12 重なる
「おじゃ、ましまー……す」
『男子の家を訪ねる』という状況に、一瞬尻込みした日奈だったが、あそこまで言っておきながら断るわけにもいかなかった。
日奈の家から10分ほど歩いた住宅街に、紘斗の家はあった。
「階段上がって右の部屋。適当に座ってて」
「は、はい」
家族はいないのか、家の中はひっそりと静まり返っている。
クラスメイトの男子の家に、しかも2人きりで……と今更不安になりながら、日奈は部屋のドアを開けた。
部屋の中には、大きめのベッドに勉強机、そしてアコースティックギター。
勉強机とは別にもう1台デスクがあり、デスクにはパソコンと、なぜか電子ピアノが置かれていた。
さらに、何に使うのかよくわからない機材がパソコンの周囲に置かれている。
「お茶ぐらいしかなかった」
「あ、ありが……」
コップを載せたトレーを持って部屋に入ってきた紘斗は、私服に着替えていた。驚いた日奈は、言葉に躓く。
「ごめん、俺だけ着替えちゃって。制服落ち着かなくて」
「う、ううん! ……早着替えだなーって、びっくりしただけ」
黒のスウェットパンツに、無地の白Tシャツ。シンプルな服装なのに、普段とは違う雰囲気の紘斗に、日奈は動揺を隠せなかった。
ますます、「紘斗の家にいるんだ」と実感してしまう。
「いろいろ……機材があるんだね」
「あぁ、ぜんぶDTMの機材だよ」
「DTM?」
聞き馴染みのない単語に、日奈は首をかしげる。
「
「え……作曲もするの?!」
「始めたばっかりだけどね」
すると紘斗は、たくさんの機材が繋がったパソコンを立ち上げた。複雑な機材がいっせいに起動する。
パソコンの画面には、タイムラインのようなものが表示されていた。
「この電子ピアノとギターがパソコンに繋がってて……あとはベースの音とか打ち込んで、歌録音して……てか、聴いた方が早いか」
紘斗がパソコンを操作すると、タイムラインが動き出し、スピーカーから音が流れ始める。
「これがピアノの音」
「おお~! すごい!」
画面上を光のバーが走る。それが、ピアノの旋律を記録したタイムラインということだろう。
「で、これがベースで……これがドラム」
「うんうん」
選択するタイムラインを切り替えると、ベース、ドラムとそれぞれ記録された音が流れる。
「で、全部組み合わせて……」
紘斗はギターを構えると、すべてのタイムラインを選択し、再生した。
先ほど聴いたピアノ、ベース、ドラムが重なった前奏に、さらにギターの生演奏が重なる。
空間を包み込むような音の厚みと、どこかやわらかな響きに、日奈は思わず息を呑んだ。
紘斗が
ギターを始めて間もないとは思えないほど、紘斗のギターは心地よく耳に届いた。
「♪I saw your shadow in the rain...」
音の層にさらに重なるのは、紘斗の歌声。
少しかすれたハスキーな声が、やさしく日奈の耳を包む。
その響きに引き込まれて、日奈は一瞬、呼吸を忘れていた。
「♪The wind still carries your tune, Soft like a memory under the moon...」
普段の低めの声はまるで違う、どこか甘く柔らかい歌声。
歌詞の意味はわからないのに、胸に滲むような切なさを感じる。
(なんか……紘斗っぽい曲、だな)
やさしくて、芯が通っていて。それなのにどこか掴みどころのない、危うさをはらんでいる。
聴きながら、日奈はなぜか泣きそうな気持ちになった。
「……ありがとございましたっ」
サビまで歌い終えると、紘斗はギターを軽く鳴らした。
日奈が拍手すると、紘斗は照れくさそうにお辞儀した。
「この曲、すごく好き。すごくよかった!」
「ありがと。歌詞は書けないから、適当な英語並べてるだけだけど」
「それっぽく聴こえたよ! でもすごいね。楽器単体で聴くのと、全然ちがう。音が響き合ってて、聴いてて気持ちよかった」
「うん。そこが楽しいんだよな、音楽って」
それから日奈は、紘斗にギターを教わった。しかし弦に指が届かず、弦を1本ずつ弾くので精いっぱいだった。
