13 日奈の秘密、紘斗の夢





 試験の翌週には、テストの結果が返ってきた。

 紘斗は無事、赤点なし。紘斗は改めて深々と日奈に頭を下げ、お礼を伝えた。


 放課後の勉強会は終わったものの、休み時間や放課後に紘斗はたびたび日奈に勉強の相談をしに来た。


「佐倉、ノート作ったから間違いとかないか見てほしー」

「見る見る。すごい、頑張ったね」

「昨日徹夜した……ちょっと寝る……」


 日奈にノートを託して自分の席に戻ると、ヘッドフォンをつけて紘斗はすぐに寝入る。


(綺麗にまとまってる……ちゃんと有言実行するの、すごいな)


 薄い緑色の罫線の、ノート。

 角ばった紘斗の文字が並び、単元ごとの要点がまとめられている。

 少しでも理解を深め勉強を効率化したいという想いが、伝わってくる。


 ペラペラとページを捲ると、なぜか―――最後のページだけ無造作に破り取られていた。

 不思議に思いながらもノートを閉じ、ペンケースに入れてあった付箋をノートの表紙に貼る。

 ペンで『とても丁寧にまとまっています! これなら期末もきっと大丈夫!』と書き、花丸を書き添えた。







 週末、日曜の午後。日奈は行きつけの喫茶店にやってきた。

 以前蒼佑の母に教えてもらった、街外れのジャズ喫茶。

 いつも静かで比較的空いているので、作業をしたい時にたまに訪れていた。


(よかった。いつもの席、空いてる)


 店に入ると、マスターが「いらっしゃい」と囁くように言った。

 店の一番奥のソファ席に荷物を置き、ノートパソコンを取り出した。入学祝いに、父が買ってくれたパソコンだ。


(来週の締め切りだから、今日中には仕上げたいな……)


 日奈は、中学の頃から小説を書いていた。

 中学2年の頃にはコンテストに応募するようになり、中学3年で初めて小さなコンテストで入賞した。

 さすがに黙っていられなくなり、両親にだけそのことを伝えた。

 それからは親公認で、勉強の合間をぬって小説を書いている。


「あら? 佐倉さん?」


 ノートパソコンを開こうとした瞬間、声をかけられた。

 日奈は慌ててパソコンを閉じて、顔を上げる。

 どこかで見たことのある、綺麗な女性。だれだっけ……と1、2秒考えたところで、ハッと思い出す。


「紘斗のお母さん……?」

「そう! 憶えててくれたのね~!」


 なんと、声をかけてきたのは紘斗の母親だった。





 話を聞くと、紘斗の母親は先月からここで働き始めたらしい。

 本業はピアノ教室の先生だが、始めたばかりでまだ生徒が少ないそうだ。


「お待たせしました。コーヒーと……こっちはサービス」

「え!」


 紘斗の母親は、注文したコーヒーと一緒に、包装されたクッキーを持ってきてくれた。


「紘斗と仲良くしてくれてるお礼。これくらいじゃ、足りないけど」

「そんな……わたしも、面倒見てもらってるのに」

「じゃあ、今日だけ。このクッキーだけ、ね」


 申し訳ない気持ちになりながらも、日奈は「ありがとうございます」と頭を下げる。


「紘斗は……どう? 学校、馴染めてるかな」

「1学期はあんまり話さなかったのでわかりませんが……、体育祭は練習からすごく頑張ってくれて。いまはみんなとご飯食べたり勉強したりして、楽しそうにしてます」

「それならよかった……!」


 日奈は当たり障りのない返答をしたつもりだったが、紘斗の母親は心からほっとした様子で息を吐いた。


「この前ね、佐倉さんが帰った後、『あの子いい子ね』って私が言ったの。そしたら……紘斗ったら、『うん、いい子だよ』って!」


 親子でなんという会話をしてるんだと、日奈は目を丸くする。


「あんな素直な言葉聞いたの、何年ぶりかしら……私もう、感激して泣いちゃいそうだった!」

「は、恥ずかしいので、やめてください……!」

「ごめんごめん! 紘斗には内緒ね」


 恥じらいながらも、日奈は内心喜んでいた。

 あまり胸の内を明かさない紘斗の本音が、少しだけ聞けたような気がしたからだ。





 紘斗の母親が「邪魔しちゃってごめんね」と仕事に戻ると、日奈は再びパソコンを開いた。

 なんとなく落ち着かなかったものの、締め切りまでに仕上げたいという気持ちから、なんとか応募予定の小説を完成させた。


(これでなんとか応募できる……つぎに書くお話も考えなきゃ……)


