第11話

 秋令が幼かったころは、祭祀老である叔父に予知夢を報告するのは月黄泉の役目だった。

 理由はふたつ。言葉足らすの幼子の説明で叔父を煩わせまいという月黄泉の気遣いと、神聖な祈祷の場である神泉殿への険しい山道を上り下りするには、秋令は幼いうえに注意力が散漫で危険だったからだ。


 峠の神泉殿へ向かう急な坂道を、秋令はひとりで登っていた。

 さすがにもう転んだり足を踏み外したりはしないが、半分も登ると息があがって、寒い季節だというのに額に汗がにじむ。

 大きな赤い月はまだ低く、近くの山に隠れて見えないが、小さな明るい月はじき南天に昇ろうとしている。


 ようやく神泉殿に辿り着き、入口で中をのぞくと、気配に気づいたらしい鈴花がこちらを見てうなずいた。

 鈴花はもうじき18歳。幼馴染みの秋令の目にも、おとなびた女性らしい落ち着きと華やぎが見えて少しまぶしい。

 秋令は中に入り、声をひそめて言う。

「おはよう。叔父上は?」

「朝食を終えて横になったところよ」

 長瀬木ちょうせきは鈴花が視線で指し示した帳の向こうで休んでいるのだろう。

「出直したほうがいい?」

「予知夢の報告でしょう? しばらくしたら起きると思うから、待ってなさいよ」

 言いながら、鈴花はふたり分のお茶を淹れて卓に置いた。そして、ちょっと引き気味に尋ねる。

「また、嫌な夢?」

 無言でうなずく秋令に、鈴花はわずかに眉をひそめた。それが嫌悪の表情なのか、巫女姫への憐れみなのか、秋令にはわからない。

「しょうがないわね、とっておきのコレを出すわ」

 そう言って、鈴花は籠から干した果実の蜜漬を出した。

「何? 美味しそう」

「でしょ? 年始のお客さま用に漬けた蜜漬をくすねてきたの」

「お味見ね」

「そう、内緒よ」

 ふたりは顔を見合わせてお茶を飲み、小さな蜜漬を口に入れた。

 言葉にはせず「美味しい」と顔で伝え合う。

 さすがに幼馴染みで従姉の鈴花は、表情が乏しくなってしまった秋令の顔からも微妙な感情の変化を読み取れるようだ。


「なに見詰め合ってんだよ」

 呆れ声に振り返れば、戸口に見慣れた少年が立っていた。鈴花とよく似た琥珀色の髪を編んで垂らし、短い祭祀服をまとっている。

香炉木こうろき、祭壇の片付けは終わったの?」

「とっくに。俺にもお茶ちょうだい」

 少年は鈴花の弟の香炉木だ。さっさと椅子に座り、姉がお茶を淹れてくれるのを待っている。

「これを飲んだら、年始のお客を迎える支度を手伝いに行きなさいよ」

「はいはい、人遣いが荒いんだから」

 文句を言いながらも姉に逆らう気はないらしく、香炉木はひと息にお茶を飲み干すと、軽い足取りで出て行った。

 その後ろ姿を見送り、秋令は言う。

「いつのまにか、すっかり頼もしくなって」

「そうかしら。祭祀老を継いでもらうには、まだまだだわ」

 姉の評価は手厳しい。


 そんな話をしているうちに、帳の向こうからコホコホと咳き込む声が聞こえてきた。どうやら長瀬木が目覚めたらしい。

 鈴花が先に立ち上がり、帳の内に入る。

「お父さま、巫女姫がいらしているわ」

 身を起こした長瀬木は帳の前に立つ秋令を認め、足をおろして長台に腰掛けた。

 鈴花は乱れた掛け物を直し、父の衿元を整えて部屋を出た。


 巫女姫とふたりきりで向かいあい、長瀬木が問う。

「予知夢を見られたか」

「はい」

 思い出したくもない夢だったが、秋令はできるだけ詳細に、感情は交えないよう気をつけながら報告した。

 話しながら、視線はおのずと長瀬木に向く。

 かつては父に似ていると思ったこの叔父も、すでに秋令の記憶の中の父よりひとまわりも老いた。

 以前は毎日、峠の神泉殿とふもとの自宅とを往復していた長瀬木だったが、足腰の衰えた今は家に帰ることはほとんどない。鈴花がこまめに通い、食事をはじめ身のまわりの世話をしているのだった。

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