第三十二話 すれ違う想いと消えた姫の行方

 ティアが僕の部屋から飛び出した夜。僕はその場にへたり込んだまま、長い時間が経つのを忘れていた。サラシを解いた胸の冷たさが、肌にじわりとしみ込んでくる。今までずっと抱え込んできた秘密を、ついに打ち明けてしまった――しかもティアが求めていた「騎士×姫の甘い関係」が一気に崩れるようなタイミングで。

 なぜ、もっと早く言えなかったのか。言うべきチャンスは何度もあったはずなのに、結果として彼女を裏切る形になった。ましてや、僕は騎士様でも男でもなかったのだから……。


 時間にすると一時間ほどだろうか。ようやく立ち上がったとき、廊下を見回しても、ティアの姿はやはりない。彼女は自室にも戻らず、宿の受付に確認しても「出ていったっきり」とのこと。

 不安が募る一方、あの激しい動揺を見れば、今は追いかけても逆効果かもしれない。

「……どうしよう……」

 頭を抱えたまま、僕は宿の自分の部屋に戻った。さっきはサラシを解いたままだったが、今さら再びそれを巻く気力もない。胸の小さなふくらみを見つめながら、吐き出せぬ思いが渦を巻く。


 エリーナがノックし、そっとドアを開けて入ってくる。彼女は申し訳なさそうな表情で僕の顔を覗き込んだ。

「ティアは……やっぱり帰ってこなかったわ。ギルドにも姿がないそうよ。夜の街を一人で歩くなんて危ないのに……」

「そっか……」

 返す言葉も見つからず、重い沈黙が降りる。エリーナは苦い顔で窓を見やりながら、ぽつりと囁く。

「大丈夫、ティアなら大けがはしないはず。あの子、なんだかんだ言って生命力というか、運の強さがあるじゃない。きっと朝には戻ってくるわよ」

「……うん、そうだね」


 でも、心のモヤは晴れない。僕が女であるという事実は、ただの冗談やサプライズとは違う。男女としての恋愛関係を望んでいたティアにとっては裏切りに等しい衝撃だろう。

 僕自身も、ずっと思い悩んでいたとはいえ、こういう形での発覚は想定していなかった。もっと静かに、時間をかけて話したいと思っていた。でも、先延ばしにしてきたのは僕の弱さのせいなのだ。


「……もし、ティアが戻ってきたら、なんて話せばいいんだろう」

 床に視線を落として呟くと、エリーナが少し困ったように微笑む。

「さあね。でも、正直この手の問題は二人で解決するしかないわ。私が何か助言したところで、ティアが納得しないとどうしようもない。……待つしかないんじゃない?」


 待つしかない、か。

 そうだ、いまは何もできない。僕が追いかけても、彼女がさらに傷つくかもしれない。朝になったら、きっとティアは戻る。そしたらきちんと向き合おう――僕は自分にそう言い聞かせ、深い溜め息をつくしかなかった。


 ところが、翌朝になってもティアは宿に帰らなかった。

 ギルドでも姿を見かけたという人はおらず、夜通し外を歩いていた冒険者に尋ねても「あの派手なピンク髪は見ていない」と口々に言う。これは予想外の展開だ。

「まさか、どこかで闇ギルドに襲われたとか……?」

 僕は焦りと恐怖で手が震えた。そこへエリーナがギルド職員から仕入れた情報を持って戻ってくる。


「どうやら、王都の外へ向かったという噂があるわ。城壁外でピンクの鎧を見たって話を聞いた人がいるみたい。でも、確証はないみたいね……」

「王都の外……? 一人で行くなんて、危険すぎるよ!」

 思わず声を荒げる。エリーナが肩をすくめ、唇をきゅっと結んだ。


「たぶん、ショックを受けたティアが一人でどこかに篭りたいとでも思ったのかもしれないわね。あるいは、観光警備で訪れた郊外の村を思い出して行ったか……場所は定かじゃないけれど」

「でも、いつ闇ギルドの手下が襲ってくるか分からないし、危ないんだよ……! ティアは最近目立っているから、下手すれば闇ギルドから狙われてもおかしくないのに」


 本当に一刻を争う。ティアがこのまま行方不明になれば、僕は一生悔やむだろう。

「お願い、エリーナ。手分けしてティアを探してほしい! 闇ギルドが動き出す前に!」

「ええ、もちろん。ライラやギルドの仲間にも手伝ってもらいましょう」


 こうして僕たちは、知り合いの冒険者たちに協力を仰ぎつつ、王都周辺を捜索することに。街道沿いや近郊の村を当たってみるが、なかなか決定的な情報が掴めないまま昼過ぎを迎えてしまう。


「くっ……どこにいるんだ、ティア……」

 王都から少し離れた草原を歩きながら、僕は焦りに苛まれていた。もし彼女が闇ギルドに捕まり、聖女として利用されるようなことがあれば――想像するだけで身がすくむ。せっかくD級になったのに、仲間を守れないなんてあんまりだ。