 日奈はコーヒーを口に含むと、そのまま目を閉じた。






 はっと目を開ける。


(寝てたの……か……)


 もう一度コーヒーを口に含む。まだ温かさが残っていたはずのコーヒーは、すっかり冷えきっていた。

 コーヒーカップをソーサーに載せ、ふと、左隣りに視線をやると―――


 なんと、紘斗が隣でスマホをいじっていた。

 日奈はそのまま数秒、固まる。


「起きたか」

「な……なんで、紘斗が……?」

「用事があって店に来たら、『佐倉さんが奥で寝てるわよ~』って母ちゃんが」


 その時日奈は、作業を終えたパソコンの画面が開きっぱなしになっていることに気が付いた。

 慌ててバタンと画面を閉じた……が、おそらく画面の内容は丸見えだっただろう。

 紘斗も、どことなく申し訳なさそうな顔をしている気がする。


「み…………見た……?」

「……ごめん、見た」


 恥ずかしさで絶叫しそうになり、日奈は両手で顔を覆った。

 しかし紘斗は、思いがけない言葉を発する。


「これの続きは?」

「……え?」

「話の続きだよ。少年2人は扉の向こうに行ってそのあとどーなんの?」


 本当にガッツリ読まれてる……と、日奈はその場で卒倒しかけた。







 喫茶店を出ると、紘斗はいつものように日奈を家まで送ってくれた。


「勝手に読んでごめんな、マジで」

「いや……開いたままにしてたわたしが悪いから」


 すると紘斗は、いつになくやさしい笑顔を向けてくる。


「佐倉の好きなことって、これ?」


 どう答えるか、と迷ったが、ここまで来たらもう白状するしかなかった。


「そう…………です」


 両親しか知らない秘密を、同級生の男の子に知られてしまった。

 日奈は恥ずかしさで泣きそうだった。


「すごいなー! 俺日本語ニガテだからマジで尊敬する!」

「やめて、もう……恥ずかしくてしにそうだから」

「なんでだよ。これだけ書けるならもっと誇れよ。全然恥ずかしいことじゃないし」

「いやいや、恥ずかしいから。裸見せるより恥ずかしい」

「いや裸見るほうが千倍恥ずかしいわ」


 恥ずかしいけれど、時間は戻せない。知られたのが紘斗でまだよかったと、思うしかなかった。

 途中でコンビニに立ち寄り、勝手に読んだお詫びにと、紘斗がアイスを奢ってくれた。


「昔から書いてるの?」

「中学……くらいから。小さい頃から、本とか漫画が好きで。でも、自分が読みたいようなお話に出会えないこともあって……じゃあ、書けばいいんだって思って」


 コンビニの柵にもたれ、2人でアイスを頬張る。

 紘斗と休日に私服で会うのは初めてで、日奈は今さらながら落ち着かない気持ちになった。


「すげぇ……それで書けるのがすごい。何系!?」

「コンテストの題材に沿って、書きたいもの書いてるだけ」

「え、コンテストも出してんの!? 本物じゃん!」

「いやー……まだまだこれからだよ」


 紘斗が熱心に話を聞いてくるので、日奈も絆されてつい真面目に答えてしまう。


「じゃあ、将来はその道を目指すの?」

「ううん。むしろ全然違うことしながら、書いていきたい。いろんな世界を見てるうちに、自然と書きたいことが湧いてくるだろうから」


 日奈が言うと、紘斗はむぅっと口を尖らせた。


「な……どうしたの?」

「佐倉がカッコよくて嫉妬してる」

「な、なにそれ!」


 紘斗は、食べ終えたアイスの棒を口にくわえたままぼやく。


「俺もさ、あるんだよ。やりたいこと。でもなんか、モヤがかかってるみたいに、見えるようで見えないっていうか……なんだったっけ、みたいな」

「ど、どういうこと? なにをしたいか忘れたってこと?」

「忘れたっていうか、なんだろ……」


 腕を組み、紘斗は「うーん……」と考え込む。


「音楽で仕事したいんだ。でも、自分の音楽を届けたいとか、そういうのじゃなくて……」

