断たれた通話

 滝沢がそう言った時、入口の扉が開く音がして全員がその方を振り返った。黒井が誰かの手を取りながら音もなく食堂に入ってくる。その後ろから、真っ黒なワンピースを身につけた女性が静々と入ってくるのが見えた。


「……堂前家のご息女、ひじり様でございます」


 黒井が抑揚のない声で女性を紹介した。聖は食堂の面々の方には顔を向けず、沈痛な面持ちで床に視線を落としている。その体型は思ったよりも小柄で、身長はせいぜい百五十五センチくらいだろう。細い足で身体を支え、ふらふらと歩く様子は見るからに頼りなげだ。


「聖さん……」


 星影は思わず呟いた。その声が聞こえたのか、聖がわずかに顔を上げる。その黒い瞳が一瞬見開かれたように見えたが、すぐにまた顔を俯けてしまった。


「……あんたが堂前の娘さんか」忠岡が静かに言った。「俺は番組のディレクターをしている忠岡と言う。このたびは……その、突然のことで混乱していると思う。本当は誰にも会いたくないのかもしれんが、屋敷内にまだ犯人がいる可能性がある以上、あんたを一人にしておくわけにはいかんと思って……」


「お父様……どうして?」


 か細く呟いた聖の声が忠岡の言葉を遮った。耳に心地よい、澄んだ美しい声だったが、その声は哀しみに震えていた。


「どうして私を置いていってしまったの……? 何があっても私の面倒を見ると約束してくれたのに……どうして……?」


 言いながら聖の顔はどんどん青ざめていき、瞳から大粒の涙が零れ落ちる。そのままバランスを崩して倒れそうになったので、星影が慌てて駆け寄って彼女を支えた。抱き留めたその身体は驚くほど軽く、ショックを与えればすぐに壊れてしまいそうだった。


「……父親のことは残念だった」忠岡がやりにくそうに続けた。「だが警察が来れば、すぐに犯人を捕まえてくれるだろう。だから今は落ち着いて……」


「実は……その件で一つ報告があるのでございますが」


 黒井がおもむろに口を挟んだ。忠岡が怪訝そうな視線を彼に向ける。


「ロビーから警察に電話をかけようとしましたところ、ボタンを押しても呼び出し音が鳴らなかったのです。不審に思って辺りを調べますと、電話の線が切られているのを発見し……」


「線が切られてただと!? どういうことだ!?」遠藤が身を乗り出した。


「……私にもわかりません。ただ、線の切れ目は綺麗でしたから、おそらく刃物で切断されたものと思われます」


「何だそりゃ!? つまりアレか!? 屋敷にいる人間がわざと電話の線を切ったってことか!?」


「ええ。おそらく、警察への通報を怖れた犯人の仕業ではないかと……」


「何だよそれ! ふざけんじゃねぇ!」遠藤が机に拳を打ちつけた。「携帯を取り上げられた上に殺人事件が起こって、おまけに電話が繋がらないって……。これじゃまんま三文推理小説じゃねぇか? いつまでこんな茶番に突き合わせるつもりだ!?」


「遠藤……気持ちはわかるが落ち着け」忠岡がとりなした。「黒井、この屋敷に他に電話はないのか?」


「はい、ございません。普段は携帯電話を使用することの方が多く、ロビーの電話自体ほとんど使用する機会はないのです」


「だが、今ここに集められている人間の携帯は全て金庫にしまわれ、金庫の解錠番号もわからない。つまり外部との連絡手段は一切断たれているということだな?」


「……左様でございます。近隣に住居はございませんし、救助を求めるのは不可能かと」


「となると、いよいよ屋敷で夜を明かすことも考えねばならんな」忠岡が深々とため息をついた。「すぐ傍に死体があると思うと気が引けるが……」


「冗談じゃないですよ!? 何が悲しくて死体と一つ屋根の下で過ごさなきゃならないんです?」遠藤がいきり立って叫んだ。

「それに忠岡さん、あんたは忘れてるみたいですけど、俺達には車があるんですよ」


「車? 俺達が乗ってきたバンのことか?」


「ええ。あれを使って警察に知らせに行きゃあいい。そうすりゃ朝までには戻ってこれるでしょうよ」


「だがもう十時を過ぎているぞ? こんな時間に山道を運転できるのか?」


「俺の運転テクを舐めないでください。もっとややこしい道だって何回も運転してきたんだ。夜の山道くらい何ともありませんよ」


「そうかもしれんが……あまり賛成はできんな。万が一事故にでも遭ったらどうする?」


「人が一人死んでるんですよ? 今さら事故なんかビビッてどうするんです?」


 二人の話し合いは平行線を辿っている。星影としても、遠藤を車で警察に向かわせるのは賛成しかねたが、他に代案は思いつかない。どうしたものかと考えていると、不意に阿久津がねっとりとした声で言った。


「私は反対ですねぇ。今までの言動を拝見していると、あなたが大人しく警察へ行かれるとはとても思えない。唯一の交通手段を使って一人お逃げになるつもりでは?」


「はぁ? てめぇ、俺が抜け駆けするでも思ってんのか?」遠藤が目を剝いて阿久津を睨みつけた。


「そう疑われても仕方がないと思いますよ。あなたはお世辞にも友好的な性格とは言えないようですからねぇ」


「はっ、言うじゃねぇか。だがよ、さすがに俺もそこまで人でなしじゃねぜぇ。市民の義務をほっぽり出して一人だけとんずらするような真似はしねぇさ」


「でも、さっきの話だとこの人も容疑者なんでしょう?」エマが心配そうに言った。「本当に一人で行かせて大丈夫なの?」


「あれはあくまで可能性の話だ」忠岡が答えた。「俺は遠藤が犯人だとは思わん。こいつは見ての通り荒っぽい性格だが、犯罪に手を染めるような奴じゃない」


「どうかしら。身内だからって贔屓目になってるだけじゃないの?」


「あぁ? 何だこのババァ。喧嘩売ってんのか?」遠藤が顎を突き出した。

「人を犯人呼ばわりする前に自分の潔白を証明したらどうだ? 四十分も化粧直した結果がその面じゃあ、嘘だって疑われても文句は言えねぇぜ」


「何ですって!?」


 エマがまたしても顔を真っ赤にして立ち上がろうとする。遠藤もさらにまくし立てようとしたが、そこで思い出したように聖の嗚咽が聞こえて二人は動きを止めた。聖は星影に支えられながら、両手に顔を埋めてさめざめと泣き続けている。


「……二人とも止めましょう。こんなところで言い争ってる場合じゃないです」


 星影が静かに言った。エマが気まずそうに黙り込んで座り直し、遠藤は聖から目を背けて舌打ちをした。


「とにかく、電話が使えない以上、直接警察を呼びに行くしかない」忠岡が場をまとめるように言った。「迎えは遠藤に行かせる。それで文句はないな?」


 不安が完全に拭えたわけではないが、他に方法はないと考えたのだろう。テーブルを囲う面々が神妙に頷いた。


「よし。では遠藤、通報に行ってくれ。できるだけ早く頼むが、事故はしないようにな」


「はいはい、わかってますよ。はぁ……ったく、何で俺がこんな目に……」


 遠藤がズボンから車のキーを取り出し、それを指に引っかけて回しながら食堂を出て行く。彼がいなくなると、食堂が急に静まり返ったように感じられた。

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