第41話

 三條西家の「対面の間」は、母屋とは渡り廊下でつながる別棟にある。

 そこは依頼主から持ちこまれたいわくつきの品を見定め、対処するための、美子の結界で覆われた特別な部屋だ。

 美子が他者の入室が許さないため、当主である浩一郎も入ることはできず、件の掛け軸は前室と呼ばれる控の間の棚に置かれていた。


(高司公爵家の宝物は、過去にも二度この三條西家に持ちこまれていたわ)

 美子は過去の記録を思い出していた。

 持ちこまれたのはいずれも壺で、そのうちのひとつは美子が浄化した。

(あのときは古い香壺で、怨念というより強い執着がこごってヒトの気を病ませていたのだったわ)

 様式からして、室町時代の香壺と思われた。おそらく高司家から皇室か将軍家に嫁ぐ姫のために調合された香。その姫が正室であったのか妾妻であったのかは不明だが、閨で焚かれる香は他家の女たちを出し抜いて子を産まねばならぬ姫のためのもの。調合したのが親であれ専属の調合師であれ、強い思いは愛憎や嫉妬をも取り込み、数百年ものあいだ壺とともに京の高司家の敷地に埋められていたのだった。

 その前に持ちこまれたのは蠱毒こどくの壺で、三條西家もまだ京都に居住していた江戸時代のことだ。政敵を蹴落とそうとしたものか、武家社会を呪ったものだったのか、詳細な記録はなかった。

(まったく次から次へと、よけいなモノなど掘り起こさなければよろしいのに)

 迷惑なことだと、美子は思う。

 それでも、摂関家の中では高司家はマシなほうだ。三條公爵家など、本家筋だという気安さもあってか、記録を読んでも覚えきれないほどの怪しい品を頻繁に持ちこんでいたようだ。


 美子は気を取り直し、棚に置かれた掛け軸に目を向けた。

 見えているのは風呂敷で包まれた細長い箱だが、箱の内でナニかがうごめいているのを感じる。

 別棟の食卓の間にいてさえ、その気配が感じ取れたのだ。ただの穢れではない。

 美子は慎重に包みを手に取り、前室から対面の間の結界の内へと移動した。

 白木の台に包みを置く。

 浄化には、まずその支度が必要だ。

 着物の上に、白い長絹ちょうけんをまとう。

 結い上げた髪から簪を抜き、左人差し指の先を突く。

 細い指先に、赤い鮮血の玉が膨れ上がった。

 真新しい白い舞扇を広げ、己の血で聖紋を描く。

 これこそが、三條西家において男ではなく女たちが破魔の力を持つ理由だった。かつての公家の男たちにとって、血は穢れにほかならない。血の呪法を使えるのは女たちだけなのだ。

 風呂敷を開き、箱の蓋を取る。

 中は、きれいに巻かれた掛け軸だ。

 掛け軸に結ばれた組み紐が、勝手に動いて解けた。

 美子は息を呑み、それを見つめていた。

 相手が何者か見極めてからでなければ、手出しはできない。

(怨念? 呪物? それとも……)

 かすかな、におい。

 嗅ぎ慣れない、獣臭だろうか。


 ハッとして、身を引きながら扇で宙を斬る。

 だが、ソレは美子の扇を掻いくぐり――。


(野犬!?)

(いいえ、これは……)


 ケダモノの姿のソレは、大きな口で扇をくわえて美子の手から奪い、黒い息を吐いた。

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