 エリーナも横で難しい顔をしている。

「まだ発見できないわね。大きな村や観光地は当たったけれど、どこにもいないし。まさか、本当に危険な場所に足を踏み入れたのかしら……」

「ティアがそんな軽率な……いや、ティアならあり得るのか? ショックで心が乱れていたら……」


 嫌な予感が胸を刺す。その時、後ろから馬を駆った騎士団員がやってきて、僕らに声をかける。どうやら王都近くの森のはずれで、ティアと思しき人物が目撃されたそうだ。ただし、すぐに見失ったらしい。


「森のはずれって……そこは魔物が出るって話じゃない?」 「ええ、ウォーウルフが多い場所よ。ティアがそんなところへ一人で……?」


 無茶苦茶だ。でも、ティアがいま情緒不安定なら、そのくらい突拍子もない行動を取ってもおかしくない。とにかく急いで森へ向かおう――僕はエリーナに目配せする。彼女も頷き返す。


「行こう。多少危険でも、探し出さなきゃ」

「分かったわ。騎士団も手分けしてくれるらしいし、絶対見つけましょう」


 森の入り口で馬を降り、木々の間を縫うように歩く。所々に動物の足跡や獣道があるが、人間の足跡かどうかは判別が難しい。僕は必死で呼びかける。


「ティア! どこにいるの……返事して!」

 しかし、聞こえるのは鳥のさえずりと風の音だけ。周囲にはギルド関係者や騎士団が散らばり、同じく捜索をしているらしいが、気配は掴めない。

 足元の落ち葉を踏みしめながら奥へ進むと、たまにウォーウルフの唸り声が響いてくる。まだこの森は安全とは言えない。


(どうか、無事でいてくれ……!)


 一時間ほど奥を探し回っても成果がないまま、僕とエリーナは軽く息を整えようと大木の根元で休んでいた。すると、遠くから女の悲鳴がかすかに聞こえた気がする。ぎくりと反応して耳をすませると、低い獣のうなり声も混じっている。


「……聞こえた? 今の……!」

「ええ! 多分ウォーウルフの鳴き声よ。行きましょう!」

 僕たちは一気に走り出す。茂みをかき分け、獣道を突っ切ると、開けた場所でウォーウルフの群れがうろついているのが見えた。中心には白い礼装とピンク色がちらりと――


「ティアッ!!」

 彼女だ。間違いない。礼装こそ着ていないが、肩からかけた白とピンクの装備が半端に外れ、動きづらそうにしている。すでに何度か引っかかれたのか、血がにじむ部分も見える。震える手で短剣を握り、どうにかウォーウルフに対抗しているようだが、多勢に無勢。すぐにでも駆け寄らなければ……!


「エリーナ、援護して!」

「任せて! 《アイス・ブリッツ》!」

 エリーナが素早く詠唱を行い、氷の槍を次々とウォーウルフめがけて放つ。僕は盾を構えて前に飛び出し、一匹のウォーウルフがティアへ噛み付く寸前で全力の体当たりをかまし、はじき飛ばした。


「ティア、大丈夫!?」

「く、シヴァル……エリーナ……! なんでここに……」

 ティアは息を荒げながら、うわごとのように呟く。瞳には泣き腫らした形跡がある。やはり一晩中悩んで、この森まで来てしまったのだろう。だが今はそんな話をしている場合じゃない。残ったウォーウルフの何匹かが唸り声をあげ、僕たちを包囲しようとしている。


「しょうがない……ここで一気に倒すわよ!」

 エリーナが魔力をさらに高め、僕は盾を前に出してウォーウルフの突進を受け止める。何度も爪や牙を叩きつけられ、腕がビリビリしびれるけれど、ここで踏ん張らなきゃティアを守れない。


 そして――

「ティア! バリアを……使えるんでしょ!」

 思わず叫ぶ。すると、ティアは絶望的な顔をしながらうつむき、 「や、やだ……そんな気分じゃ……使えるか分かんないよ……私、もうどうしていいか……」

 絞り出すような涙声。僕が秘密を隠していた事実に傷つき、心を乱しているのがありありと伝わる。そのせいでバリアのイメージも崩れているのかもしれない。


「くそっ……! エリーナ、援護を頼む!」

「ええ! でも数が多いわ……」

 次々に押し寄せるウォーウルフを相手に、僕とエリーナで防戦を続ける。ティアが戦闘不能というわけではないが、明らかにモチベーションを失っている。短剣は手にあるものの、攻める姿勢が見られない。


 このままじゃ、いつか崩される。ウォーウルフは一匹ずつ倒してはいるものの、完全には追い払えていない。僕の盾も限界が近い。勢いよく噛み付かれ、盾ごと押し倒されかけたところで、低い唸り声を聞く。まずい……あと一撃で破られるかもしれない。


 その瞬間、ティアが小さく声を上げた。

「……シヴァル、あなた、それでも私を守るつもりなの……? 本当は女の子なのに、騎士みたいに振る舞うの……?」

 混乱した問いに、僕は歯を食いしばりながら答える。

「男だろうが女だろうが、そんなの関係ない! 僕は……僕はティアを守りたいんだよ! 姫がどうとか騎士がどうとか、全部忘れても……僕は、君を……!」


 きつく叫ぶと、胸の奥にあった何かが弾け飛ぶような感覚があった。もう嘘じゃない。僕は僕のままで、ティアを守る。性別の枠なんか関係なく、ずっと一緒に戦ってきたじゃないか――。


