第十九話 そこにあったんならしょうがない!
「さあ、今日もやる気満々よ! 可愛いはバリアにもなりそうだし?」
迷宮入り口の仮拠点を出発するや否や、ティアが鼻息荒くまくし立てる。先日からちょこちょこ口にしていた可愛いはバリアになる理論を、ますます確信めいて語り出しているのだ。
「うーん、本当にバリアとして機能するかはさておき、気合いが入るのはいいことだよ……」
僕は苦笑しながら相槌を打つ。隣を見ると、エリーナが呆れたように目をそらしているが、内心では「この子が落ち込むよりはマシ」と思っているに違いない。
そんな僕たちの足元を、ひんやりと冷たい風が撫でていく。迷宮の通路は比較的広く整っているが、どこかで魔物の唸り声が響いているような気配がある。今日の任務は、複数の拠点ポイントを回りながら、安全確保の哨戒を行うこと。
「……行こう。準備はいい?」
「ええ、いつでも」
「任せて! 私の新魔法、見せてあげるわ!」
さっそく第一のポイントへ向けて通路を進む。まもなく、石壁に打ち込まれたランタンがちらちらと揺れる場所へ出た。そこにはギルドの臨時哨戒隊が詰めており、警戒態勢を取っている。
「お疲れさま。こちらは特に問題なし……と言いたいけど、闇ギルドの連中が近くにいるかもって噂なんだ」
哨戒隊の一人がしかめ面でそう告げる。まるで背後に視線を感じるようだ、と。
「また闇ギルドか……。最近、あちこちで姿を見かけるって話よね」
エリーナが静かに息をつく。僕の胸にも不安がよぎる。もし深部へ通じる扉を巡って争いが激化すれば、こうした下位ランカーの哨戒ラインなど簡単に突破されるかもしれない。
「でも、私たちだって黙ってやられっぱなしじゃないわ! 可愛いバリアを発動して迎え撃つの!」
ティアが拳を振りかざす。哨戒隊員たちが「何それ……?」という顔をしているが、あえてツッコむ勇気はないようだ。
いざ周回を始めると、森閑とした通路の奥から小型モンスターがぱらぱらと現れる。コウモリ型やネズミ型はいつも通りだが、僕たちはさほど苦戦せずに片付けられるようになっていた。
ティアは相変わらず短剣を握る手が少し震えているものの、目を開けて敵を見極めるようになっている。ピンクの軽鎧も、だいぶ使い慣れてきたようだ。
「可愛い魔法の研究をしてるけど、いまいち上手くいかないのよね……」
戦闘後、ティアがぼやく。バリアとは程遠く、中途半端に光るだけの奇妙な魔力現象を何度か起こしては、失敗しているようだ。
「でもまあ、練習あるのみだよ。可愛いバリアかはわからないけど、魔力操作が向上するのは良いことだし……」
「今は普通に短剣で攻めるのが一番みたいだけどね」
エリーナがあっさり言い切ると、ティアは「むう」と頬をふくらませるが、否定はしない。実際、ドジを減らすだけで彼女の戦闘能力はぐっと上がるのだ。
そんな順調なパトロールの合間、僕たちは奇妙な物音を耳にした。まるで人の話し声に似ているが、複数の声が重なり合い、か細い笑い声のようにも聞こえる。
「……なんだろう。あの奥かな?」
僕が指さした先は、かつて誰かが掘った穴が行き止まりになっている場所だと聞いている。いわゆる行き止まりの小部屋だ。
「でも、こっちに近づいてくる気配はないし……とりあえず確認しとく?」
エリーナの提案に、ティアも「もちろん!」と力強く答える。三人で慎重に足を運び、穴の手前で身を隠すようにそっと覗き込む。
すると――そこには何やら小さな装置のようなものが鎮座していた。黒い金属でできており、上面にはいくつかのボタンが並んでいる。周囲にはローブ姿の男が一人だけ。どうやら闇ギルドの下っ端なのか、怪しげに魔力を注ぎ込む動作をしている。
「……あれ、何かの魔導装置かな? 見た目が妙に近代的だけど……」
エリーナが低く囁く。確かに、この迷宮で時々見つかる古代の仕掛けと比較しても、ずいぶん雰囲気が違う。
「皆殺しのスイッチでも作ってるんじゃ……?」
ティアが怖がるように肩をすくめるが、同時に目がキラリと輝いている。
「私、こういう装置を見ると……押しちゃいけないボタンとかあるんじゃないかってそわそわしちゃうのよね……」
「やめて、絶対に押すなよ!?」
「ええーっ!? そう言われると押したくなるじゃない!」
危険な雰囲気が漂う中、ローブの男は装置に夢中のようで、こちらにはまだ気づいていない。今なら奇襲も可能だが、下手に暴れれば装置に何かしらの影響が出て、爆発など起きかねない。
「……どうする? もしそいつが怪しい企みをしてるなら、止めなきゃいけないけど」
