神の遺伝子 ―Transfer―
櫻井彰斗(菱沼あゆ・あゆみん)
プロローグ
一度だけ人の夢を盗み見た――。
その夢が恐ろしくて、私は母の背に縋って眠るようになった。
私があの人に縋るようになったのも、あの人の中に母の背に似たものを感じたから。
だけど、あの人の側に居ても、私が癒されることはもうないのに、どうして、離れることができないんだろう。
助けてください、神様。
祈るようにそう思うけれど、その言葉に意味はない。
だって、私をこの地獄に堕としているものこそ、神なのだから―
儀式が始まる。
すべてに決着をつけるために。
麦わら帽子を被った少女が、錆びたバス停のベンチに腰かけていた。
長身の身体に似合わぬ幼い顔。
田園と夏空に映える真っ白なワンピースが印象的だ。
一時間前に降りたのと同じ小型の青いバスが、立ち上がらない少女の前を通り過ぎて行く。
排気ガスと舞い上がった土埃が、アスファルトから立ち昇った熱気に歪み、より一層暑さをあおっていた。
少女は両膝に頬杖をつき、真昼の光を浴びて熱くなっている黒いエナメルの靴を見た。
その横、ひび割れたアスファルトにつまった白い砂の上をアリがうごめいている。
いっそ、アリと同化したい……。
無心に歩くアリの無表情さが、何だか涼しげに感じられたからだ。
「暑いんでしょう?」
背後からした声に振り返る。
「暑いなら暑いで影に入るとか、先へ進むとかなんとか考えないんですか、貴方は」
ベンチの後ろには、何処までも広がる田園と山を背に、まったく景色に溶け込んでいないスーツ姿の男が立っていた。
一応、ボディガードということになっているこの男は、十九歳という年齢に似合わぬ落ち着きくさった風貌を持っていた。
「だって、もう歩きたくないんだもんっ。
何この見渡す限りの田んぼは。
何この視界を阻むためだけに存在しているかのような山はっ。
民家は何処っ、人は何処っ。
そして、この地図は一体いつの地図なのよっ!」
怒りに任せて足許に叩きつけたその地図は、和紙に毛筆で描かれており、あろうことか、天保八年などと記されていた。
「それは御当主であらせられる貴方のお爺様が下さった地図でしょう?
身内のミスは貴方のミスです。
私に当たられても困ります」
しれっという言葉に、少女は品のいい顔に似合わぬ舌打ちをする。
「お祖父様もお祖父様だわ。よりにもよって、こんな今にも寝首をかきそうな奴を――。
孫娘が可愛くないのかしら」
「可愛くないんでしょう。
こんな役立たずで小生意気な娘を可愛いと思う人間が居るはずがありません」
なにっ!? と振り向いたときには、男はもうそこには居なかった。
少女のアンティークな四角い皮鞄を手に、眩しい道に立っている。
「ほら行きますよ。
こんなところにいて、貴方と干からびた蛙みたいに道路に貼り付く羽目になるのはご免ですからね」
少女はわざと立ち上がらずに脚を組み替えて言った。
「あんた、ほんっとうに可愛くないわ」
「可愛くなくて結構。
嫁にいくわけじゃありませんので」
男は振り返りもせず歩き出す。
少女は被っていた麦わら帽子を脱いで立ち上がる。
顔を扇ぎ、真っ青な空を見上げた。
山の頂から巨大な入道雲の切れ端が覗いていた。
……やれやれ、先が思いやられるわ。
昭和六十年夏――。
長い冷夏が続いていた頃。
ゆりかごから墓場までならぬ、宗教団体から諜報組織まで。
全国に散らばる『扉』を神と崇める少女たち一族は、少女の祖父を当主とした組織を構成している。
太古より存在するその『扉』の中には神がおり、それが彼らに不可思議な力を与えていると言われていた。
だが、近年、力を有するものは少なくなり、一族はその血からなる結束力を生かし、営利目的の諜報組織へと姿を変えつつあった。
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