死を刈るデュラハンの、ただ一度過ち

高峠美那

第1話

 17世紀初頭、人間が、科学に目覚めるほんの少し前。


 まだまだ世界中の各地には、木々や大地に妖精がやどり、人に近い容姿でありながら、人ならざる力を持つ亜人や、動物や鳥と合成されたような獣人種族が存在していた。


 とくに、イングランドを中心としたイギリス郊外の田舎町では、羽を生やした美しい小人『フェアリー』が、不思議な力を持たない人間に対し、ちょっかいをかけては困らせることが良くあった。


 しかし、彼らは音楽とダンスの生みの親とも言われていて、彼らの奏でる音楽に、人々は癒しと生きる希望を感じていたのも事実である。


 だが、光があれば闇もある。

 ここアイルランドには、死を告げる 妖精として『デュラハン 』が存在していた。


 『デュラハン』

 彼を見たある者は、「自分の首を抱えて漆黒の馬車に乗っていた」といい、またある者は、「不審な音に気づいて家の戸を開けると、たらいっぱいの血を浴びせさせられた」とも言った。


 また他には、「漆黒の馬車がコシュタ バワー という首なしの馬だった」とか、「彼の持つ鞭で目をつぶされた」など…。

 まさに死の象徴のような恐ろしい存在だったのだろう。


 人の死を予告し、魂を刈り取る。

 死神のような存在。


 それが…わたしだ。


 わたしは、何のために生まれ、なぜ人間の前に姿を現し、何のために人々を怖がらせ、人間の魂を刈らねばならないのか…。


 それは、人間が息を吸うのと同じくらい、わたしには与えられたさだめ。 


 それなのに…なぜこの男の魂を刈ることを躊躇う?


 至る所から血が流れ、甲冑を貫いた深い傷はもう助からない。自分の身体の状態は、彼の失望を物語っていた。


 人間が人間を殺し合う戦争。

 植民地獲得競争が激化し、人間の死体に出会わない日がないほど、この世界は狂ってしまった。


 おそらく人間の目が、そこにある物しか見なくなる日が…近いだろう。


 人間が、わたしの姿をみて恐れなくなるとは、心情深いものだな…。


 だが、わたしを見て笑顔で話しかける人間もいる。この男のように。


「やあ、デュラハン。キミかい? やっと会えたね。キミが僕に会いに来てくれたのは、十三年ぶりかな?」


 そう。ちょうど十三年前。わたしはこの男に死を予告した。明日の朝、戦いに出れば死ぬのだと。


 そして宣言通り、戦に果たおまえの魂を刈るはずだった。


「キミは自分の首を犠牲にして、僕の命を見逃してくれた。おかげで、僕は、毎晩キミに許しを請う夢を見て生きてきたよ」


 戦場に身をおいていたのなら、わたしの姿が時折見えていたはずだ。人間達の魂を刈るわたしの姿が。


 それなのに…なぜこの男はわたしを恐れない?


「おまえは、犠牲という意味が、分かっていない。わたしの首など、価値などない。十三年前、おまえは仲間のために盾となった。それを犠牲というのだ」


「そうか…。キミがそういうのなら、そうなのだろう」


 苦しみなど見せず、静かに笑う男の顔は、昔も今も変わらない。

 

 死を宣告しながら魂を狩れなかった人間は、この男のみ。 


 なぜ、この男のために自らの首を犠牲にしたのか…。


 今となっては、あの時の感情が思い出せないが、自らの首を代償にしても、男の魂に十三年の猶予しか与えてやれなかった。


 十三年。わたしには瞬きのような時間だが、人間たちにとっては様々な思い出を作る時間にはなっただろう。


「さあ、僕の魂を刈ってくれ」


 そう言う男の差し出す腕が、やっと恋焦がれた恋人に向けるように、わたしの方へ向けられ、わたしは再び躊躇った。 


 次は…何を差し出せば、この男の魂を引き延ばせるだろう…。


 だが、彼はわたしの考えをよんだように首をふる。


「また、十三年、僕を持たせるつもりなのかい?」


 そこかしこから火の手が上がり、もうもうと黒い煙が薄暗い空を覆い始めていた。

 戦場を砂ぼこりが駆け抜け、人間達の折り重なる死体の山と、大地を染める赤い血が、妖精達の肌を焼き、嵐を呼ぶ。


 激しい雨が降るだろう。何日も…。何ヶ月も…。


 そうして洗い流された大地は、また新しい草木の芽を目覚めさせる。


 世界は狂ってしまった。

 しかし、狂ってしまった世界で、わたしは初めて人間の手をつかんでしまった。


「ああ、待たせたな」   


 それだけ言うと、男の身体を抱き上げ、馬にまたがる。

 愛馬の漆黒のたてがみが風に流れた。


 なぜ、この男の魂を狩れなかったのか…。

 なぜ、この男の命だけを惜しんでしまったのか…。


 それは、まっさらなこの男の、こういう所だったのだろう。


「死の象徴なんかじゃない。キミにも…心があるんだよ」



                おわり


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死を刈るデュラハンの、ただ一度過ち 高峠美那 @98seimei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