「音楽の先生とか?」

「いや、音楽の知識を教えるとかでもない。けど、いま学校で学んでるようなことはしっかり勉強しなきゃいけないって思ってて……そういう基礎がないとできないっていうか」


 謎解きのような紘斗の話に、日奈も頭を捻る。


「ガッツリ音楽系の仕事ってわけじゃないってことだ。指揮者とか、音楽プロデューサーとか」

「うん、そういうのじゃない。ただ……音楽で人を助けたい、みたいな、そんな気持ちはある」


 その言葉に、日奈は目を輝かせた。


「……すごく、いい! なにかはわかんないけど、すごいお仕事じゃん!」

「なにかわかんないってのが、大問題だけど……」


 自嘲ぎみに笑いながらも、紘斗の目は真っ直ぐ前を見据えていて。


「まぁ、わかんないうちは、必要だって思うこと全部やるしかない。ギターも、勉強も」


 言い切ったその目に、迷いはなかった。

 さっきの、「佐倉がカッコよくて嫉妬してる」という紘斗の言葉―――その言葉を、日奈はそっくりそのまま返したかった。


「紘斗のそういうとこ、ほんとカッコイイな」


 それなのに、口をついて出たのは、なんだか言葉足らずな言葉で。


「へー。カッコイイ? 俺が?」

「ち、ちがっ……ついポロッと……!」

「ほー? 佐倉は俺のこと、カッコイイって思ってるんだー?」


 慌てて弁明しようとする日奈。

 そんな日奈を見て、紘斗は楽しそうに肩を揺らす。


「ひ、紘斗だって、この前わっ……わたしに、可愛いって言ってきたじゃんっ」


 日奈はなんとか言い返したつもりだった。

 しかし、紘斗から返ってきたのはあまりにも意外な言葉で。


「え? 可愛い? 言ったっけ?」

「えっ」


 まさかの反応に、日奈は動揺と恥ずかしさで体温が跳ねあがる。


「ひ、ひどい! 憶えてないなんて!」

「言ったか~? いつ~?」

「もういい! もう、勝手にドキドキしてばかみたい……!」


 日奈が怒って言うと、紘斗は困ったようにくしゃくしゃと頭を掻いた。


「ごめん。でも俺、日奈のこと可愛いって思ってるよ」


 その一言に、日奈の心がぴたりと止まった。

 言い返す言葉も見つからず、日奈の身体の熱だけが上昇していく。


「あ。名前で呼んじゃった」

「……不意打ち、ずるい……!!」


 それがわざとなのかなんなのか、紘斗の表情からは読みとれない。

 日奈は顔を背け、鼓動を落ち着けるのに必死だった。


「食い終わった? 行こうぜ」


 そして平然と紘斗は立ち上がり、歩きだした。

 モヤモヤしながらも、日奈はそのあとをついていく。


 やっぱり紘斗の考えていることは、よくわからない。

 わからないのに、いつもこうして翻弄されて、心がかき乱されて。

 この行き場のない感情をどこにぶつければいいのか、日奈にはわからなかった。


「ねぇ、俺の歌に歌詞つけてよ」

「は、え、歌詞?!」


 唐突な紘斗の言葉に、日奈は驚いて声が裏返る。


「文章書けるなら、できるだろ」

「ほ……本気?」

本気ガチ


 やっぱり、どこまで本気なのかわからない。

 それでも日奈は、紘斗の言葉に背を向けることはできなかった。


「時間……ください」

「ぜってーだぞ!」


 西日に照らされて、紘斗がにっと笑う。

 もはやこの笑顔に抗うことはできないのだろうと、日奈は改めて実感した。






 その夜、紘斗からメッセで音声データが届いた。

 先日、紘斗の部屋で聴かせてくれた曲だった。

 「歌詞つけて」というのは、本気だったらしい。


 ベッドに横になり、イヤホンを耳にあてる。

 溢れる感情と言葉を鎮めながら、日奈はそっと目を閉じた。







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