「指つりそう……! 届かない」
「佐倉、手ちっせぇもんな。小学生でギター弾ける子もいるし、コツがあるんだろうけど」
「そうなの?! 結局はセンスかぁ」
「でもさすがにピアノのオクターブは厳しいかな」
紘斗に促され、日奈はパソコンデスクに置かれた電子ピアノに向かった。
右手の親指をドの音に載せるが、めいっぱい開いても、ようやくシの音に届く程度だった。
「上のドが遠い……!」
「あはは!」
紘斗は笑いながら日奈の後ろに立ち、おもむろに日奈の手に自分の手を重ねてきた。
急な距離感に、日奈は思わず身を縮める。
「鍵盤みっつぶん違うな」
「ほ……ほんとだ」
紘斗の小指は、オクターブ上のミの音まで届いていた。
そんなことよりも、紘斗の大きな手に包まれている自分の右手が気になって、日奈の心臓はばくばくと大きく鳴り続けている。
「でも、こう……手首を少し下げて、人差し指を小指側に向けるように意識すると……」
「わ、すごい! 上のドに届いた!」
思わず日奈が振り向くと、日奈が思っていた以上に紘斗の顔が近くにあって、日奈はそのまま固まってしまった。
「はは、固まってんぞ」
「はっ……す、すみません……」
紘斗はひとつ笑うと、ゆったりと身体を起こしながら、日奈の手に重ねた右手を離した。
紘斗のこういう素振りにどういう意味があるのか、それともなんの意味もないのか。
恋愛初心者の日奈には、まったくわからなかった。
それからしばらく2人は紘斗の部屋で、のんびりと過ごした。
テストの緊張から解放されて、2人ともいつもよりおしゃべりだった。
「ピアノは小さい頃から習ってるの?」
「うん。母ちゃんがピアノの先生してて、自然と。でも高校入ったら急にギターやりたくなって。歌とか作曲にもハマって、録音機器とか買うためにバイトしてたら、成績死んだ」
「あはは! そういうことか」
「佐倉はないの? 好きなこと」
「あるにはあるけど……」
「なになに?」
「言わない。バカにされそうだから……」
「はぁ? 俺が人の好きなものバカにするような男に見えるか!?」
「み、見えない、けど……内緒!」
「うわぁ、気になるし」
他愛ない話をしながら、好きな音楽や漫画について話し、時々紘斗のギターで歌ってみたり。
日奈はこれまで生きた中で、今日が一番楽しくて穏やかな日だと感じていた。
「うわ、もう5時か。送るわ」
「家近いし、ひとりで帰るのに」
「いや、送る」
紘斗の部屋を出て、階段を下りていく。
すると玄関から、ドサッと大きな音がした。
「キャーーーーーッッッ!!!」
40代くらいの女性―――恐らく紘斗の母だろう―――が、玄関で買い物袋を落とし、そして叫んだ。
「おん、女の子…………!!」
彼女の言葉に日奈は目を丸くして、2、3歩あとずさりした。
「母ちゃんマジやめて、そのリアクション……」
紘斗は、しまった、というように頭を抱えた。
しかし紘斗の母は、構わず続ける。
「え、え、お友達?! ちょっと、家に上げるなら一言言ってよ! あ、いらっしゃい。ようこそ我が家へ! 大丈夫? なんのおもてなしもできてないでしょ? ほんとにごめんね」
「いやもう帰るから。絡んでこないで」
「やだやだ、ちょっとお話させてよ! お名前は? 家は近くなの?」
冷たくあしらおうとする紘斗に、紘斗の母はまったく動じない。
「さ、佐倉日奈です。家は、歩いて10分くらいです。よろしくお願いします……あの、急にお邪魔してすみませんでした」
日奈が頭を下げると、紘斗の母は目をキラキラと輝かせた。
「まぁ~! 礼儀正しくていい子! いいのよ、いいの! どうせ何も考えず紘斗が連れ込んで……」
「あーほんともうやめて、帰るぞ佐倉」
「う、うん」
紘斗は母親の言葉を遮ると、日奈の腕を引いて玄関外へと連れ出した。
「またおいでーーー!!!」
玄関から見送る母親にひとつお辞儀をして、日奈は紘斗の後を追いかけた。
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