そこから始まる物語
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
――プロテスト最終ラウンド、18番ホール、パー4――
ここでボギーにまで抑えれば、念願のプロ合格が得られた、その第2打。
(あああああ、フライヤーになっちゃった)
グリーン手前にある池を避ける為、手前に落とすべく番手を下げて打った8番アイアンの一打。それは芝を噛み、スピンがかからないままクリーンヒットが過ぎ、池まで届いて……そして落ちてしまった。
「なんで、なんでよぉーっ、この土壇場に来てぇー!」
天を仰いで泣き言を吐き出した。安全策を取って3オン2パットで済まそうとした目論見が崩れ去り、夢のプロへの道が霞んで消えようとしていた。
でも、本当に後悔しているのは、その次の一打だった。
ゴルフでよく言われる格言。「真にスコアを壊すのは、ミスショットの後の一打である」を、その意味を、私はもっと自覚するべきだったのだ。
池の手前からの1ペナを加えた第四打。ここからピッタリと寄せて1パットで入れればまだボギーの可能性はある……でも、そういう想いは得てして焦りになり、普段のゴルフを忘れさせてしまうものなんだ。
そのショットをシャンクし、再び目の前の池に放り込んだ時――
――私の、プロゴルファーへの夢は、潰えた。
◇ ◇ ◇
『今一度問う。汝、ゴルフが上手くなりたいか!?』
「上手く、なりたいわよ!」
閉館したゴルフコースのクラブハウスの中で、私はどこか偉そうな大男のオッサンに向かってそう吐き捨てた。
そう、あの日手からこぼれたのは、ゴルフに対する夢と希望と、そして、自信。
それを取り戻すには、方法は一つしかないんだから。
だから……上手くなりたいッ!!
『よかろう、ならば我と共に来るがよい』
そういって背中を向け、コース入り口のドアに向かう自称妖精の大男。
「あ、待って。これ、返すから」
さっき引き抜いたパターを差し出すが、大男は首だけ回してこっちを見ると、フフンと笑ってこう返した。
『持っておるがよい、それは伝説のゴルフ
「へ? ゴルフ……マグ?」
『左様。それをもってラウンドすれば、いかなる状況に置かれても平常のプレイが出来る』
その返しに思わずゴクリと唾を飲み込む。常に平常心でいられる、それはプロゴルファーを目指す者にとって絶対に必用で、そして誰もが持ちえない能力だ。
心を殴り合うと言われる競技のゴルフ。相手の一打がプライドを刺激し、油断を誘い、自尊心を粉々に叩き潰す。名のあるプロでも、その重圧から無縁ではいられないだろう。
「って、そんなものあるわけないじゃん。ま、いいわ、お守りだと思って持ってるわよ」
そう言ってパターをバックに仕舞う。この筋骨隆々の大男が妖精だなんて言うもんだからつい神頼み的に信じてしまったけど、ンなわけないわよねぇ、いくらなんでも。
『さ、ゆくぞ。いいから早ようせい』
「あ、はいはい……って、このコース閉鎖してるのにラウンドしていいの?」
そう、この男がここの責任者と言うならともかく、ついさっきまで銅像だった輩にここを勝手に回る権限なんてあるわけが……
あれ? 私なんかいろいろツッコミ忘れてない?
『案ずるな、これから回るのはこの月の光の別コースである。では、参る』
そう言って何かぶつぶつ呪文みたいなのを唱えながら、ただのガラスの両開き戸を大仰に押し広げていく。なんかゴゴゴゴゴとかきしみ音立ててる……し!?
「え、えええええ!? なにこれ、景色が違う?」
ガラスから透けて見えてたのは普通の雨のコースなのに、そのドアを広げた向こうに見えるのは全然別の世界、黄色い大地と漆黒の闇の世界だった。
「な……何で。これってどこ〇もドアなの? それとも……後〇戸??」
『我が魔力によって空間を繋げたのである。ここがお主が回る試練のコース、 ”
ドアを開け終わった大男が、直立不動で腕を組んだまま、足も動かさずにスススとドアの向こうに移動していく……イーカラハとか言ってたけど、まさかホントに妖精?
『さ、いいから早ようせい』
「……あれ? なんか違和感が?」
仕方ないのでそれはおいといて、私もそのドアの外に一歩踏み出す。見た目は異世界みたいなイメージだけど、普通にそこに立つことが出来た。
見渡す限りの砂と岩の世界。最初は漆黒の世界かと思ったけど、景色はしっかりと遠くまで見えている。じゃあ、この違和感の正体は……
「空が……青くない!」
そうだ。太陽の光は届いているから景色は見渡せるけど、空が真っ暗なのだ。まるで夜のように満天の星が見えているのに、景色は地平線まではっきりと見え、足元には影まで映っている。これじゃ、まるで……
『あれなるを見るがよい』
イーカラハさんが指差したのは私の後ろの地平線だ。振り向いた私は、言葉が出なかった。
そこに、さっきくぐって来たハズのドアが無くなっている、からじゃない。
地平線の遥か先に、よく知ってはいるけど見るのは初めてな、巨大な青い天体が浮かんでいたから!
