第10話



「本当は、貴方をこうして自分のものにして、他の誰にも触れさせないようにしている時が、一番しあわせで」


 外の夜景の光が射し込む。

 暗がりの中……、

 小さい声で、彼は紡いだ。



「でもそんなのは醜い願いだから、兄貴ぶって貴方の手を放してみたりするけど、離れた瞬間にいつも後悔する。……自分がこんなに弱くて脆いなんて、知らなかった」



 シザの裸の胸に額を寄せる。

「僕はユラに好きだと言ってもらう前、もし……ユラが僕と恋仲になりたくなくて、普通の恋がしたいと願ったらこの恋は諦めて、ユラが誰かと幸せになるまで、兄として側にいようと思ってた。

 そう出来るとその時は確かに思っていたし、でも……もう無理だ」

 シザがユラを両腕で抱きしめて来る。


「異国の王子だろうと音楽の神だろうと、誰にも渡したくない。渡さない。

 僕のこの気持ちは、……ユラを苦しめるかも」


 ユラは首を振った。

 昔からシザの嘆きはユラよりずっと深くて、ユラはそれを慰める言葉すら知らなかった。

 言葉が伝わらない時の為に、言葉以外の何かがある。

 伝わらなくても何かをしたいという想いが。

 ユラはシザの額の髪を指で掻き上げて、そっとそこに口付ける。


「……ぼくは平気です」


 口付けを受けたエメラルド色の瞳が、問うようにユラを見る。

 ユラは微笑みかけて来た。

 時々……臆病な弟は信じられないような強さを見せることがあるのだ。

「ぼくは貴方に嫌われてる時も、貴方のことが好きでしたから」

 シザは目を瞬かせる。

 確かに、過去を共に過ごして来たユラにだけは、そう言う権利があった。

 心が通じ合わない、通じ合うことすら望まないような、そんな時期が確かにあったのだから。


「……ずっと好きだった、シザさんに心が伝わって、好きになってもらえた。

 だからそれだけで僕は幸せです」


 ユラは抱きしめて、シザの頭をそっと撫でてくれる。

 美しい音楽を紡ぐ彼の指が、優しく癖毛に埋もれた。

 シザは体を折り曲げるようにしてユラの胸に顔を埋める。

「……不思議ですね。貴方に会ったら、頭痛がホントに消えました」

 ユラがシザの顔を覗き込んで来る。

「…………あたまが痛かったんですか?」

「はい。……でも、もう良くなりました。人間って都合良く出来てます」

 ユラの手が、そっと額も撫でてくれた。

 ユラに撫でてもらうと、シザはずっと昔の記憶を思い出す。

 まだ本当の両親がいた時のことだ。

 四歳で死に別れて、短い間だったけど二人は深い愛情を注いでくれた。

 それから引き取られた先で、養父の手により、殴られること以外の感覚を、全て一度忘れてしまったけど、ユラと心を通じ合ってからは、……彼がそれを思い出させてくれた。


「ぼくも、あんなに子供みたいな癇癪起こしたのに、シザさんの顔を見たら元気になりました。僕も都合がいいですよ」


 ユラの優しい声に、シザは瞳を伏せた。

 自分を撫でるユラの手をゆっくり握り締めてから、首筋に唇を滑らせる。

「もう一度言って下さい。……ずっと好きだったって」

「ん……」

 ユラはくすぐったそうに首を反らした。

 触れ合えば、安心するものが、離れていれば不安になるのは当たり前のことだ。 

 自分は簡単なことを複雑に考えすぎていたのかもしれない。


「……ずっと好きでした。だから今、……とてもしあわせです」


 シザはユラを引き寄せる。

「……こっちに来て」

 今、こうしてユラを抱き寄せると、シザは痛みばっかりだった過去を思い出す。

 でも不思議と胸は昔より痛まなかった。

 幸せな今が、苦しかったあの頃の自分自身を慰めてくれる。

 この世でユラ・エンデ以外と、共有し得ない過去。


「もう一度繋がって下さい。離れても……寂しいくらいはいいですけど、駄目になったりしないように。もっと貴方を充電しておきたいんです」


 充電ですか。

 ユラは柔らかく笑った。



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