第7話

 ふいに、一角獣が足を激しく踏みかえて水しぶきを上げた。

 前肢のそばにしゃがみこんでいた秋令は、弾みで水の中に尻餅をついた。

 鈴花も顔にかかるしぶきを手で遮りながら、悲鳴のように問いかける。

「やめて、ネージュ! どうしたの、いったい?」

 一角獣は鼻息も荒く、長い鼻先を大きく振った。

 同時に、視線は丘の上に。

「・・・・・・?」

 秋令と鈴花もそちらを振り仰ぎ・・・・・・丘の上に人影を見つけた。


龍兎りゅうとにぃに?」

 秋令の大声での呼びかけに、丘の上の人影が大きく手を振った。

 大声に驚いたのか、あるいは人見知りのせいか、一角獣は少女たちを蹴らんばかりの勢いで冷泉を飛び出し、草むらへと駆けて姿を消してしまった。

「もうっ!」

 頭から水を被った鈴花が、一瞬の癇癪を爆発させた。

 それから、尻もちをついたまま胸の下まで冷泉に浸かっている秋令に手を貸して立たせる。

 一方、丘の上にいた人影は岩を跳び越えて坂道を駆け下りてきた。

 身軽な少年だ。

 癖のあるふわふわの白い髪に、赤い瞳。見る者に白うさぎを連想させる姿は、ここ中原より北東の郷、青龍族の子供の特徴だ。


「秋令、鈴花も、久しぶり!」

「久しぶりって、龍兎ってば先月も来たばかりじゃない」

 鈴花は少年の鼻先に人差し指を突きつけて言った。

 白うさぎのような少年が反論する。

「もうひと月も前じゃないか」

 ふたつの月が南天で重なり、徐々に離れてまた接近して重なり合うまでの91日間を、ひと月と呼ぶ。

 それを「久しぶり」と思うか「たったひと月」と思うかは、それぞれの主観の問題だ。


 龍兎はあらためて、青龍族の使者として秋令に挨拶する。

「巫女姫さまにご挨拶申し上げます。青龍の龍兎、夢伺いに参上しました」

 近隣の部族から、自分たちに関わる予知夢を見ていないかどうか尋ねるための使者が来るのは珍しいことではない。

 だが、鈴花は呆れた口ぶりで言う。

「巫女姫がそういう予知夢を見たときは、いつもこちらから連絡しているでしょう? その連絡がないってことは、神託もないってことよ」

「そうだけどさ。ほら、今年は雨が少なかったから、この先の実りが少ないんじゃないかって親父が心配してるんだ」

 これは口実だ、と鈴花は龍兎を横目で見た。

 青龍族の長はずいぶん前から中原と姻戚関係を結びたがっている。そのために、何かと理由をつけては息子の龍兎を遣いに寄越しているのだ。

(年頃からして、秋令とはお似合いよね。さすがに縁談はまだまだ先のことでしょうけど)

 そうなれば、龍兎はすでに月黄泉と婚約している鈴花の義弟になる。今はやんちゃで可愛い龍兎だが、青龍族の成人男性は総じて中原の男より体が大きくたくましい。

(きっと生意気な義弟になるわ。それとも、優しくて頼もしい青年になる?)

 勝手にそんな想像を膨らませる鈴花とは対照的に、秋令は目先のことで頬を膨らませている。

「龍兎にぃにのせいで、ネージュが逃げちゃったわ」

「ネージュ? あの白い獣のことか。獣なんか腹が空けば戻ってくるだろう。なんなら罠を仕掛けて捕まえようか」

 狩猟は得意だと胸を張る龍兎に、

「罠?」

「罰当たりね」

 少女ふたりはそろって非難の目を向けた。

 神託の予知夢を見せる聖獣をそのへんの野獣と同様に扱おうというのだから、非は龍兎にある。

 失言に気づいた少年は、気まずく視線をそらして言う。

「あー、そうそう、まず若長に挨拶に行かなくちゃな」

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