第18話 かつての親友

 スタジオの空気が微かに熱を帯びている。Serilionのメンバーたちは、ファーストアルバム発売と同時に始まるツアーコンサートに向けて、猛練習をしている真っ最中だ。長時間踊り続けたせいで、床に落ちた汗の粒が照明を反射して光っていた。息を整えながら、透真は目の前の光景をじっと見つめる。

 澪の笑い声が耳に届く。柔らかく、透き通るような声。けれど、その隣には天堂凛冴がいる。彼は気負いのない様子で澪の肩を軽く叩き、親しげに話しかけていた。

「見ない間にすげえ筋肉ついてんじゃん。どこのジム通ってんの?」

 そう言いながら、凛冴は澪の腕の筋肉を官能的な手つきで触れる。その触れかたが妙に馴染んでいて、透真の胸の奥がじりじりと焼けるようだった。

 ――澪くんはそんな風に気軽に触れていい人じゃない。

 透真は思わず舌打ちしそうになり、唇を噛み締める。汗で濡れた前髪を乱暴にかきあげながら、目を逸らそうとするが、どうしても気になってしまう。

 視線の端で、他のメンバーも同じように彼らを見ているのが分かった。律音は腕を組み、どこか険しい表情をしている。凌介はいつものように軽く微笑んでいたが、不安そうに視線を小刻みに動かしていた。空翔は水を飲む手を止めたまま、じっと凛冴を見つめていた。

 じりじりとした空気の中、むくれた顔をした龍之介が透真の隣に駆け寄ってきた。

「……あの凛冴って人、ボディータッチ激しすぎない?」

「うーん、そうだな。澪くんの親友らしいから、あのふたりにとって普通の距離感なのかも」

「ええ、そうなの!? 友達だからってあんなにベタベタするかあ~?」

「さあ。凛冴はそういう人なんだろ」

 龍之介に応える透真の言葉は、無意識に刺々しくなる。そんなふたりの会話を聞いていた空翔が、そっと透真の肩に手を置いた。

「トーマ……大丈夫?」

「うん。俺は大丈夫だけど」

 透真はなるべく平坦な口調を意識したが、空翔には見抜かれていたようだ。空翔は、透真の嫉妬心などお見通しだとでも言うように、苦笑いをしてから囁く。

「イラつくのもわかるけど、凛冴の挑発に乗らないでね。アイツ、君から澪を奪おうと今頃策略を練ってるところだろうから」

「そもそも、澪くんは俺の物でもないし」

「何言ってんの! 澪はトーマのことが好きなんだよ。それは信じてあげてよ」

「でも……」

「トーマと澪をくっつけることは、俺のふたつめの願いなんだからね。天使の守護付きだから、絶対叶うよ」

「……最強の仲人かよ」

 透真は皮肉っぽくつぶやいたが、本当は嬉しかった。

 空翔は今も変わらず、自分の恋路を応援してくれている。その確かな感覚は、凛冴によって崩れかけていた心を支えてくれた。

 透真が澪に視線を向けると、ふと澪も透真を見つめてくる。視線が絡みそうになったその瞬間――

「澪! 一緒にダンス動画撮ろうぜ」

 目ざとくふたりを見つけた凛冴が、澪の視線を奪った。凛冴に話しかけられると、澪は透真に背を向ける。

「お前、髪の毛伸びたなあ」

 そう言いながら、凛冴は澪の髪に指を絡め、くしゃりと無造作にかき回した。

「……おい、やめろよ凛冴」

 澪は軽く笑いながら肩をすくめるが、嫌がっている様子はない。

 透真の手が、無意識に握りしめられる。

 ――腹立つ。澪くんに気軽に触るなよ!

 耐えられなくなり視線を外そうとした瞬間、凛冴がふと透真を見て、口元に薄く笑みを浮かべた。

 ――こいつ……わざと俺に見せつけてやがる。

 胸の奥がじりじりと焦げるような感覚に、透真は舌打ちをこらえた。力を込めすぎたせいで、拳がじんわりと痛む。こんなにも怒りを覚えたのは初めてだ――行き場を失った感情を持て余していると、ふと律音が声を上げたのが聞こえてきた。

「なあ、この記事見たか? ファンの間で拡散されてる」

 律音はそう言って、スマホの画面をメンバーたちに見せる。そこには、『Serilion千景澪の親友、天堂凛冴――悲劇に見舞われたヒーロー』という見出しの記事があった。読み進めていくと、関係者しか知り得ないことが書き連ねられていた。凛冴がかつて暴徒化したファンから澪を守り、大怪我をしたことも詳しく書かれている。

 記事に添えられた写真のひとつには、夜の繁華街で凛冴と澪が親しげに話している場面が映っていた。街灯の下、澪はリラックスした笑顔を浮かべ、凛冴がまるで『澪は俺のものだ』とばかりに、澪の肩に腕を回している。

 記事を見下ろした律音が焦燥を滲ませた声でつぶやく。

「……まずいな。社長は最近『ケミ売り』を重視してるから、凛冴と澪をセットで売り出すつもりなのかもしれない」

「え~!? そんなのおかしいじゃん。澪は今、俺らの仲間なのに」

「もうファンは凛冴と澪のこと『親友ズ』って呼び始めてるよ……」

 龍之介が文句を言い、凌介はため息をついた。空翔と透真は顔を見合わせる。社長が主導したのかもしれないが、これは明らかに凛冴の仕業だ――視線でそう語り合い、頷く。

 スタジオの隅に視線を向けると、澪と凛冴がダンスのチャレンジ動画を撮影しているのが見える。凛冴といる澪は、Serilionのメンバーたちといる時よりも気楽そうだ。それが何よりも残されたメンバーの気持ちを傷つけていた。

「売れるためにわざと話を盛ったんじゃねえの? 大怪我したなら、ダンスなんて踊れるわけないし」

 龍之介は、記事を指差して語気を荒げる。頼りにしていた兄貴分を取られて、不機嫌なようだ。だが、龍之介の言葉に空翔がピクリと眉を寄せた。

「……凛冴が大怪我してずっと入院してたのは本当だよ」

「あ、そう?」

「凛冴はムカつく奴だけど、リハビリを頑張ったのは嘘じゃないから……そこは疑わないでやってほしいな」

「空翔もアイツと友達なんだっけ? なんかごめん」

 空翔と龍之介の間に、気まずい空気が流れる。息が詰まりそうになったところを、律音が大声を上げることで切り裂いた。

「――練習再開しよう。澪、こっちに来てくれ! 振り入れもう一度確認するから」

 呼びつけられると、澪は凛冴に片手を上げてからこちらへ戻ってきた。その様子を、ほかのメンバーたちはもの言いたげな瞳で見つめている。

 凛冴は澪にとって親友である前に、恩人だ。だから彼が凛冴を優先する気持ちはよくわかる。

 ――でも、凛冴が俺たちを壊そうとしていること、本当に気づいていないのか? それとも、気づかないふりをしているのか——。

 透真は拳を握る。指先に爪が食い込む感覚が、焦りと苛立ちをさらにかきたてた。

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