「装置の正体が分からない以上、下手に触るのは危険よ。ギルドに連絡して対応してもらったほうが……」
エリーナの落ち着いた提案に、僕も頷こうとしたその瞬間。
「――きゃっ!?」
ティアが足元の小石につまずき、派手に前のめりになってしまう。運悪く、彼女のピンク鎧が岩壁にゴツンと当たり、大きな衝撃音を立てたのだ。
「だ、誰だっ!?」
ローブの男が振り向き、鋭い視線を走らせる。
「も、もう、ティア……!」
「ご、ごめん! 」
「まったく……」
完全に見つかってしまった僕たち。ローブの男は低く唸るように言葉を発し、魔力を込めた短剣を抜いてこちらを睨んできた。
「闇ギルド……! やっぱりその装置、何か企んでるんでしょ!」
ティアが短剣を構え直すが、先ほど転びかけたせいで体勢が少しふらついている。
「余計な邪魔をするな……これは深部の扉を開くための起爆装置の一部……いや、貴様らに説明する義理はないか!」
男は言い捨てると、一気に距離を詰めてきた。黒い短剣が不気味な光を放つ。
僕とエリーナも動く。盾で男の一撃を受け止め、エリーナの氷魔法で牽制……が、相手の動きは予想以上に速い。闇ギルドの下っ端と侮れない実力だ。
「くっ……危ないわね!」
「ティア、そっちから回り込んで……」
僕たちが男を押さえ込もうとするが、狭い通路に加えて、その怪しい装置が邪魔をして立ち回りが難しい。誤って装置に触れてしまえば、どんな不測の事態が起きるか分からない。
そのとき、ティアがちらりと装置を見て――まさかの行動に出た。
「えいっ、このボタン、ぽちっとな!」
「……はぁぁぁっ!?」
僕とエリーナは息が止まりそうになる。そこには大きな文字で「押すな」と書かれた赤いボタンが、まさに挑発的に存在していたのだ。
「ちょ、ちょっと待って! 絶対ダメでしょ、それ!」
「だって、このままだと長引きそうでしょ? きっとローブの人が押すなと言ってるボタンの逆を押せば、こちらにとって有利になるはずだわ!」
「そ、そんななんとなくで!」
ティナが押したボタンはカチリ、という重い音を鳴らす。次の瞬間、装置ががたがた震え始め、まるで古い機械が起動するかのように低い唸りを上げた。
「お、おいおい、何をしてくれたんだ!」
ローブの男が青ざめて叫ぶ。どうやら本人も予期していなかったらしい。その表情は明らかに焦りを帯びている。
「わ、私……押しちゃいけないって書いてあると、押したくなる性分なの! ご、ごめんなさい……?」
「謝るようなことじゃ済まないわよ! どうするのよ、この大音量!」
エリーナも動揺を隠せない。装置はカタカタと魔力を放出し始め、辺りに不穏な振動が走る。
すると、奇妙な現象が発生した。装置の周囲に淡い結界のような膜がふわりと現れ、僕たちもローブの男もまとめて内側に閉じ込める形になったのだ。
「こ、これは結界……? まさか、装置にこんな機能が……」
男が驚愕の色を浮かべる。僕たちも同様に、突如現れた半透明の壁に触れてみるが、外に出ることができない。まるで狭いドームの中に閉じ込められたようだ。
「ティアっ! だから押すなって言ったのに!」
「え、えへへ……でも可愛いはバリアになるって言ったじゃない! もしかしたらこれこそ私の可愛い魔法――」
「絶対違うよ! 機械式の結界でしょ、どう見ても……!」
外ではエリーナが壁の向こうから叫んでいる。どうやらエリーナだけ結界の外にいたらしく、中に閉じ込められたのは僕とティアと闇ギルドの男だけらしい。
「ちょ、ちょっと待って、エリーナ! 助けて!」
「何とか解き方を探すわ……ああもう、ティアのドジスイッチが発動するなんて……!」
結界の中では、闇ギルドの男が明らかな殺気をみなぎらせる。行き場を失い、苛立ちをぶつけるように短剣を構えた。
「お前らのせいで計画が狂った! こうなったら……まとめて潰すしかないな!」
「うむむ……こんな密室でバトルなんて……」
僕も盾を構えるが、後ろを振り向くとティアが一歩も下がらず、短剣を握りしめていた。あれだけ怖がりのくせに、妙に気合が入っている。
「……大丈夫! 私が可愛いバリアを発動するわ! さっきボタンを押して出てきた結界、絶対私の可愛さが影響してるのよ!」
「どんな理屈だ……!」
ローブの男が苦々しく呻くが、ティアは全然怯まず真っ向から突っ込んでいく。僕も仕方なく援護に回り、盾で敵の攻撃を防ぐ。
「えいっ!」
ティアの突きは若干甘いが、男の短剣の軌道をずらすことには成功した。その間に僕が衝撃波の魔法を放ち、男を少しよろけさせる。苦しげな唸り声を上げながら、男は必死に結界の縁を叩いているが、外への脱出はできない様子。
