第5話



 着替えを済ませシャワールームを出ると、丁度向こうからアイザック・ネレスがバイクを引きずって現れた。

「うぃーっす」

「ったくてめぇは~~~~~っ あんなロクでもねえ運転して、そのうち事故ったら、俺とシザで指差しててめーのこと笑うからな」

「大丈夫。俺、天才だから。絶対事故んねぇし」

「どっから来んだ、お前といいシザといい、その根拠のない自信は……。シザどうした?」

「頭痛えから、定例パーティー始まる八時まで家で寝て来るって」

「そうか……寝不足とか言ってたけど、あいつまた偏頭痛が出て来たんじゃねえかな」

 ライルは柱に凭れかかって携帯を弄りながら、一瞬視線を上げる。

「なに? シザ大先生って偏頭痛持ちなの?」

「最近全く出てなかったんだけどさ。去年くらいが一番出てたなぁ。

 それで病院通いもしてたし。

 けど【アポクリファ・リーグ】が忙しい時は偏頭痛収まるんだよな。出んのは決まってオフの時でさ。

 その前も、過去もそういうことは無かったっていうから。心因性で一過性のモンだろとか放っておいたら出なくなったし。忘れてたんだけどな」

「その時期何があったのよ」

「別に何もねーよ。まぁ前年に初めてシーズンMVPになって、慣れない取材とか増えたしプレッシャーが増えたのはあると思うけど、あいつ別にポイントは結果だとか普段から言ってる奴だからな。あんま仕事のプレッシャーとか律儀に感じる奴かはすげー疑問」

「ズバリ、原因ユラちゃんだろ」

「あ?」

「偏頭痛の原因」

「ユラって……ちげーよ。シザはユラがいればこの世のなんだっていいヤツなんだから……」

「だからぁ、その愛情の余波だって。ユラちゃんってホントは一年で音楽活動休止して【グレーター・アルテミス】に戻って来る予定だったんだろ?」

「あー……なんかそんなことは言ってたな。けどそれはもし満足な結果が出なかったらとかいうことなんじゃねーの? ユラはピアニストとして才能あるし、このまま引退なんて事務所が気持ち良く認めるとは思わねえけど」

「おっさんさぁ」

「アイザック先輩だろォ」

 ゴス! アイザックがライルの背に軽く蹴りを入れて来る。


「アイザック大先輩はさぁ、聞いたことないの。シザがユラちゃんと一緒に暮らしたいとか言ってるの」

「聞いたことねえけどそらあいつら恋人同士なんだから、一緒に暮らせるなら一緒に暮らしたいに決まってんだろ……今だってユラが帰って来たらあんだけ大はしゃぎなんだからよ」

「そうだよねぇ。んじゃシザってやっぱ、ユラちゃんに音楽活動やめてほしいって思ってるんじゃないの」

 アイザックはバイクに寄り掛かった。

「……いや、それは」

「ん?」

「……。いや。やめとくわ。これは口止めされてっし。お前、同僚なら自分で聞いてみろよ。お前の方があいつとは歳も近いんだし。俺に話したことなら、お前にも話すかもしんねーしさ」