「ちっ、地球? ってコトは、ここは……」
『左様。ここは ”月面” である!』
そう、月や太陽の4倍近い大きさで浮かぶ巨大な地球。それが見える星と言えばもう、地球の衛星である月しかない。
つまり私はあのドアをくぐって、月までワープしてきた事に……
「ンなわけあるかあぁぁぁぁぁ!!」
思わず絶叫する私。そう、あのドアが月に繋がっているなんてこと自体あり得えないけど、そもそももし本当にここが月なら、私はとっくに窒息死しているはずだ。
私の絶叫はちゃんと響いたし、イーカラハの声も聞こえている。ぴょんぴょん飛び跳ねても普通にしか飛べず、重力が弱いとも思えない。
「タチの悪い冗談よね、どーせ立体映像かなんかなんでしょ?」
『
「会話できてるじゃない。重力も普通だし息も出来る、いつから月はこんな快適空間になったのかしら?」
やれやれと手を広げて呆れ顔をしてやる。ホントになんのつもりか知らないけど、こんなのに騙されるほどおめでたい頭はしていないつもりである。
『ふ、忘れたか。お主は伝説のゴルフ魔具 ”平常のパター” を持っておるではないか』
「……は?」
『それを持っておる限り、いかなる環境においてもお主は平常のゴルフが出来る。例え真空であっても呼吸は出来るし球にスピンもかかる、重力も通常通りに働くのである』
そう返したイーカラハが、足元の石ころを拾い上げて、ひょいっ、とこっちに投げてよこす。でもそれは普通と違って、まるで水中を遊泳するようにゆっくりと放物線を描いてこっちに向かって来る、まるで本当に弱重力の月面世界のように――
それをぱしっ! と受け取った瞬間、軽そうだった石ころにいきなり重みを感じ、思わず取りこぼしてしまう。するとそれはストンと、当たり前のように地面に落っこちた。
「……うそ、でしょ?」
信じられない。信じられないけど、確かにこの男の言ってる通り、私だけがこの場にあって地球の状況、法則で立っている。そんな、事が? 本当に??
『あれを見るがよい』
次に指差したのは少し遠く、大体50mほど先にある銀色の物体だった。それは月面に似つかわしくない、どこかメカメカしい雰囲気を持ったものだった。
(あー、やっぱアレがプロジェクターかなんかなんだ、そりゃそうよねぇ)
『あれなるは、月面探査船アポロ14号の着陸船であーるっ!』
「って、辻褄合わせて来たっ!?」
『そしてこれなるは、かのキャプテン・アラン・シェパード氏が打ち放ったゴルフボールであーるっ!』
足元の一点を指し示すイーカラハ。そこには確かに白いゴルフボールが転がっていた。
確かに聞いたことがある。アポロ14号の船長であるアランが月面でゴルフをしたというのは、ゴルファーの間ではわりと有名な話だ。特にうちのオーナー
「あれ? でも……近いんじゃない?」
アラン・シェパードの打ったボールは、見えなくなるほど遠くに飛んだと言われていた。何せ小さい重力に加えて空気抵抗も無いんだから、それこそどこまでも飛んで転がっていくだろう。少なくともこんな近くにあるとは思えない。
『これは月面でのアラン・シェパードの偉大なる第一打、ミスショットした球であーる!』
「え……ミスしたの?」
『左様。アラン氏は合計二打を打ち放った。第一打がミスしたので、もう一度打ち直したという』
「ぷっ、あはははは……ミスショットって」
思わず笑ってしまう。アポロ計画でここでゴルフをしたのなら、それこそ確実に成功させたかったハズだ。その記念すべき第一打がミスショットなんて……
「……なんて、ゴルフらしいんだろう」
笑いながらそう言う私に、イーカラハは今までのしかめっ面をぐにゅ、と歪め、ぶっ! と波顔した後、豪快に笑いだした。
『がははははははっ、まさに正解である! それこそがゴルフのあるべき姿だ』
そう、ゴルフなんてミスショットして当然なのだ。むしろそれがあるからこそゴルフなんだ。
誰もがナイスショットとミスショットに一喜一憂する、だからゴルフは面白いんだ。
「でも、すごいね。アラン・シェパードさん」
ミスショットした次のショットで挽回をする。それは私がかつてプロテストで成し得なかった事なんだ、夢を諦める事になった、心の奥に刺さる棘――
そんな難しい事を、二度の失敗が許されないアポロ計画の一発勝負で、この場所で見事にやってのけたんだから。
『ウム。偉大な功績であるな』
しばし感慨に浸る私。これが例え立体映像だったとしても、私は少しだけゴルフの偉大さに触れる事が出来た気がした。
『……来たか』
「え?」
イーカラハの突然の言葉に顔を上げる。彼の目線の先、地平線の一角に砂煙が見える。それを巻き上げているのは……車だ。メカニカルなデザインの車、しかも金ピカのそれが何台も横に並んで、こっちにどんどん向かって来る。
『黄金の月面車の編隊!
なにそのどっかの昭和の漫画みたいな連中は。よく見るとその九台の月面車に、マントとフードを纏った連中が立ったままポーズなど決めて乗ってるし。ご丁寧にフードの影になって顔が見えないのまでお約束だなぁ。
『ゴルフ上達を望む
「へ? た、倒す……って?」
『これよりこの ”
……まぢですか!?
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