第6話
携帯が鳴った。
馴染みの店の個室で食事をしながら、PDAで録り溜めていた、好きなサッカークラブの試合を見ていたライルは何気なくそれを見て、手に取る。
『――ライル? 連絡くれた?』
女の声が響く。
「おお。したした。なに? 今、時間あんの」
『あんたってホント勘いいわよね。二日前に連続公演が終わって、今休暇中。
不思議~。絶対こういう時掛けて来るんだもん。嫌になる。
それともなに? こっそり私の動向チェックしてるわけ?』
「俺がチェックしてんのはスポーツの推しの試合のことだけ」
『あっそ』
「いや、ホントたまたま、今日お前の話が出てさあ。どうしてっかなと思い出して」
『ふーん? 元カノの話? どーせ悪口言ってんでしょ』
「悪口は言ってねえよ。別れたからって付き合ってた女のこと悪く言うほどオレ心根腐ってねえし。まあ、高飛車な女だったとは言ったけど」
『じゅーぶん悪口!』
ライルはけらけらと笑った。
「休暇中なら会いに来いよ」
『聞いた。あんた今【グレーター・アルテミス】で特別捜査官とかいう超能力警官してるんでしょ』
「超能力警官って……まあそんなとこかな?」
『オルトロスの警官なんか辞めて正解よ。安月給のクセにハードだし、雑用から何からやらされてバカみたいな仕事。つーかそもそもあんた何であんな仕事についてたの?』
「おまえねえ、アポクリファってのはお前が思ってるよりも自由に仕事選べないんだよ?」
『何言ってんだか……あんた自分が手に入れたいものは手段を選ばず手に入れるくせに。
悪者退治もはまり役なんでしょ。署の仮眠室で寝させられるのも、狭い車で犯人待ちながら何時間も過ぎるのも、忙しい合間を縫って急かしたようにするセックスも、全部』
「まぁ、嫌いじゃあないけどね」
『家が綺麗なら考えてあげる』
「すっげえ綺麗。広いし。【グレーター・アルテミス】の夜景がドーンって見える」
『ほんとー? 自分の部屋の夜景自慢するオトコにロクなのいないって持論なんだけど、ライルは一度付き合ってたし、まぁいっか♡ あんた勿論飼ってた気持ち悪い爬虫類とか訳わかんない生き物の数々、オルトロスのドブに捨てて来たわよね?』
「ざーんねーん。あの時より増えちゃった☆」
『イヤーッ!』
女が途端に悲鳴を上げている。
『信じらんないっ!』
「だって俺、女は捨てても一度飼ったペットは絶対捨てねえ主義だから」
『馬鹿! 大っ嫌い! 行かないわよあんたの家なんか! ヘビに見下ろされながらセックスするなんてもう耐えられない!』
予想通りの反応をした女にライルは笑っている。
爬虫類を怖がる女はさして珍しくもないからだ。
「――ところでさあ。お前、今もヴァルナにいんの?」
『いないわよ。あんなシケた街。オケも辞めたし』
「なんだそうなの」
『引き抜かれたのよ』
「今どこにいんの?」
『フィレンツェ。煉瓦と色彩の街よ♡』
「フィレン……ちょっとストップ」
『うちにも来てよライル。家から見える景色貴方にも見せてあげたい』
「見せてあげたいってその台詞は可愛いくてそそられるけど、家からの景色自慢する女はロクでもないんだよねー」
『もーっ! あんたと別れたのってホント同類嫌悪よね! なによ。私がフィレンツェにいちゃ悪いっての?』
PDAで記事を調べていたライルが笑い出す。
『なによ。なに笑ってんの?』
「いや……お前っていつもいいタイミングでいいところに出現するねぇ」
『? なによ人を幻のキノコみたいな言い方して』
「あんたのそういうところ、オレ大好きだな~」
不審げだった女が、不意に押し黙った。
『……ねえ、いまどんな顔で笑ってる?』
「ん?」
『いつものヘラヘラした、心を隠したムカつく笑い顔じゃなくて……』
ライルは吹き出した。
女の指摘は、時に男より鋭い。
『私が好きだって言った優しい顔で笑ってる?』
「……ん。どうかな」
『離れてるとそれが分かんなくなるのが嫌』
「それは嘘」
『なんで?』
「その気になりゃ画像通信だって使えるだろ。この時代に『離れてるのが嫌』なんて理由、見えないだとか、連絡が取れないだとかは答えになんない」
喋っていて、ライルは今日一日でごちゃごちゃしていたものが自分の中ではっきりして行くのを感じた。
なんやかんやと理屈を捏ねていたシザ・ファルネジアの望みが、見えた気がしたのだ。
「離れてるのが嫌な理由は、触れられないから。体温だけはどうにもならないんだから、それ以外にないね。お前が嫌なのは俺に触れられないから」
『あんたのその一年中自信満々なトコは大嫌いな時と大好きな時があったわ』
「ふーん。今日はどっちよ?」
『……今から出れるんだけど。家に帰って、今お風呂から上がったばっかり。これから着替えて夕食に出るところだったけど、好きな男とデートってわけじゃないからすっぽかせる。【グレーター・アルテミス】行きの飛行機は?』
「全部手配しとく」
女が笑った。
優しい声だ。余裕がある時はこの声で笑う。
同類嫌悪と言ったけど、確かにどちらも感情で動くタイプだ。
要するに刹那の逢瀬の相手には最高だが、一生の伴侶には向かない。
どちらも我慢することを覚えない。
「あーっと、そうだった。大切なことを忘れるところだった。
空港に行く前に、サン・ブオナロティ・ホテルに寄って来てくんない?」
『サン・ブオナ? あんな高級ホテルにあんたが何の用?』
「こっち来るついでに荷物一つ届けてほしいんだけどさ。飛行機の時間とチケット情報と一緒にメール送るから。その通りにしてくれればいい」
『あんたさては、そっちが本題だったでしょ』
「いいだろ? 爬虫類猛禽類生き物いっぱいの自宅じゃなくて、ちゃんとしたホテル予約しておいてあげるから」
『ほんとに? ほんと?』
「うん」
『よっし、乗った! なんでもやってあげる♡』
「じゃ、また後で。高飛車なんて言ってごめんね」
『いいわよ。私も時々腐れ警官の元カレとか言っちゃってるもん』
あっはっは! とライルは笑った。
携帯を仕舞ってPDAに視線をやる。
音楽系のニュース速報では、今年のドレスデン国際コンクールのグランプリであるユラ・エンデが、巨匠に連れられてフィレンツェ空港に到着したという映像が流れている。
眩しい空港の出迎えに、思わず眼を閉じて瞳を伏せた写真が載っていた。
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