。


 こんな田舎では、バス停など関係ないということを少女たちは知らなかったのだ。


「貴方肝心なところで間抜けですよね」


「あんたが気をつけておけばよかったんじゃないの?」

とお互いの名を呼ばずに罵り合う。


 少女はその複雑な生まれから、男はある事件から名乗るべき名前を持たなかった。


 そんな似た境遇にありながらも、どうにも心が通い合うことはないようだった。


「あ、道祖神」


 少女は大きな農家の竹垣の前にしゃがんだ。

 そこに小さな半楕円の石があったのだ。


 薄汚れたその石の中で、平安風の装束を纏った一組の男女の彫り物が、寄り添うこともなく、こちらを見て立っている。


「あー、知ってますよ、それ。ももひきの破れをつづりて……でしたっけ? 奥の細道の冒頭に出てくる旅の神様ですよね」


 まあ、そうとも言うわね、と曖昧に答えながら、少女は裏を覗く。


「道祖神の原型は、古事記に出て来る道反大神、またの名を塞坐黄泉戸大神。


 日本書紀では来名戸之祖神だったかな。道に立って、そこから先へ災いが入ってくるのを防ぐの」


「災い?」


「悪霊とか。まあ、具体的に言うと疫病とかかなあ。


 当時はちゃんとした医学もなかったから、そんなことくらいしか対処法を思いつかなかったんでしょう。


 道に祀られているから、そのうち、道の守護神、旅行者の神とされるようになったのね。……昭和四十七年建立か」


「どうかしましたか?」

 いえ、と腰を上げかけたとき、すぐ後ろで砂利を跳ね飛ばす音がした。


 止まりきれない自転車が高い音を立てて、二人の横を駆け抜ける。


 振り返ると、猿のような頭をした女の子が、低い竹垣の切れ目から中に入っていくところだった。


 一応、自転車は止めたつもりのようだが、勢いあまって倒れているのに振り返るつもりもないようだった。


 細かいことは気にしない性格なのだろう。


「パワフル……」

と少女は呟き、自転車に近づくと、その後ろに貼られた高校のシールを見る。


「蕨が丘高校二年 坂田深雪サン、か」

「なに呑気なことやってんです?」


「馬鹿ね、薫と同い年じゃない。御堂みどうの家を知ってるんじゃないの?」


 ああ、なるほど、と男は頷く。


 全国に散らばる『扉』にはそれぞれ番人が居る。


 この地方の扉の番人、御堂さとるが、娘、薫にその役を譲りたいと言い出したのだが、交代の儀式には本家からの立会いが居る。


 それで少女たちがこの地に来ることになったのだ。


「まどか。まーどーかー! プール行かないのーっ?」


 派手な呼び声に竹垣から覗いてみると、その坂田深雪が開け放たれた縁側に手をつき、薄暗い室内に向かって叫んでいた。


 横長の広い庭には網籠が並べられており、中には蔓のような植物が干されていた。


 その周りをチャボが首を前後に振りながら歩いている。


「はいはいはいはい。ちょおっと待ってっ!」

 すぐに、同い年くらいの女の子が飛び出してきた。


 背は深雪より少し高く、丸顔。ショートの髪はわずかに茶がかっており、大きな瞳が顔全体をあどけなく見せている。


 まどかは、広すぎて奥まで光が入り込まない座敷を振り返り、叫んだ。


「お母さん、お母さーんっ。プール行ってくるーっ」


 水泳バッグを手に、やっ、と縁側から飛び降りるまどかに、勢いよくチャボが飛び回る。


 ちょっと~と服についた羽根を払いながら、深雪が文句を言うと、まどかは太陽の下に出たせいで、より一層、輝いて見える茶色い瞳を細めて笑う。


「そんなとっから来るからよ。うちには一応、玄関ってものがあるんだからね」


 笑いながら踏み出そうとしたまどかが足を止めた。

 もともと大きな目が更に大きく見開かれる。


 彼女の前に立った少女は、帽子を手に、一族のものに『天使の微笑エンジェル・フェイス』と呼ばれる顔で呼びかけた。


「あのー、すみません。ちょっとお伺いしたいんですが、この近くに御堂さんてお宅はありませんか?」


 顔に似合わず、少女の話し方は、初対面の緊張感を失くすに充分な頓狂さがあったのだが、まどかは笑うことなく、彼女の顔を見続けていた。


 そんなまどかの様子に、少女は口許に帽子をやり、少し嗤った。



 

「じゃあ、お二人は、薫とは幼なじみなんですね?」


 ちょうど御堂に行くところだったという二人に連れられ、少女たちは田んぼの畦道を歩いていた。


 幼なじみっていうかー、と先頭を行く坂田深雪は、後ろまで聞こえるよう大声で言った。


 深雪ご推奨の近道だったが、狭いので一列にしか歩けないのが難点だった。


「それを言うなら、この辺り一帯、みんな幼なじみなんですけど。私たち三人は、特にべったり一緒なんで」


 ねえ、と振られて、まどかは慌てて頷く。それを見ながら小声で男は言った。


「なーんか納得いきませんね」

「なにが?」


 慣れない草の道に、靴がつるつると滑る。覚束ない足取りの少女は顔を上げた。


「まどかさんですよ。どうも貴方に見惚れているような気がするんですが」


「男はあんただけなのにね」


 極自然に男が差し出した手を掴みながら、少女は言った。

「あんた、役に立たないけど、顔だけはいいのにね」


「……すみません。その役に立たないは、どっちにかかるんですか? 役に立たないのに顔がいい。役に立たない顔だ」


 つい、どっちも、と答えてしまい、あっさり手を離される。

「きゃっ」


 見事に転倒した少女に、

「だっ、大丈夫ですか!?」

と慌ててまどかたちが戻ってきた。


 だが、ボディガードであるはずの男は、ただ嗤って見下ろしている。


「なにやってるんです?」

「あんたねえ……」


 お尻で打ちつけたせいか、辺りに湿った草の匂いが漂った。


 何か言ってやろうかと睨み上げた瞬間、視界の端にそれが入った。背後に山を聳えさせた古い日本家屋。


「……あった」


 思わず声に出した少女に、

「あった?」

と男が不審げに問い返す。


 慌てて口を押さえたが遅かった。

「貴方、来たことあったんですね~?」


 だったら迷うなっ、と言わんばかりの男に、

「い、今今今、今っ! 思い出したのよっ」

と時を告げる鶏のような勢いで叫び返す。


「そっ、それよりさっ、気づかない? 御堂って、本家の西の離れと同じ造りになってるんだよ」


「へー、そうなんですか?」


 少女がその場を誤魔化すためにそんな話をしているのだとわかっている男は、まったく乗り気でない返事をする。


「本家より西の親戚は西の離れ、東の親戚は東の離れを模した屋敷に住んでるの」


 本当は、西の番人、東の番人なのだが――。


「離れに模してですか。なんのために?」


 少女は腕を組んで、小首を傾げた。

「……迷わないためじゃない?」


「迷ってるじゃないですかっ」

 違う、屋敷の中でよっ、と少女は叫び返す。









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