「なんだよ。まどろっこしい言い方して」

「だーかーら、俺があいつのこと、お前にベラベラ話すといつもあいつブチ切れるだろ」

「シザの偏頭痛の原因は十中八九ユラちゃん絡みだと思うぜ」

「なんで」

「んー。元警官のカン。」

「根拠が軽いなぁ」

「いや俺もオルトロス時代相当色んな人間見て来たけど、シザとユラちゃんみたいなのは珍しいんだよね。ここに来たばっかりの頃、俺、あいつに聞いたことあんのよ。

『初めて人を殺した時、どんな気持ちになった?』って」


「なんつーこと聞いてんだお前は!」


 またゴス! とアイザックがライルを蹴って教育的指導を行う。

「いや警官時代、取り調べで殺しやった奴に必ず聞いてたからつい」

「なにがついだよ。シザは殺しをやりたくてやった奴じゃねーんだぞ。二度と聞くな、そんなもん!」

「けど言ってたぜ。『清々した』って。

 ずっと自分を苦しめていた男をやっと殺せたから、微塵も後悔してねえって。

 何度あの時に戻っても、迷いなく何度でも同じことしてやるってさ」

「あいつもあいつでまた危険な発言を……」

 アイザックがバイクに寄りかかって額を押さえている。

「殺して、後悔してねえって言う奴って大概自分の為に殺してねーんだよ。

 本人がな、そう思ってんの。自分の為じゃねえって」

「何のためよ」


「愛の為」


 ライルは煙草に火をつける。

「勘違いや思い込みも人間だからあるけどさ。顔見りゃ分かるよ。大体は。

 ああいう顔で後悔してねえって宣言する奴は、愛する人間を脅かされたから殺してんの。

 おっさんだって気づいてるっしょ。

 シザのユラちゃんに対する執着。ありゃ、ただ身を寄せ合って生きて来た兄弟とか、恋人に対するものとか、それ以上のモンがある」

「ダリオ・ゴールドはシザが小さい頃からあいつに暴力振るってたんだよ。当時のお手伝いさんとかからも証言取れてんだから」

「兄貴を殴ってた親が、弟のことは心から慈しんで大切にすると思う?」

 笑い気味に煙を軽く吐き出したライルに、アイザックは腕を組んだ。

「ダリオ・ゴールドは、ユラのことは殴らなかったってシザは言ってたぜ」


「……ま、殴るだけが虐待とは限らないけどねえ」


 アイザックは眉を寄せた。

「おまえ……、いや。やめるわパス。この話、憶測にしてもこんなとこで話すのはシザに対してさすがに気が咎める」

「そお? シザのユラちゃんに対する感情って、兄貴としての庇護心プラス、愛情兼欲情プラス、罪悪感も」



「聞きたくねえって言ってんだろ!」



 アイザックが怒鳴ってライルを睨んだ。

 彼は特に堪えた様子もなく、肩を竦める。


「偏頭痛。あと十年続くのは御免だよねぇ」


 アイザックが話を断ち切ったので、ライルはそれ以上話は続けなかった。

 煙草を吹かしながら去って行く。

「おい、お前も定例パーティーには来いよ。言っとくけど定例パーティー、だからな! 近場だからってジャージで来るんじゃねーぞ」

 ライルはヒラヒラと手を振って、通路の角に消えた。


「ったくあのヤロー……妙に変な鼻が利きやがる」

 

 確かにシザとユラは、普通の兄弟であって、普通の兄弟ではない。

 そこに恋愛感情が絡んでいるからとかでもないのだ。

 アイザックは時間を掛けて段々とそれを感じるようになったが、ライルの場合、最初から何となくにせよそれを感じ取っているのだ。


 兄弟とか、恋人以上の何か。


 まるで、半身のように互いを想い合ってる。



『……僕はユラがもし、僕以外の誰かを好きになりたいと言ったら、それを心の底から応援しようと思っていたんです。長い間。

 そんな彼に、僕が好きだと言ってもらえた。

 その驚きと嬉しさは……貴方には到底理解出来ませんよ』


『だからこそ、時々こわくなるんです』


『ユラが僕を選んでくれたことが、本当はあり得なかった奇跡のようなことなんじゃないかって。

 ユラが側にいないと、さみしい。

 けど、それだけじゃない……なにか怖さがある。

 僕はユラを自分の側に縛り付けたがってる。

 そういう自分の独占欲を自覚すると、僕は自分の欲望の為に、あの人を狭い世界に閉じ込めているんじゃないかと、そんな風に考えることがあるんです。

 養父が僕を殴ることを、……ユラはとても怖がってた。

 自分が殴られない安堵よりも強くあの人は昔から、殴られる僕の痛みの方に同調してくれた』


『ユラは僕を見放せないだけかも』


『……本当はもっと広い世界に飛んで行きたいのかも』


 常に自信に満ち溢れた姿を【アポクリファ・リーグ】では見せるシザ・ファルネジアが、

 一度だけそんな風に呟いたことがあった。



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