「……シヴァル……」

 ティアが潤んだ瞳でこちらを見て、そっと息を整える。すると、彼女の周囲にほんのわずかに光が揺れ始めたように見える。

「私……わかんない。だけど、あなたがどんな姿でも、私を守るって気持ちに嘘はないんだね……」

 その言葉を最後にティアは短剣を握り直し、深呼吸。礼装の裾をひるがえし、右腕をすっと前に突き出す。


「《――可愛いバリア、発動……っ!》」

 頭でイメージしているのだろう。かつて石板で得た力を再現しようと、ティアの心が揺れながらも結晶化していく。その一瞬、僕は盾を大きく振ってウォーウルフを振りほどき、エリーナが氷の魔力で周囲を足止め。ティアの集中を壊さないように。


 ビシッという光の音。ティアの身体から淡い半透明の膜がふわっと広がり、ウォーウルフが突進してきた瞬間、まるで弾かれるように吹き飛んだ。


「うわあっ!? すごい……」

 僕は目を疑うほど強力なバリア。ウォーウルフたちは悲鳴を上げ、尻尾を巻いて逃げ出す者、気絶する者が続出。凄まじい一撃だったのだろう。


「はあ、はあ……できた、かも……」

 ティアがぐったりと膝をつく。まだバリアを維持する術はなさそうだが、一瞬だけでも強烈な防御力を発揮することができた。エリーナが驚嘆の声を漏らす。


「すごいじゃない……。もう実践戦闘に使える力になりつつあるわね……」


 ウォーウルフは散り散りに逃げ、僕たちはようやく息をつく。僕は傷を負ったティアに駆け寄って抱き留める。彼女は一瞬抵抗しかけたが、すぐに力を抜いて委ねてくれた。


「ティア、無理しなくていい……傷は浅い?」

「う、うん……多分大したことない……。でも、いまは心のほうが痛い……あなたの秘密にびっくりして、逃げ出した私がバカみたいで……」

 泣き出しそうな声で、ティアは僕の胸に顔を埋める。僕も感情が溢れてきそうになるのをこらえつつ、そっと頭を撫でた。


「ごめん、ティア。隠してて……ずっと、怖かったんだ。でも、騎士として君を守る気持ちに嘘はない。そこだけは信じてほしい……」

「……まだ整理できないけど、シヴァルが私を守りたいって想いは……私も嬉しいから……」


 エリーナが少し離れたところで黙って立っている。僕とティアはしばらく抱き合ったまま動かない。森の風が優しく木々を揺らし、荒れた戦場の空気を鎮めるように吹き抜けていく。


 こうして、僕たちはようやく再会を果たし、言葉は尽くせずとも一歩だけ和解への道を踏み出せた気がした。ティアもまだ動揺しているが、僕への拒絶が全て消えたわけではないものの、一人で逃げるほどの衝撃からは少し回復しているようだ。


「……深呼吸して、あとは一旦王都に戻ろう。体の傷を治療しなきゃ」

「うん……でも、ごめんね。勝手に飛び出して……」

「いいんだ。僕のほうこそ、言えなくてごめん……」


 手を取り合って立ち上がる。エリーナが「このまま森を出ましょう」と先導し、森の出口へと歩き出す。

 闇ギルドの影はまだ近づいていないらしいが、いつ何が起こるか分からない。僕の秘密はティアを戸惑わせただけでなく、これからの戦いにどう影響するのかも未知数だ。でも、もう逃げない。彼女がいてくれるなら。


「シヴァル……」

ティアが小さく囁く。

「私は、あなたを男として、騎士様として好きになりかけてたんだと思う。だからショックだった。でも……こうして守られたとき、別に性別とか関係ないのかなって、ちょっとだけ思ったの。混乱してるのは確かだけど……」

「……ありがとう。僕も、君がどう受け止めようと、大切な仲間であることは変わりないって思ってるよ」


 一歩一歩、ゆっくりと歩を進める二人。騎士と姫の関係は崩れたようで、まだ微かに繋がっている。もしかすると、新しい形が芽生えるかもしれない――そんな淡い希望が、荒んだ森の中でほんのり光を灯していた。


 やがて森を抜け、開けた空を見上げる。戻った先の王都では、闇ギルドの動きがさらに活発化しているかもしれない。封印の儀式や聖女の力という大きな謎が、僕とティア、そしてエリーナを巻き込んで渦を巻いている。

 でもこのときだけは、ティアの手の温もりを感じながら、深い安堵を味わっていた。彼女が無事でよかった――その想いだけが、僕の胸を満たす。


 誰が騎士で、誰が姫なのか。そんな枠を超えて、僕たちはまた一緒に戦い続ける。秘密は暴かれたけれど、失われなかったものがあると信じたいから。

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