……これならイケるかもしれない。僕たちは息を合わせて攻撃を繰り返す。密室での戦いゆえ危険だが、逆に相手の動きも制限されているから、一度崩せば連携で押しきれる……はず。
「……くそっ! 何なんだこの状況は……!」
男が苛立って魔力を荒げ、短剣に暗いオーラをまとわせる。しかし、ティアの右腕が意外な素早さでその腕をはたき、軌道をそれさせた。
「どう? 可愛い鎧を着てる私を舐めるからよ!」
その声はどこか楽しげですらある。彼女は以前なら目を閉じていただろうに、しっかりと敵の動きを見据えている。ポンコツなのは変わらないが、成長の跡を感じずにはいられない。
一方、外ではエリーナが装置をいじったり、壁に魔法を撃ったりしている気配がする。金属が軋む音が聞こえ、やがてガシャリという大きな金属音が鳴り響いた。
「うわ……」
突然、結界の膜が揺らぎ、ふっと消え失せた。どうやらエリーナが制御装置を強引に停止させることに成功したようだ。
「よし、出られ――」
僕が安堵の声を上げる前に、ローブの男は懐から何かを投げ出した。小さな爆裂玉らしく、白い煙が視界を覆う。
「しまった、逃げる気か!?」
煙をかき分けようとするが、相手は素早く身を翻して通路の闇へ消えてしまった。結局、追いきれず取り逃がす形になる。
「……まあ仕方ないわ。とりあえず、装置は止められたし、あの結界も消えたわね」
エリーナが装置の残骸を見下ろし、ほっとしたように息をつく。どうやら一部を破壊して機能を停止させたらしい。
「ありがとう、エリーナ。正直、あのまま続いたら面倒なことになってたよ……」
僕は胸をなで下ろす一方で、隣でティアが誇らしげな顔で語り出す。
「どう? 私の可愛いバリアが暴走……いえ、なんていうか、結界で敵を追いつめたわよね?」
「え、いや、ティアがボタン押して結界発動しただけでしょ? あれ敵もいたし……僕たちも閉じ込められたし……」
「でも結果オーライじゃない! あのまま撤退されるより、むしろトドメを刺せそうだったんだから!」
「……まあ、確かにチャンスは生まれたかもしれないけど……逃げられたよね、最後には……」
どうにもしっくりこないが、ティアの自己評価は天高く舞い上がっている。こういう思い込みの激しさは、彼女の強みにもなり得るのだろう。
「とにかく、押してはいけないボタンは押さないって約束してよ……今回みたいな幸運が続くとは限らないんだし……」
「ええー、でも可愛い冒険者としては、そういう仕掛けがあったら気になっちゃうのよね」
まったく反省の色が薄いティアを見て、僕はやれやれと頭を抱える。
「も、もう少し自重してよ……ほんとに命がけなんだから」
こうして、謎の魔導装置は破壊され、闇ギルドの男は逃亡。僕たちには新たな疑念が生まれた。深部の扉を開くために、連中はいったいどんな仕掛けを作ろうとしているのか……?
気になることは多いが、ひとまず哨戒任務を続行しなければならない。周囲を巡回し、危険があれば報告する。それが下位ランカーとしての役目だ。
通路を戻りながら、僕はちらりとティアの横顔を見る。彼女は何事もなかったかのように鼻歌を歌い、可愛いはバリアになるという持論を胸に、上機嫌だ。
「可愛い女の子には不思議な力が宿るのよ! 誰にも否定できないわ!」
果たして本当にバリア魔法が完成する日は来るのだろうか……。不安と期待が入り混じったまま、僕は溜息をつくしかなかった。
この先、闇ギルドはより巧妙な手段で深部の扉へアプローチしてくるはずだ。僕たちがいくら下位から這い上がっても、相手との実力差は容易には埋まらない。
それでも――ティアの可愛いへの執着と、ときに無謀な突進力が、思わぬ局面で道を切り開くかもしれない。少なくとも、彼女の明るさが僕たちを前進させてくれるのは確かだ。
視線を上げると、仮拠点へ続く道にうっすらと陽の光が差し込み始めていた。僕たちの戦いはまだまだ続く。バリアなのか何なのか知らないが、いつか本当に可愛い魔法が現実になる日が来るのか――。
その一歩を踏み出すたびに、大騒ぎが絶えないのはお約束かもしれないが、なんだかもう慣れてしまった自分がいる。
「さ、次の哨戒ポイントへ行こう! 私たちの可愛さを見せつけて、敵をビビらせるのよ!」
「はいはい……もう分かったよ、ティア」
こうして僕たちは、押してはいけないボタンを押すという大チョンボを経てもなお、なんとか無事にクエストを続行するのだった。
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